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第4章:学園編

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 背中の傷から体内へと侵入した毒は全身を駆け巡って行く。ジンの体は激痛とともにどんどん麻痺していった。シオンを守ることはできた。だがその代償はひどく大きい。

 そんな彼をあざ笑うかのように蜘蛛が再度毒の塊を放射してくる。ジンは痛みに耐えながら『防壁』を発動する。集中できないためにその壁はあまりにも脆い。

 毒液はその壁をすぐに破壊した。だがその僅かなタイムラグで、なんとかシオンとともに転がるように回避することに成功する。

 毒によって碌に体も動かせない。万能薬も既にシオンに飲ませてしまっている。しかし満身創痍な彼の目には、まだ生き残ろうとする強い意志が残っていた。今度は全力で集中して『防壁』を六重に展開し、僅かばかりの時間を稼ごうとする。蜘蛛はジンの様子から好機と見たのか、執拗に攻撃を繰り返して壁を破壊する。保って1分あるかないかといったところだろう。

【どうやって逃げればいい?】

 ひたすらに逃走する手段を痛みに耐えながら考える。シオンを置いて逃げることはできないし、したくない。しかし彼女を逃がすためにできる選択肢は思いつかない。自分は生きなければならない。だが彼女がいては自分一人で逃げ切ることはできない。どちらかが犠牲にならない限り不可能だった。このままでは。

【じゃあ…】

 瞬時にそこまで考えたジンはシオンに持たせている治癒の短剣を奪い取り、自らの腹部に突き刺した。

 なぜ治癒の道具が剣の形をとっているのか。それは毒物が体内に入った時の緊急手段のためであった。そしてこの剣が最も効果を発揮するのは体内で発動した時だ。これはジンにこの短剣を下賜してくれたティファニアすら知らない事実である。

「—————————!!!」

 言葉にならない悲鳴をあげるジンをよそに、その体は急速に解毒を開始する。異変を察知したのか蜘蛛の攻撃が激しくなった。だがその前にジンの体からどんどん麻痺が抜けていく。

 ようやく最後の『防壁』が破壊された時、ジンの体は完全にではないがある程度まで動かせるようになっていた。壁がパリンと音を立てて壊れた瞬間、彼はシオンを抱えたまま思い切り左に向けて回避する。目指すは先ほど落としてしまった『黒龍刃』だ。それさえあればまだ蜘蛛を倒すチャンスはある。

 麻痺が残る足で必死に地面を蹴って短剣に近づいて回収しようとする。だが蜘蛛はそれを認めない。既に剣を粘着性の糸で地面に固定していた。それに気がついたジンは、しかしてほくそ笑んだ。万全の状態ではないが、ある程度思考力が回復した今なら剣を呼ぶことができる。

「来い!俺を喰らえ!」

 右手を剣にかざすと突如意志を保ったかのように『黒龍刃』が回転し、一瞬で自らを捕縛していた糸を容易く切り裂いた。そして浮かび上がるとジンの右手に猛スピードで飛び込んできた。それをジンは掴み取る。怨嗟の声がジンの頭に流れ込み、彼の魂を汚す。

 『黒龍刃』はレヴィがジンに残した呪いが封じ込められた短剣である。それは常にジンの魂を飲み込もうとしている。完全に吸収されればジンの人格は喪失し、おそらく魂のない人形のようなものになり、剣に操られるだけの存在になるだろう。

 通常解放する時はその呪いを意志の力でねじ伏せているが、自ら魂を差し出せば侵食は加速する。だがその代わりに得られるものがある。魂を呪いと同化させていくことで肉体を龍化させることができるのだ。魂という高い代償を払うかわりに強靭的な龍の力を少しだけ使うことができるようになる。諸刃の剣であるために可能な限り使いたくはなかった。しかし現状を打破するためにはこれしかない。

 呪いが全身に広がっていくと同時にどんどん肉体が再生し、強化されていく。麻痺が完全に消え去り、移動速度が増して背後からの蜘蛛の攻撃をジグザグに走りながら避けて一気に距離をとった。

 剣を持つ右手から呪いが拡がり、どんどん腕が黒ずんでいく。地面にシオンを横たえてその前に立ちふさがる。『黒龍刃』を、金神術を発動させて長剣へと変化させて腰に構える。蜘蛛はすでに全ての足を再生させている。ジンに熱線を放ちながら大蜘蛛は迫り来る。それを禍々しさを感じさせる黒い『防壁』で防ぎ切り、相手が自分の間合いに入るのを待ちかまえた。そして入った瞬間に、

「『呪龍爪炎斬』!」

 黒い炎の斬撃を飛ばし、返す刀でもう1つ放った。2つの斬撃は地面をガリガリと削りながら蜘蛛の胴体に打つかると8本の足を全て切り落とし、同時に呪詛を叩き込んだ。

「——————————————————!!!」

 呪いの炎が全身を駆け巡り、蜘蛛が金切り声をあげながらそのまま地面に落下した。ズンッという重い音が辺りに響き渡る。蜘蛛は苦しみながら必死に足を再生させようとするが一向にその気配がない。呪いの炎によって再生した瞬間から燃やされていくのだ。

「——————————————————!!!」

 再度悲痛に叫び、ついに動きが止まった。

~~~~~~~~~~~~

【痛い、痛い痛い痛い痛い痛い!】

 自分の体を黒い炎が焼いていく。激しい痛みから逃れるために必死になって再生を試みるも、その都度炎が体を燃やし、痛みが酷くなった。

 魂を汚染するかのような黒い呪いの炎が、翻って彼女の混濁した意識を覚醒させていく。そして、彼女はついに自分に起こっている異変に気がついた。

 視線がいつもの高さでないことに。苦痛で喘ぐ自分の声がいつものものではないことに。地面に落ちた手足が人間のものではないことに。視野が異常なほどに多いことに。そして、自分の肉体が人間のものではないことに。ようやく彼女は自分が醜悪な化け物になっていることを理解した。

【なんで!?どうして!?】

 現状を受け入れることができず、混乱した頭で必死になって周囲を見回そうとする。何から聞けばいいのかわからないが誰かに聞きたかった。自分の状態がどうなっているのか知りたい。このまま自分がどうなるのか知りたい。誰か原因を知っている者に聞きたい。様々な疑問が頭の中で駆け抜ける。だが黒い炎に視界を覆われ、辺りを見ることもできない。ただただ全身を焦がす痛みだけを感じ続けていた。

【痛い痛い痛い痛い痛い痛い!】

 必死になって叫ぶ自分の声は金属をすり合わせたかのような不快な音である。それが分かって一層絶望した。

【誰か、誰か助けてよぉ】

 だがどれだけ苦しくても、悲しくても、痛くても涙は溢れない。人間の言葉を発することはできない。誰も助けてはくれない。

 やがて徐々に炎が消えていく。ようやく晴れた視界には一人の少年が映っていた。

~~~~~~~~~~~~

「封印!」

 体を蝕む呪いを抑えるために長剣を再封印する。右腕から肩の付け根まで蝕んでいた黒い呪詛は徐々に剣へと戻っていき、長剣は完全に元の銀色の輝きを帯びた。

「かはっ」

 重度の虚脱感に苛まれ、右腕がひどく痛むが、荒い息をつきながら相手を見据える。まだ油断していいわけではない。最後の力で何かをしてくるかもしれないからだ。やがて剣が封じられたためか黒炎が鎮火していった。炎が消えると目の前には煙を上げながら弱々しい鳴き声をあげる蜘蛛がいた。

 ジンは痛む右腕を抑えながらもしっかりと剣を握りしめ、重い体を引きずって近寄る。蜘蛛は怯えたような動きを見せるが疲れ切ったジンはそれに気がつくことはない。

 蜘蛛は体を揺らしなんとか逃げようとするも、ただ転がるだけで、その上仰向けの状態になった。腹部が露出したのを見てジンは笑う。背中側からでは、胸部にあるはずの魔核までの距離が遠い。それをわざわざ相手の方からむき出しにしてくれたのだ。

 ジンは未だに動こうとする大蜘蛛の腹になけなしの力を振り絞って飛び乗ると、器用にバランスをとりながら胸部に長剣を突き立てて切り開いた。

~~~~~~~~~~~~

 目の前にいる少年が剣を振り上げる。その顔をようやく至近距離で見ることができて、弟の友人であることに気がついた。

【嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だやだやだやだやだ】

 だが無情にも彼が止まることはない。剣は自分の本当の『目』の前に突き刺さるとどんどん下へと進んでいく。その痛みが彼女の頭をどんどん鮮明にしていった。そして次々に自分が今まで何をやっていたのかを思い出す。

 空腹から手近にいた少年を、少女を襲い喰らった。逃げ惑う姿がおかしくて遊びながら殺した。攻撃してきたのが腹立たしくて、細切れにした。殺して殺して殺して殺して…ただ本能のままに人を喰い続けた。恐怖で怯えた少年少女たちの顔がどんどん浮かび上がってくる。

【ああ…私は…】

 彼女は肉体的な痛みを超えるほどの心の痛みに苛まれる。もう自分が弟に会う資格もないことを理解した。そしてこの苦しみから逃れたいという思いが強くなっていく。

 光が徐々に差し込んできた。その眩しさに目を細めながら少年を見つめる。逆光のために彼の表情はわからないが驚いているのは雰囲気でわかった。

「………勘弁してくれよ」

 少年がそう呟いたのが聞こえてきた。

~~~~~~~~~~~

 未だ開いている眼が一斉にジンを見つめる中、彼は胸部を切り開いた。視線を落とすと目の前には少女がいて、内臓と癒着していた。どうやら彼女が素体であったらしい。そしてジンはすぐに気がついた。

「………勘弁してくれよ」

 その少女がエルマーの姉、サラであることに。涙を浮かべている彼女が小さく口を動かした。

『どうか…私を殺して…』
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