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第4章:学園編

決意

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 水滴の落ちる音でアイザックは目を覚ました。薄暗いジメジメとした部屋の中に自分はいるらしい。仰向けにされており、手足が動かず、頭も固定されていることからどうやら拘束されているようだ。徐々に鮮明になりつつある意識で何があったかを必死になって思い出そうとする。最後の記憶は逃げている最中に何かが頭にぶつかったというものだった。

 突然ギイッという音が鳴って、誰かが近寄って来る。

「だっ、誰だ!わ、私をクルデリス家のものと知っての狼藉か!」

 震えそうになる体を必死に抑えて声を張り上げる。その様子を見てその誰かはクスクスと笑った。

「知ってるよぉ、もちろん。だって前々から目をつけていたからね」

 アイザックを馬鹿にするかのようなその声には聞き覚えがあった気がした。

「お、お前は一体?わ、私をどうするつもりだ!」

「くふふふ、なぁにただ僕の実験に少しだけ協力してもらうだけだよ」

「実験?」

「そう、実験」

 本能はガンガンと警鐘を鳴らしている。だが下手に刺激すれば命の保証はない。そう判断したアイザックは恭順の姿勢を示す。

「わ、わかった。私は何をすればいい?」

「いやぁ、別に君は何もする必要はないよ。こっちで全部できるからね」

「じゃ、じゃあ言うことを聞くからせめてこの手枷だけでも切ってくれませんか?」

「手枷?」

「え、ええ」

 アイザックの言葉に疑問を感じているようだ。おそらくどうするか考えているのだろう。そう当たりをつけたアイザックは再度要求する。

「どうかお願いします…せめて手枷だけでも…」

 手足の拘束さえ解ければ、ここから逃げるための何かしらの手段は取れるはずだ。なにせアイザックは強者しか入ることの出来ないAクラスの生徒なのだ。その辺の研究者など容易に倒すことはできるはずだ。

「手枷…ああ、なるほど」

 何か理解したかのようにパンと手を叩く音がすると急に首を拘束していた力が緩んだ。すかさずアイザックは自分の体の状態を確認しようとして…

「あ、ああああああああああ、私の、私の腕があああああああああああ、脚がああああああああああああああ」

 自分の両腕が肩の付け根から切断されていることに、それどころか両脚すら股の付け根から喪失していることに気がついた。発狂したかのような叫び声が部屋の中で響き渡る。

「ごめんよ、次の実験で邪魔になるから勝手に切らせてもらった。でも安心してくれ、君の手足はしっかりとこちらで活用するから。それに痛みを感じるはずの部位は脳から切除してあるから痛みもないだろ?」

 申し訳なさそうに男はアイザックの顔を覗き込む。ようやく相手の顔を確認することができたアイザックはそのよく知る顔に驚愕する。

「あ、あなたは…」

 男はそんな彼に柔らかい笑みを浮かべる。状況が状況でなければ人を安心させてくれるような優しさに溢れている。

「それじゃあ他の子達にも施術しなきゃいけないから少しだけ待っててね」

「こ、殺す、絶対に殺す!」

 アイザックが吠える。

「くふふ、どうやって?」

 アイザックの言葉を一笑にふすと、来た時と同じようにゆっくりと部屋から出て行った。錆びたドアがバタンと音を立てて閉まった。

~~~~~~~~~~~~

 地下室を出た男は自室に戻ると、仕事机の前にある回転椅子にドサリと腰を下ろした。

「くふ、くふふふふふふふふふふふ、くははははははははははは!」

 天井をしばらく見つめていた彼は徐々に笑い始める。心の底から愉快な気持ちでいっぱいだ。第一、二目標は捕獲できなかった。それは仕方ない。今回はその時ではなかったということだ。だがAクラスの中でもトップクラスの生徒を鹵獲できたことは大きい。今まで実験してきた個体の中でも、能力値だけなら10本指に入るはずだ。能力が結果に影響するならば、彼はきっと自分の研究に何かしら役立ってくれるだろう。

「それに…」

 合成獣から他の者たちに紛れながらこっそりと回収した、彼が独自の方法で開発した記録装置を調査した結果、1つ分かった事実が彼の胸を踊らせる。

「まさか…まさか無神術の使い手が私の前に現れるとは!これもあの方のお導きか!」

 目を見開き、再度狂ったように笑い始めた彼は一人の少年に想いを馳せる。何もない空間から突如ナイフを作り出していた。そして闘気や法術で強化しただけでは到底出ないほどのスピード、あれは無神術によるものだろう。

「彼を使えば一体どんな結果を得ることができるのだろうか。ああ、早く彼で実験がしたい!」

 狂人の笑い声は闇の中へと溶けていった。

~~~~~~~~~~~~~

 シオンが目覚めるとそこは救護院にある一室であった。力を使い果たしたためか起き上がることすら億劫だった。ふと腕を動かそうとすると胸の辺りに鈍い痛みが走る。それによって徐々に意識が覚醒し始め、そして何があったのかを思い出した。

 百目の蜘蛛、ジンが合成獣と呼んでいた魔物を思い出す。禍々しい姿は今まで見たことのない物であった。

 そしてもう一つ。朦朧とした意識の中で見た、相手の前に立ち塞がり、彼女を窮地から救い出してくれた影。朧げだが、その姿は今でも覚えている。絶望的な状況を覆した誰か。自分をかばうために傷ついていた誰か。シオンはその誰かに確かに救われたのだ。

 あの化け物と戦い、敗れた自分は本来あの場で死んでいたはずだった。だが彼女は生きている。『救われた』という事実が彼女に劣等感を抱かせる。今まで自分は強いと思っていたし、そうあるように努力をしてきた。だがあの戦いでそれは全て無意味なものだったと実感させられたのだ。圧倒的な強者には自分の努力では届かない。自分の不甲斐なさに涙が溢れそうだ。ただただ悔しかった。

 そんなことを考えていると誰かがドアをノックしてきた。慌てて目を擦ってからどうぞと答えると、恐る恐る顔を覗かせてきたのはテレサとマルシェだった。

「あっ、シオンくん起きてる!」

「あら、本当!」

 ぱあっと顔を輝かせてマルシェが駆け寄ってくる。ニコニコと笑いながらテレサもシオンの元にまで来た。彼女たちはお見舞いの品や替えの衣類などを持って来てくれたらしい。

「それで…あの後どうなったの?」

「あー、えっとね…」

 マルシェが事の顛末について話し始める。あの化け物がなんだったのか、詳しい話はされなかったらしい。むしろ他言無用だと言われたそうだ。テレサが隣にいるのにそれを話している時点で守れていないのではないか、と思いつつもシオンはその話をじっと聞いていた。

 あの後学校側がどんな対応をして、世間からの反応はどうなっているかという話、死んだ生徒たちの話、行方不明になった生徒たちの話などなど、様々な情報を知ることができた。

「…て感じかな。あ、でも私もあんまり詳しくないから後でジンくんに聞いたほうがいいと思うよ」

 突然マルシェが予想外の名前を出す。

「あいつに?なんで?」

 素直に不思議そうな顔をするシオンにニヤニヤとマルシェは笑う。

「むふふ、なんでってジンくんがシオンくんを助けたからだよー。ジンくん、格好良かったよ。『シオンを助けたい』みたいなこと言ってた」

「えー、本当!?いいなぁ、私も見て見たかったなぁ」

「しかもしかも、ジンくんがあの化け物を倒しちゃったんだって。すごいよね!」

 その言葉を聞いてシオンは愕然とする。見下していたつもりはないがあの少年は自分よりも弱いと思っていた。だが実際はどうだ。シオンが叶わなかった相手をジンは倒したのだという。彼女の心は深い感謝とともに悔しさが溢れ出した。魔物など怖くないと思っていた。だがあの化け物は彼女が想像していた物とは全く異なっていた。先ほど感じた悔しさが一層こみ上げ、涙がこぼれた。

「わわ、シオンどうしたの?」

「え?」

「どうかしたの?体調悪い?お腹痛い?」

 テレサとマルシェが不安そうな顔を向けて来たので慌てて否定する。

「い、いや大丈夫、なんでもないから。あ、そうだ!他のみんなはどうしてるの?」

 その言葉でマルシェの顔がさっ、と暗くなった。

「…あのね、さっき何人か行方不明になったって話したじゃん。その中の一人がアイザックんなんだ」

「え?」

「それにエルマーくんだけど、何かあったみたいで…その、言いにくいんだけど心が壊れちゃったみたい。ずっと真っ暗な部屋の中にこもってブツブツ何か呟いてるって、時々部屋の中で何かを壊す音が聞こえるから生きてはいるらしいんだけど」

 その言葉に再度シオンは驚く。あの臆病そうな少年に一体何があったというのか。聞けば彼は教師たちとともにシオンとジンを助けに来てくれたらしい。おそらくそこで心が壊れてしまうほどの何かがあったのだろう。

「あ、でも他は大丈夫だよ!ルースも足治ったし、イーサンくんも、リーナんも、アルるんも、クランちんも、もちろんジンくんも」

 シオンの様子を見て慌てて補足する。

「そっか…」

 シオンはぼそりと小さく呟く。その様子を見たテレサは立ち上がって帰る準備を始めた。

「マルシェ、シオンも疲れているみたいだから私たちは帰りましょう」

「え、でも」

「いいからいいから、ほら立って、準備して、しゅっぱーつ」

「え、え、待ってまだ他にも!」

「いいからいいから、じゃあねシオン、また来るから」

「シ、シオンくんまたね、テ、テレサちん押さないでってばー」

「うん、また」

 賑やかに去っていく二人の背中を見つめた。テレサは本当にいつも自分のことを分かってくれている。やがて静かになった部屋の中で、ベッドの上で涙を溢し始める。腕で目を覆い泣き続けた。救えなかった。自分は隊長で全員の命を預かっていたはずなのに。優秀であり続けようと努力してきたはずなのに。自分を助けてくれたあの人に恩返しができるように生きてきたはずなのに。結局どれだけ経っても、鍛えても、強く見えるように男言葉を使ってみても、自分は無力な少女でしかない。

 いつのまにか声を上げて泣いていた。

【もっと強くなりたい】

 もう何も失わないために、全てを守るために、強くなりたい。弱い自分を殺すと心の中で固く誓った。

 そんな彼女の慟哭を部屋の前の廊下で、壁に寄りかかって佇む少年が聞いていた。手に持った花束を強く握りしめる。やがて彼は部屋の中に入ることなく歩き去った。幾枚もの花弁がドアの前にはらりと落ちていた。

「強くなりてえなぁ」

 ぼそりと呟く少年の声は誰にも届かなかった。
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