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第7章:再会編

地獄

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 ジンはシオンと別れて走り出す。だが市を抜けた所で、彼の目に入ってきたのは正しく地獄だった。其処彼処から漂ってくる肉の焼けた匂い、自分たちも大怪我をしているのに死んだ家族に縋り付く死にかけの子供達、黒こげの幼子を抱きしめて泣く母親、瓦礫の下から滲み出している夥しい血と肉片、鋭い何かに切り裂かれた様にバラバラになっている人々。そんな光景がずっと先まで続いている。

 それを見たジンは思わず立ち尽くす。

「……これをあいつがやったのか」

 普通の魔物や魔人の様に捕食するためでも、遊ぶためでもなく、ただその場に偶然居合わせたから殺した。だから死体に興味はなく、口もつけていない。その光景が示すのは、レトが今まで出会ってきたどの魔人とも異なるという事だった。レヴィは食事として人を捉え、喰い殺していた。アイザックは守るために人を殺した。だがレトはただ目的もなく人を殺す。人の死に価値を生み出さない。それを理解し、拳を握りしめた。

 ふとジンの耳に誰かの助けを呼ぶ声が聞こえた。その声を頼りに現場へ向かうと、崩壊しかけた建物の前で泣きながら、必死に瓦礫の下敷きになっている15歳ほどの少女の腕を引っ張って助け出そうとしている7歳程度の少年がいた。

「姉ちゃん! 誰か、誰か助けて!」

「もういいから! あんたは逃げなさい!」

 頭に破片が当たったらしく、大量に血を流している。片足が瓦礫に挟まれた様で、すぐに完全に潰れていることにジンは気がついた。だが彼女は痛みを堪えながら少年に叫ぶ。それを見て、すぐにジンは少年の下に走った。

「待ってろ、今助ける!」

 ジンは瓦礫を掴み簡単に持ち上げる。少年には重くても、彼にとってはそこらの石となんら変わらない。その隙に少年が引っ張り出そうとするが、まだ幼い彼では姉の重みに負けてしまった。

「離れてろ」

 そう言って少年をその場から離れさせると、ジンは少女に手を伸ばし、抱き上げる。案の定、瓦礫に足が完全に潰されていた。安堵した彼が少年の方に顔を向けると、彼の目に姉が助かった事で嬉しそうな顔を浮かべて駆け寄ってくる少年の頭上から、巨大な破片が落ちてくるのが目に入ってきた。

「ジュリアン!」

 少女が叫んだ。それで、少年は思わず立ち止まり、頭上を見上げた。次の瞬間、ジン達の目の前で真っ赤な花が咲いた。

「あ……ああ……あああああああああ!」

 ジンの胸の中で少女が狂った様に叫ぶ。ジンに抱かれながら必死になって瓦礫の下にいるはずの弟に手を伸ばした。目の前で起きた事に呆然としていたジンの頭にパラパラと破片が落ちてくる。それに気がつき、彼が素早く見上げると、連鎖的に壁が崩れ、石塊が落ちてきていた。

「くっ!」

 ジンは素早く地面を蹴って、少女を守るために降りかかるそれを回避した。それから彼は泣き狂う少女を、ある程度の距離を取った所で地面に下ろした。そしてすぐに彼女の足の止血を始める。

「痛むが我慢してくれ」

 だがその言葉に、少女は答えない。小さく「どうして」と何度も繰り返し呟いている。足の痛みすら感じていない様だった。応急処置が終わると、ジンは彼女の顔を改めて見た。姉と似た様な髪色をしている彼女に、ナギの面影を見た。

「……すまない」

 思わずそう呟いた彼の言葉に、少女が反応する。

「なんで……なんでジュリアンを見捨てたの! どうしてジュリアンを!」

 憎悪の籠もった目でジンに叫ぶ。

「許さない! 絶対に許さない!」

 その言葉を聞いてジンは苦しくなる。少女は立ち上がろうとして、脚が無い事に気がつき、代わりに手近な石を取って、ジンに投げつけた。

「死ね! 死ね!! 死ね!!!」

 ジンは甘んじてその憎しみを受け入れた。額にぶつかった石のせいで血が流れた。

「すまない」

 もう一度その言葉を言うと、少女の目から大粒の涙が溢れ始め、握っていた石を弱々しく落とした。

「どうして……どうしてあの子を助けてくれなかったの」

 その言葉に胸が締め付けられる。自分があの時戦っていれば、この様な凄惨な光景は生まれなかったのでは無いか。そんな感情に心が苛まれる。突如、兵舎から爆発音が鳴り響いた。ジンはそちらに目を向ける。煙が何本も立ち上っている。どうやら戦闘が行われているらしいとすぐに理解する。

「少しだけ我慢してくれ」

 泣きじゃくる少女を抱き上げると、ジンは安全そうな場所へと彼女を運ぶ。皮肉な事に、レトが吹き飛ばした場所が臨時の避難所の様な役割をしていた。そこには逃げてきた多くの人が傷つき、休んでいた。どうやら偶然街に出ていた騎士達が率先して人々の救助を行っている様だった。遠くにシオンが指揮をしているのが見えた。

「この子を頼む」

 ジンは近くにいた騎士に少女を渡すと、兵舎へと歩き出した。

「許さねえ」

 彼の呟きが少女の耳に届く事はなかった。それから風の様に走り始めた彼は、誰かの助けを求める声を無視し続けた。彼には全てを救う事は出来ない。何よりもここでレトを倒せなければ、より多くの人が命を失う事になるからだ。

 恐らくアレキウスが戦っているのだろうとジンは考えた。彼の協力がなければ、ジン1人ではとてもレトには勝てない。だからこそ、彼が戦っている隙にレトを殺す算段をつける。これが最も勝率が高い。だがそのためには、人々を救助する時間的余裕はない。だからジンは血が出るほど唇を噛みながらも、人々の声を無視して地獄の中を走り続けた。

~~~~~~~~

 再びの大爆発で、兵舎はもはや形を成していなかった。アレキウスは舞い上がった灰を吸って咳き込みながらも、相手の隙を窺う。

『兵舎に詰めていた騎士達のほとんどが既に死んだろうな。全く、爆発とか狡いよな。しっかし、隙ねえなクソッたれ。近寄れば結界みてえに張り巡らされた法術が飛んできて、距離を取れば遠距離の法術が飛んでくるとか、どうやって戦えってんだ』

 心の中でぼやきながらも、一挙手一投足を見逃さない様に注意深く観察する。

【どうした、威勢がいいのは最初だけか?】

「まあ待てよ。どうするか考え中なだけだ」

【ふむ、だがあまり待ってやれぬぞ?】

「はっ、ケチケチすんじゃねえよ。法魔だろ?」

【勘違いするなよ。貴様に価値がないと判断すれば、今すぐ殺すぞ】

「へぇ、そいつはおっかねえなっ!」

 アレキウスは空中に人の頭よりも一回りは大きい岩の塊を作り出すと、それを真っ赤な炎で包み、放つ。だがそれは床から突如湧き出した水の柱に防がれた。猛烈な水流はそのまま岩の勢いすらも殺してしまった。

「マジかよ!?」

【『炎岩弾』はこうやるのだ】

 そう言うとレトは空中に五つもの岩の塊を生み出した。その大きさはアレキウスのものよりも一回りも二回りも違う。さらに青い炎がそれを包み込んだ。

「おいおい、嘘だろ!?」

 五つもの『炎岩弾』がアレキウスに放たれる。そのスピードは彼のものの数倍はある。だが腐っても使徒であるアレキウスはそれらを回避する。しかし彼の想像とは異なり、青白い岩の塊は生き物の様に、アレキウスを追いかけ始めた。

「くそがっ!」

【ほらほら、避けんと死ぬぞ】

 岩にぶつかったものが瞬時に燃え始める。岩に当たればどうなるか想像に難くない。

「うおおおおおお!」

 アレキウスは近づいてくる岩を『岩壁』を作って受け止める。ガンガンと岩が壁にぶつかるが分厚い壁のおかげか動きを止める事ができた。しかし安心したのも束の間に、すぐに岩が溶け始める。

「マジかよ!」

 あまりの相性の悪さに舌打ちする。アレキウスは水法術を使えないため、岩を覆う炎を消す事が出来ない。

『どうする? たかが一つの法術でここまで追い込まれるとかあり得ねえだろ』

 まとまらない思考で次々と迫ってくる岩を回避する。だが、その様を楽しそうに眺めていたレトも退屈に感じる様になった。

【もう手はないのか? ……お前も期待外れか】

 ため息をついた途端、五つの岩が消える。アレキウスはわずかに呼吸を乱しながら、武器の幅広の大剣を構えた。

【所詮、使徒といっても雑魚の部類か。これならあの娘の方が楽しめそうだったな】

 レトはシオンを思い出す。潜在能力は彼女の方が目の前の男よりも上だった。大きな問題として、彼女は自分の前に立つと戦えなくなるのだが。その上フィリアの命令により手を出す事もできない。ただ、鍛えれば恐らく四魔にも届きうるかもしれない力を秘めている事を彼女は直感していた。

「んだと?」

【もういい。さっさと死ね】

 無造作に右手をアレキウスに向ける。光が掌に収束していった。

「やべぇ!?」

 何がくるかを咄嗟に理解したアレキウスは的を絞られない様に高速で移動する。

【煩わしい】

 だが、そんな事はレトには関係なかった。収束した光が幾つにも分かれ、その空間の至る所に放たれた。光の速さで飛んでくるそれを、アレキウスが回避できる道理はなかった。

「くっ!」

 だが被弾を覚悟した彼の所まで、光線は届かなかった。

「な、なんだ?」

 呆然とする彼の目の前には、法術師団の制服である法衣を豪快に改造した、いけ好かない同僚が立っていた。

「いやー、間に合って良かったっすね。それにしてもアレクさんボロボロじゃないっすか、笑える。あははは」

 緊張感なく揶揄うウィリアムに苛立ちを覚えつつも安堵する。

「うるせえ。それよりも陛下は?」

「まだ時間かかります。俺は先行隊として先に来たんで」

「はっ、そうかよ」

 普段はイラつかせる男の頼もしさに、思わずアレキウスは苦笑する。

「それで、あいつが例の?」

「ああ、法魔だ」

「うわー、マジか。確かにヤバそうだ」

 ウィリアムは軽そうに言うが、どことなく声に緊張感が漂っている。

『そりゃそうか。法術についてなら、こいつの方が詳しいからな』

 アレキウスよりもウィリアムの方が本能的に、レトの恐ろしさに気がついているのだろう。

【新手の使徒か】

「まあ一応」

【見た所、法術に特化している様だな】

「そうっすね。でも流石にあんたと比べる気にはならないけどねー」

【面白い。ならば術比べといくか】

「いやいや人の話は聞きましょうよっと」

 言い終わるか終わらない内にウィリアムが風の斬撃を放つ。だがレトも同じ技を遅れながら放った。二つの斬撃は空中でぶつかり合い、暴風を引き起こす。

「うわー、不意打ち失敗」

【少しは期待できそうかな?】

「ご期待に添える様に頑張りますよ」

 そう言いつつも、彼の頬を一筋の汗がつうっと流れ落ちた。
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