トラックの運転手

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トラックの運転手

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 俺は人を轢いた。

 信号は確かに青だった。……青だったはずだ。いつもならしっかりと確認してから発進するが、なぜだか記憶が曖昧だった。今思えば、発進しなければならないという、一種の使命感のようなものを感じた気がする。そう、発進前にあの男を見た時から。

~~~~~~~~

 いつものように、青になった後、俺はまず横断歩道に人が入って来ないかを確認した。自慢じゃないが、今までに事故らしい事故は起こしたことのない、いわゆるゴールド免許の取得者だった。それを確認した俺は、緩やかに発進しようとして、それが起こった。

 突然フラフラと目の前に人が飛び出してきたのだ。目撃者の話によると、その人物は若く……こんな事を言うのは躊躇われるが、みすぼらしい学生だったらしい。その学生は何かに引き寄せられるかのように向かい側の歩道から飛び出した。それを確認した俺は次の瞬間、いつもならありえない行動をした。アクセルを強く踏んだのだ。まるで、誰かに足を強引に踏まれた様だった。

 ドンッという衝撃と共に、人が宙に舞うのを目の前で見た。まるでスローモーションの様にはっきりと覚えている。すぐに急ブレーキを踏んだが、頭の中が現実を認識できず、モヤがかかった。だが徐々に自分が犯してしまった罪に震えだした。トラックで轢いたのだ。生きているはずがない。そう思い、逃げたい気持ちを押し殺して、勇気を出して倒れている少年に近寄った。既に野次馬達が集まり、少年の様子を確認していた。何人かは携帯を出して、彼の様子を囁きながら録画や写真を撮っている様だった。パシャパシャという音が聞こえたし、スマホを動かして、周囲の様子を撮っている者もいたからだ。

 彼らの様を見て、俺は携帯を持っている事に気がついた。ありがたいのかありがたくないのか、自分本位の不快感を覚えつつ、少年に駆け寄り、彼の様子を確認しながら、震える手で救急車か警察の番号を押そうとした。少年は頭から血を流し、意識は無く、足や腕があらぬ方向に曲がっていた。動かそうとして、誰かに止められた。後から聞いたら彼女は医者だったそうだ。

 俺は彼女の指示で電話をかけた。番号がわからず、何番かを周囲の野次馬達に叫ぶ様に聞いた。誰かが「119」と叫んだ。俺はその声に従い、番号を押した。すぐにコールセンター? に繋がった。事情を聞いてくる相手に、俺は状況を説明しようとしたが、上手く纏まらなかった。すると先ほどの女性が俺から電話を奪い取り、すぐに説明をし始めた。

 ややあって、パトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。野次馬達が道を開けて、隊員達を通した。さらに警察が事情聴取のために俺に色々と尋ねてきた。朦朧とする頭で俺は答えた。なんと言ったのか覚えていない。

 次の瞬間、不思議な事が起こった。突然、少年の体が光り始めたのだ。

 その光は神々しかった。そう、神々しかったのだ。皆、意味が分からなかった。誰もそんな現象を見た事が無かったからだ。目が眩むほどの光が発せられた直後、信じられない事に少年が消えた。まるで先ほどまでの事が何も無かったかの様に。だが、道路に広がる夥しい量の血痕が今までの事が真実である事を証明していた。

 俺はふと、昔読んだ漫画であった、主人公の死体がぱっと消えて神に連れ去られたシーンを思い出した。俺は『もし神がこの世界に本当にいるのなら、彼はきっと神のところに行ったのだろうか』とそんなどうかしている幻想を抱いた。もちろん周囲の人間達も大騒ぎをした。中には「転生」だとか「転移」だとか大はしゃぎしている者もいた。

 何を言っているんだ? 狂っているのか? 

 狂気と喧騒に包まれた空間で、俺も狂った様に何かを叫び散らしながら、少年が居た場所に手を伸ばした。警官が慌てて俺の動きを止めてきた。……それから俺は留置所に連れて行かれた。

~~~~~~~~

 留置所の中で、俺は人を、それも前途ある学生を殺したかもしれない事に怯え、苦しんだ。強い後悔が胸を苛んだ。死ぬべきだったのは自分なのではないかと思い、死刑になるのではないかと恐怖し、自分の命を優先している事に気がついて、その浅ましさに自分自身を嫌悪した。

 やがて、裁判が行われる事になった。この事件は全国で取り沙汰された。何せ人が1人消えたのだ。神の存在だとか転生、転移の証明だとか騒がれた。俺だけでなく、俺の家族も記者団に執拗に追いかけられた。どんどん精神的に参っていく家族を見て、気が狂いそうだった。子供達は後ろ指を指されて学校に行けなくなり、妻は仕事を失い、精神的に病んでしまった。

~~~~~~~~~

 裁判は難航した。俺が人を轢いた事は確かだが、その人物が多くの人の目の前から消えたのだ。判決を下す為の根拠が無かった。女医の証言から、あの時点で少年が生きていた事は確認された。また、多くの人が信号無視をしたのが少年である事を証言した。そのおかげもあり、世間では同情の声が上がり始めた。だがもう俺にとって、そんな事はどうでもいい。今の現実を受け入れることの方が辛かった。

 あれから俺は職を失った。車関係の仕事にはもうつけなかった。運転しようとする度にあの衝撃を思い出して、嘔吐し、手が震えた。

 横断歩道に近づく事も怖くなり、まともに外に出る事も難しくなった。心に傷を負った家族を養わなければならないのに、俺はもうまともに生きる事が出来なくなった。

 慰謝料の支払いも、俺に重くのし掛かった。判決は有罪となり、莫大な慰謝料を支払う事になったが、まともに仕事もなく、外にも出られない俺にはそれを支払う事などできなかった。

 そうして俺は相手家族に恨まれ、家族に恨まれ、マスコミに叩かれ、面白半分で家を特定してやって来た心ない人間達に生活を奪われた。

~~~~~~~~~~

 生きるのが辛く、苦しくなった。妻とは離婚し、子供達とも別れる事になった。もう誰もいない古ぼけたアパートの一室で、日々何もしないで過ごした。そんな生活が一年も続けば、俺の生きる意欲を奪うのには十分だった。

 テレビの報道によると、若者の自殺率も上がったらしい。転生や転移の可能性が現れた為に、苦しい現実から逃れようと自殺する若い世代が増えたのだそうだ。その度にテレビであの事件が取り沙汰された。今この瞬間も俺の様に人生を壊された人が増え続けているのだと知ると、全ての始まりとなった俺は生きているべきなのだろうかと日々悩み続けている。

 そうして今日も俺はテレビを見て1日を無為に過ごす。やがて眠くなり、目を閉じた。

~~~~~~~~~~

 目を開けると、目の前には人間とは思えない美貌の女性がいた。そして彼女は口を開いた。

『申し訳ありません。あなたには飛鳥を転移させる為のお手伝いをしていただきたかったのです……』

 彼女によると、別の世界で現れた魔王を倒す為に選んだ勇者があの少年であり、彼を連れて行くには、この世界との繋がりを限りなく切る、つまり死にかけの状態にする必要があったのだそうだ。その役割に選ばれたのが俺であり、ただ偶然、知らない世界の為に、俺の人生も家族も少年の家族も犠牲になったのだ。

 その上、彼女が言うには、その少年は力を与えた結果、傲慢になり、自分の欲望を叶える為だけに生きているのだという。つまり、俺の人生は無駄に消費されたのだ。それを申し訳なく思った為、今回俺の夢に現れたらしい。仮に少年が魔王を倒していれば、彼女は俺を救う気がなかったのだという事を俺は理解した。

『……あなたへのお詫びと言ってはなんですが、あなたの願いを2つだけ叶えてあげましょう』

 どこまでも上から目線で、人の人生をなんとも思っていないのが見て取れた。

「分かった。なら……全てを戻してくれ」

『全てというのは?』

「あの事故があった日から起こった理不尽を、全て消し去ってくれ。俺の人生を返してくれ」

 彼女は微笑み、それを約束した。不思議な光が俺を包んだ。あの少年を轢いた時の感触が薄れ出した。記憶も朧げになって来た。

『一つ目の願いは叶えてあげました。それではもう一つの願いはどうしますか?』

 俺はしばし考える振りをした。本当の願いはとうに決まっていた。やがて俺は笑いながら答えた。

「あんたが苦しんで死ね」

 そう言った俺を、彼女は目を丸くして見つめてくる。

『どういう……?』

「言葉の通りだ。苦しんで死ね」

『そんな事が許されると!』

 だが次の瞬間、彼女は胸を抑えて苦しみ始めた。手足がボロボロと崩れ始め、あまりの痛みに泣き出した。

『嫌! 嫌! 嫌!』

 そう騒ぐ彼女を見て、俺は何も感じなかった。ただ心の中を充足感が包んだ。

 しばらくして、散々苦しんだ彼女は死んだ。俺がそれを嘲笑いながら見ていると、だんだん意識が戻ってくる様に感じた。

~~~~~~~~~

「そろそろ仕事なんだから起きなさいよ」

 懐かしい声が聞こえて来た。妻がいる。

「お父さん! 起きて!」

 腹にのしかかって来たのは大切な息子だ。

 俺は慌てて起き上がると、机に置かれていた新聞の日付を見る。日付は一年経っているが、何もかもが元どおりになっていた。

「は、はは、はははははは!」

 俺は思わず笑い出した。テレビでは一年前に失踪した少年の死体が見つかったという、ニュースが流れていた。
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