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第9章:再起編

壊れた心

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ジンがゆっくりと目を開ける。失ったはずの光が網膜を照らし、その強さに思わず目を閉じた。

「気が付いたかい?」

 横から声をかけられて、ようやく自分が硬いベッドに寝かされている事に気がついた。反射的に飛び起きて両手で対応できる様に構えた。そこで彼は自分の手足がまともに動く事を理解した。つまりあの白い空間でラグナと会話した通り、結局無神術に頼ってしまったのだ。

「ああ」

 ジンは警戒を緩める事なく、ソールを睨みつける。相手の戦力が把握できていないのに、迂闊に動く事はできない。その雰囲気から、ジンの知る限り最強のラグナの使徒であるティファニアや、フィリアの使徒であるイースよりは弱いと推測する。近しい強さで例えれば、かつてレヴィに殺されたラグナの使徒であるミリエルだろう。

 そこまで瞬時に考えてから、今度は素早く部屋の中を確認する。何日もいた拷問部屋ではあるが、束縛されているのとされていないのとでは得られる情報が異なってくるからだ。そんなジンの様子に気づいたのか、ソールは首を横に振った。

「怖がらなくてもいい。これ以上私は君を傷つけるつもりはないよ。だって、私の読み通り、君は無神術をまた扱える様になったみたいだからね。だから落ち着いて欲しい」

 その言葉を、一瞬ジンは理解出来なかった。普通の人間なら精神に異常をきたすような拷問を彼に施したのだ。それなのに、まるで問題はなかった様な顔で、むしろ自分の考えが正しかった事が心底嬉しそうだった。ジンに対して警戒心すら抱かず、むしろ親しみさえ抱いている様だった。その得体の知れない薄気味悪さに、ジンは気分が悪くなった。

「壊れている……か」

 ジンはラグナの言葉を思い出す。確かに目の前にいる彼女は狂っている。しかし、それもラグナとその使徒達が生み出したのだと考えると、今まで自分が何も知らなかった事を、そして知ろうとしなかった事を改めて彼は理解した。

「何か言ったかい?」

 この場で怒りに任せて、ソールに攻撃する事もできる。そして、おそらく油断している今の彼女であれば、殺す事は可能である。しかし、彼の頭の中の冷静な部分がその考えを否定した。彼女はラウフ・ソルブの鏡の在処を知っており、さらに結界を解除する術を持ち合わせているのだ。彼女を殺して結界が消えるならば良いが、そうでない場合、余計な苦労が増える事になる。

『殺すのは全て終わってからすればいい』とジンは頭の中で考える。そこにかつての甘さは存在しなかった。ソールの拷問は、たとえどんな人間であっても、殺人そのものを忌避するジンの精神を微かに歪ませる事に成功していた。大きく壊れなかったとはいえ、彼の心もやはり無傷のままではいられなかったのだ。しかし、それにジンは気づかなかった。

「いや、なんでもない」

 ソールの質問に首を横に振り、ジンは気持ちを抑えて彼女に笑いかけた。

~~~~~~~~

「それで、俺は何日ぐらいあそこにいたんだ?」

 改めて場所を変え、2人はソールの部屋にいた。ちなみにドクはその場で別れた。ソールの仲間である事を考えれば、彼も殺してやりたいとジンは思ったが、それを表には出さなかった。しかし、それが余計に不気味さに拍車をかけ、ドクは逃げるように立ち去ったのだった。

「1週間って所かな」

 悪びれもせずに、そう答えるソールに反吐が出そうになる。

「喉乾いているだろう。さあ、お茶を飲みなさい。大丈夫、今度は何も入っていないから」

 ジンの目の前にあるお茶をソールが勧めてくる。しかし、ジンは警戒してそれを手に取る事はなかった。その様子に気づいた彼女は「美味しいのに」と小さく肩をすくめてから、ジンの前に置いたお茶を取ると飲み始めた。

「それで、ゼルとイーニャはどうした? 元々俺はあいつらの護衛で来たんだが」

「ああ、安心していいよ。彼らは私の部隊が無事に送り届けたからさ。君がいなくなった事で少し五月蝿かったから面倒なんで殺そうかとも考えたんだけどね。流石に大商会の主とキャラバン隊のトップを殺すと後々面倒だからね」

 その言葉を聞いてジンは安心する。流石に何も考えられないほど狂っているわけではないらしい。

「だから残念だけど、子供だけで諦めたよ」

「は?」

 しかし、そんな彼の甘い考えは容易く砕かれた。

「……殺したのか?」

「いや、まだだよ。君の拷問で手が回らなくてね。誘拐したはいいけど、まだちゃんと彼に時間をかけられていないんだ。真っ暗闇の中で数日いるから心は壊れているかも知れないけどね。最近泣き声すら聞こえないし」

 自分に懐いているアファリの顔を思い浮かべて、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。怒りで目の前が真っ赤に染まり、その心地良い感情に全てを任せようとして、なんとか抑え込む。

「……解放する事は出来ないのか?」

「まあ、別にいいけど。でも罪には罰を与えなければいけないんだ。この砂漠で生きていく上で、使徒は絶対的な立場にいる。そんな存在に不快な思いをさせたんだから、しっかりと罰しなければならない。だが知っての通り、ゼル夫婦はこの砂漠で必要な存在だ。それならば彼らの子供が代わりにならなければ。じゃなきゃ不公平だろ?」

「何に対して?」

 狂った理論を嬉々として話すソールに、ジンは思わず尋ねる。その質問に、ソールは一瞬口を閉ざし、彼女の顔から感情が抜け落ちた。

「だってそうじゃないと、あの子が死んだのは理不尽じゃないか」

「あの子?」

 再度問いかけるも、それ以上ソールはその事について話すつもりはない様だった。それを理解したジンは脇道に逸れた話を戻す。

「とりあえず、アファリは解放してくれ。代わりの罰なら俺が受けるから」

 何をされるか分からないが、無神術を改めて使える様になった今、彼はよほどの事がない限りは死なない。耐え難いほどの痛みすらも乗り越えてきたのだ。今更もう少し拷問された所で問題はなかった。

「君がそこまで言うなら解放しよう。君が肩代わりする罰についてはまた後日という事で。それじゃあ今からラウフ・ソルブの鏡についての話を始めようか」

~~~~~~~

 それは数ヶ月前の事だった。

 赤子の産声とともに、激しい痛みと力が半分奪われた事で気絶した法魔の代わりに一つの魂が浮上した。少女は下腹部から生じる痛みを堪えながら、まだ生まれたばかりの自分の赤子を抱いてすぐに『転移』する。

 そこは彼女の大切な友人がセーフハウスとして利用している家の中だった。そこに彼女が逃げ込んでいるかは分からなかった。誰もいなければ、生まれたばかりの娘の命はない。法魔は奪われた力を取り戻そうとするはずだからだ。必ず殺すだろう。だからその決断は賭けでしかなかった。しかし、彼女に頼る以外、少女には選択肢が無かったのだ。

 今回の事は完全に奇跡だった。魂全てが取り込まれていなかったのは偶然ではなく必然だった。かつて少女の延命のためにかけられた『生命置換』という術が、彼女の魂のあり方を歪めたおかげで、彼女の意識は僅かながら残っていた。その僅かな欠片が出産により、法魔の魂が大きく揺れた事で表に浮かび上がる事ができたのだ。しかし、奇跡はいつまでも続かない。時間は限られていた。

「誰か、誰かいるか!」

 少女は腹部から来る痛みを堪えて叫ぶ。するとその声を聞いたのか、小柄な少女が兵とがっしりした体格の青年、そして2人の少女を連れて駆けてきた。その姿を確認して、思わず顔を綻ばせた。

「こ、こんな所まで来るなんて……」

 駆けてきた小柄な少女は怯えた表情を浮かべながら武器を構える。そんな彼女を無視して、少女は歩き寄る。

「この子を、この子をどうか育てて欲しい。ボク達の子供を守って欲しい」

 その言葉を聞いて、彼女の友人達は今目の前にいるのが誰なのかに気がついた。

「あなた、もしかして!?」

 小柄な少女の後ろにいたピンク色の髪の少女が驚愕する。

「ごめん、詳しい事を話している時間はない。あいつが目覚める前にどうかこの子を受け取って」

 ピンク髪の少女の声に驚いて、赤ん坊が目を覚ましたらしく、大声で泣き始める。そんな子供を愛おしそうに眺めてから、その額に銀髪の少女はキスをした。

「あいつがこの子に気づけないように、今その力を封印した。だけど急いでここから逃げるんだ。どこか遠く、見つからない場所に」

 そう言って、少女はピンク髪の少女に子供を渡した。

「あなたはどうするの?」

 小柄な少女が尋ねる。

「ボクは戻る。戻って奴が目覚める前にここに来た痕跡を全て消さないといけない」

「……分かった。きっと立派に育ててみせるから。安心して」

 真剣な顔で小柄な少女が言った言葉にその場にいた彼らは賛同した。

「それで、この子の名前は?」

 普段は気怠げな顔をしている少女も今は真面目な顔を浮かべている。

「この子の名前は……」

 銀髪の少女は、生まれたばかりの赤子の名前を彼らに伝えると元いた場所へと『転移』した。

「……グスッ、シオンくん」

 マルシェは思わず泣き出す。そんな彼女の肩をルースは優しく抱いた。

「とにかく、急いでここから離れましょう」

 アルトワールの言葉に、皆頷く。いつでも逃げられる様に既に準備は終えている。

「シオン……」

 赤子を託されたテレサは、いまだに泣き続ける赤子を落ち着かせようと揺らしながら大切な妹の様な存在である少女の名を呟いた。
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