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第2章:魔物との遭遇
ゴデック渓谷
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そんなある夜、ジンが寝たことを確認してウィルとマリアが話し合っていた。
「原因は何かわかったのかい?」
その質問にウィルはこの一週間を振り返る。
「震えが起きるのは決まって無手の時だな。そんで闘気を練られないのは、武器を持ってる時もだ」
「でもあの子の話じゃ、闘気を練るのは得意だったって話じゃないか。よぉく聞いてみると、闘気を扱う事にかけては下手な冒険者や兵士よりも、いや一流の騎士よりも圧倒的な技術を持っていたみたいだし」
「それが本当ならってとこだがな。でももしあいつが事実を言ってるんだとしたら、考えられるのはあいつのトラウマじゃねーかな」
「どういうことだい?」
「お前もあの現場見ただろ?あいつが姉貴を殺した方法は素手で首をしめたことだ。でもガキの力じゃそんなこと出来るはずねーよな?」
「ってぇことは、あの子はそのことが心のどこかで引っかかって無意識に使わないようにしているってことかい?」
「そう考えるとしっくりくるな。そうすれば無手の時に体が震える理由もわかるしな。姉を殺した。それも姉のために鍛えてきた力で、そしてその感触が手に残ってるんだろうよ」
「………」
マリアはその話を聞いて押し黙る。もしウィルの推測が当たっているならどういうことになるか。その意味するものは…
「まああいつのことを考えるとその方がいいかもしれねえな」
「なんでだい?あの子はいま復讐したいっていう一心でここまで来てるんだよ?」
「おいおい、心にもないことを言うなよ。おめーだってわかってんだろ?復讐の辛さも、それに焦がれる虚しさも。どんなに思っても死んだ奴が帰ってこないということも。復讐心はそれを実感させて、そのせいでお前は、いや俺たちは何度も気が狂いそうになってきたじゃねーか。そんな道をあいつに歩ませたいのか?」
それはいつもマリアの心の中に伸し掛かっている痼りだった。
『自分たちのようにさせたくない。そんな風に生きて欲しくない。それでもあの子が今生きてられるのはその思いがあるからなんだ』
「…全くもってやるせないね」
「ああ、本当にな。でも俺たちがやらなきゃいけないことは決まってるんだよなぁ。どんなにそれをしたくなくても、俺たちの復讐を叶えるためには」
「うん…じゃああんたはこの問題をどう解決するつもりなんだい?」
しばしウィルは腕を組んで考える。
「それなんだよなぁ。今んところ一つだけ思いついたやり方があるんだけど、下手したらあいつが死ぬかもしれない」
「…何をやるつもりさね?」
「ゴデック渓谷を走破させる」
「!?何考えてるんだい!そんなことさせたらあの子は死んじまうよ!それにどんだけ時間がかかると思ってんだい?森になれた大人の足でも1ヶ月はかかるんだよ?あの子の足なら下手すりゃ3ヶ月はかかるさね!」
「それでもやるしかねえだろ。あいつが望む以上、俺たちは試練を与えてやるべきだ」
「私は反対さ!無駄死にさせるくらいなら、あの子にはここにいて平穏に過ごしてほしいよ」
「でもお前も見ただろ。最近のあいつの様子を。力が使えないことがわかってからどうなってる?食事もあまりとらなくなって、長時間部屋に引きこもるようになった。俺たちはいつ死ぬかもわからないんだ。あいつには自分で生き抜く術を教えてやらなきゃなんねえだろ。感情で考えるな、現実を見ろ」
いつものウィルらしくない冷酷な発言を受けてマリアも少し冷静になる。
「っ!わかったよ。たしかにあんたの言う通りだ」
「それじゃあ早速明日あいつを連れて行く」
「……」
「大丈夫だよ。あの森にはあの方もいるはずだ。きっとジンが森に入ったらすぐに監視の眼なりなんなりをよこしてしっかり見守ってくれるさ」
ウィルの言葉にマリアは渋々頷いた。だが彼らは渓谷で起こっている問題をまだ知らなかった。
そうして夜は更けていった。
森の中を疾駆する姿があった。ジンである。ウィルとの修行でわかったことは、生き物にまともに攻撃できない、闘気を纏えないということだった。それを踏まえて、この致命的な弱点を解消する療法の一環としてウィルが思いついたのはジンを深い森が広がる谷底に突き落とし3ヶ月以内にそこを走破しつつ、生き延びるというものだった。そして突然ゴデック渓谷という谷まで連れて行かれた。
ゴデック渓谷はバジットとジンたちの家の西方にある巨大なカルア山脈にある渓谷で、長さはおよそ百キロに及び、大人の足でも踏破には1ヶ月はかかるとされていた。谷底には樹海が広がり、その生態は未だによく知られてはいないが、魔物や魔獣の住処になっているということだけは知られており、稀にバジットなどの人里に下りてきては、町や村を襲うという事態も発生していた。
その日の朝早くジンはウィルに叩き起こされた。そして朝食もほどほどに、彼から『その障害が治るかもしれない方法がある』と言われた。ただしその方法で死ぬかもしれないとも言われた。それを聞いてジンは二の句も告げずに頭を縦に下ろした。そして一週間分の食料をいれたザックを持たせられ、山登りに連れていかれた。その過程から彼はてっきり山に籠って修行をするものだと考えていた。しかしその予想は谷の前で昼食をとるために立ち止まった時に、見事に外れたことがわかった。
『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすらしいぞ。あっ、ちなみにこの谷、壁を登らない限り、森を抜けなきゃなんねえ。それとこの森になれた大人でも1ヶ月はかかるから。ゴールはここから川の流れに沿った先に海があるから、そこな。まあ死なないように気張れや』
笑いながらウィルはジンを谷底に突き落とした。バジットで買った二本のサバイバルナイフと一週間分の食料と革製の水筒ともに。まずジンの第一の試練は安全に谷に落ちることだったのは言うまでもない。
そして現在、その食料も尽きていた。すでにこの森に落ちて10日経っていた。その間彼が行ったのは水源を探すことと食べられる物を見つけることであった。そして残り時間は偶然見つけた木の洞に潜り込み身を潜めたのだ。というのもファングやゴブリン、コボルドなどの魔獣がそこかしこにいたからだ。そんな風に似たような場所を探しながら徐々に先は進んでいった。
水源はすぐに見つけた。寝床もなんとか見つけられた。しかし食料だけは少ししか手に入れられなかった。単純に以前まで住んでいた王都近辺の植生とエデンのそれとでは全く異なっており、下手に見つけたものを食べようものなら食中毒で死ぬ可能性もあったからだ。あるいは体調を崩している時に魔獣に遭遇すれば簡単に殺されるだろう。バジットで見かけた果物のようなものを樹上に見かけたが、その木に登るにはコボルドの住処に近づくことになったので断念した。ついにはなんとか少しずつ食べていた食料も昨日なくなったのであった。
『ウィルのバカ野郎、ここから出たら絶対殺してやる』
自分で望み挑んだことではあったが、そのあまりの過酷さにすでに挫けそうだった。少しずつ、少しずつ川に沿って進み、明るいうちに夜寝られそうな場所を探す。この10日間で何度魔獣と遭遇しかけたかもわからない。その都度、木陰に隠れたり、川に潜ったりで、なんとかくぐり抜けてきた。
そんなことを思いながら、空きっ腹を水で満たして我慢しながら歩を進めていると、ようやく今日の寝床になりそうな木の洞を見つけた。そこに入り込み少し休憩をしようと腰を落ち着ける。狭いし、硬くて寝にくくはあるがそんなことを言っている余裕はない。漸く腰を落ち着けられたためか、緊張が途切れて眠くなり、少しだけ眠ることにした。
しばらくジンが目をつむっていると遠くから小さな音が聞こえてきた。そしてその音はこちらの木の周辺に近づいてきた。どうやらその音は声のようだった。興味本位で思わず恐る恐る木の洞から顔を出すと、白い光を放っている小さな球体が3匹のゴブリン達に追い立てられていた。
ゴブリンのうち一体は手に片刃の剣をもう一体は何かの木でこしらえた弓を、最後の一体は槍を持っていた。身長は100センチほどで緑色の皮膚に長い耳を生やし、鷲鼻の下の大きな口には黄ばんだ歯が並んでいる。体には動物の毛皮で作ったらしき腰布のみを巻いている。また身体中の所々にイボのようなものがぶつぶつとできており、それもジンに生理的嫌悪感を与えてきた。その3体は石を投げたり弓を放ったりしながらその光を攻撃しているようだった。
それを見たジンは急いで木の洞に戻ろうとした。
『こんなところで巻き込まれてたまるか』
訳も分からず問題に巻き込まれるなど彼にとって言語道断であった。しかも相手は武装しているのだ。姉たちを失う絶望を味わう前ならば、もしかしたら普通に立ち向かえたかもしれない。しかし今は無理なのだ。たとえ迎撃に行ったとしても、すぐにトラウマで震えが止まらなくなるだろう。何もせずに殺されるに決まっている。そんなことを少しでも考えていたことが彼にとって悪手であった。なぜならその光の玉がまるでジンを見つけたかのような動きをしてまっすぐ彼めがけて向かってきたのだ。ゴブリン3匹のおまけ付きで。ジンの体が思わず固まる。
『は?』
徐々に大きくなるそれを見てようやくジンはそれがピクシーであることに気がついた。マリアから以前聞いた通り、トンボのような羽を持ち、額には二本の細い触角が、しかしその姿は10センチほどの人間のそれである。
「助けて~。ヘルプ!ヘルプミー!そこの!!黒いやつ!」
その言葉を聞いて『あ!意思疎通ができるんだ』と場違いなことを一瞬思ったが、すぐに『完全に見つかった。やばい、逃げないと』という考えに至った。そこでジンは急いで木の洞から飛び出して右に走り出した。その先に川があったからだ。
『とりあえずそこに飛び込めば臭いも隠せるし、岩の陰に隠れればゴブリンには見つからないはずだ。まだゴブリンはこっちに気づいていないようだったから、このまま行けば逃げ延びることができる。体力を使うけど仕方ない』
焦る頭で瞬時に考え、その場から逃走した。彼の考えは正しかった。ただ一つ、ピクシーが彼を追いかけてくる可能性を除いていたことだけが彼にとっての失敗だった。
「待ってよ!なんで逃げるんだよ!助けてぇぇ!」
後ろからする声にジンは走りながら絶望する。ピクシーが自分のことを追いかけていることがわかったからだ。次の瞬間彼の顔の横を矢が通り過ぎた。それはそのまま近くの木に突き刺さった。ゴブリンに見つかったのだ。
『やばいやばいやばい』
慌てながらも飛び道具に当たらないためにジグザグに走り、木を防壁代わりにする。しかしそのために余計に体力を費やしていることがジンにはわかっていた。
『このままじゃ川までたどり着けない。戦うしかないのか?でもどうやって?』
混乱する頭では解決策は思い浮かばなかった。しかしどんどんゴブリンの声が近づき、後ろを見てはいないが、呼吸音がはっきりと聞き取れる距離にまで接近していることだけがわかった。
「原因は何かわかったのかい?」
その質問にウィルはこの一週間を振り返る。
「震えが起きるのは決まって無手の時だな。そんで闘気を練られないのは、武器を持ってる時もだ」
「でもあの子の話じゃ、闘気を練るのは得意だったって話じゃないか。よぉく聞いてみると、闘気を扱う事にかけては下手な冒険者や兵士よりも、いや一流の騎士よりも圧倒的な技術を持っていたみたいだし」
「それが本当ならってとこだがな。でももしあいつが事実を言ってるんだとしたら、考えられるのはあいつのトラウマじゃねーかな」
「どういうことだい?」
「お前もあの現場見ただろ?あいつが姉貴を殺した方法は素手で首をしめたことだ。でもガキの力じゃそんなこと出来るはずねーよな?」
「ってぇことは、あの子はそのことが心のどこかで引っかかって無意識に使わないようにしているってことかい?」
「そう考えるとしっくりくるな。そうすれば無手の時に体が震える理由もわかるしな。姉を殺した。それも姉のために鍛えてきた力で、そしてその感触が手に残ってるんだろうよ」
「………」
マリアはその話を聞いて押し黙る。もしウィルの推測が当たっているならどういうことになるか。その意味するものは…
「まああいつのことを考えるとその方がいいかもしれねえな」
「なんでだい?あの子はいま復讐したいっていう一心でここまで来てるんだよ?」
「おいおい、心にもないことを言うなよ。おめーだってわかってんだろ?復讐の辛さも、それに焦がれる虚しさも。どんなに思っても死んだ奴が帰ってこないということも。復讐心はそれを実感させて、そのせいでお前は、いや俺たちは何度も気が狂いそうになってきたじゃねーか。そんな道をあいつに歩ませたいのか?」
それはいつもマリアの心の中に伸し掛かっている痼りだった。
『自分たちのようにさせたくない。そんな風に生きて欲しくない。それでもあの子が今生きてられるのはその思いがあるからなんだ』
「…全くもってやるせないね」
「ああ、本当にな。でも俺たちがやらなきゃいけないことは決まってるんだよなぁ。どんなにそれをしたくなくても、俺たちの復讐を叶えるためには」
「うん…じゃああんたはこの問題をどう解決するつもりなんだい?」
しばしウィルは腕を組んで考える。
「それなんだよなぁ。今んところ一つだけ思いついたやり方があるんだけど、下手したらあいつが死ぬかもしれない」
「…何をやるつもりさね?」
「ゴデック渓谷を走破させる」
「!?何考えてるんだい!そんなことさせたらあの子は死んじまうよ!それにどんだけ時間がかかると思ってんだい?森になれた大人の足でも1ヶ月はかかるんだよ?あの子の足なら下手すりゃ3ヶ月はかかるさね!」
「それでもやるしかねえだろ。あいつが望む以上、俺たちは試練を与えてやるべきだ」
「私は反対さ!無駄死にさせるくらいなら、あの子にはここにいて平穏に過ごしてほしいよ」
「でもお前も見ただろ。最近のあいつの様子を。力が使えないことがわかってからどうなってる?食事もあまりとらなくなって、長時間部屋に引きこもるようになった。俺たちはいつ死ぬかもわからないんだ。あいつには自分で生き抜く術を教えてやらなきゃなんねえだろ。感情で考えるな、現実を見ろ」
いつものウィルらしくない冷酷な発言を受けてマリアも少し冷静になる。
「っ!わかったよ。たしかにあんたの言う通りだ」
「それじゃあ早速明日あいつを連れて行く」
「……」
「大丈夫だよ。あの森にはあの方もいるはずだ。きっとジンが森に入ったらすぐに監視の眼なりなんなりをよこしてしっかり見守ってくれるさ」
ウィルの言葉にマリアは渋々頷いた。だが彼らは渓谷で起こっている問題をまだ知らなかった。
そうして夜は更けていった。
森の中を疾駆する姿があった。ジンである。ウィルとの修行でわかったことは、生き物にまともに攻撃できない、闘気を纏えないということだった。それを踏まえて、この致命的な弱点を解消する療法の一環としてウィルが思いついたのはジンを深い森が広がる谷底に突き落とし3ヶ月以内にそこを走破しつつ、生き延びるというものだった。そして突然ゴデック渓谷という谷まで連れて行かれた。
ゴデック渓谷はバジットとジンたちの家の西方にある巨大なカルア山脈にある渓谷で、長さはおよそ百キロに及び、大人の足でも踏破には1ヶ月はかかるとされていた。谷底には樹海が広がり、その生態は未だによく知られてはいないが、魔物や魔獣の住処になっているということだけは知られており、稀にバジットなどの人里に下りてきては、町や村を襲うという事態も発生していた。
その日の朝早くジンはウィルに叩き起こされた。そして朝食もほどほどに、彼から『その障害が治るかもしれない方法がある』と言われた。ただしその方法で死ぬかもしれないとも言われた。それを聞いてジンは二の句も告げずに頭を縦に下ろした。そして一週間分の食料をいれたザックを持たせられ、山登りに連れていかれた。その過程から彼はてっきり山に籠って修行をするものだと考えていた。しかしその予想は谷の前で昼食をとるために立ち止まった時に、見事に外れたことがわかった。
『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすらしいぞ。あっ、ちなみにこの谷、壁を登らない限り、森を抜けなきゃなんねえ。それとこの森になれた大人でも1ヶ月はかかるから。ゴールはここから川の流れに沿った先に海があるから、そこな。まあ死なないように気張れや』
笑いながらウィルはジンを谷底に突き落とした。バジットで買った二本のサバイバルナイフと一週間分の食料と革製の水筒ともに。まずジンの第一の試練は安全に谷に落ちることだったのは言うまでもない。
そして現在、その食料も尽きていた。すでにこの森に落ちて10日経っていた。その間彼が行ったのは水源を探すことと食べられる物を見つけることであった。そして残り時間は偶然見つけた木の洞に潜り込み身を潜めたのだ。というのもファングやゴブリン、コボルドなどの魔獣がそこかしこにいたからだ。そんな風に似たような場所を探しながら徐々に先は進んでいった。
水源はすぐに見つけた。寝床もなんとか見つけられた。しかし食料だけは少ししか手に入れられなかった。単純に以前まで住んでいた王都近辺の植生とエデンのそれとでは全く異なっており、下手に見つけたものを食べようものなら食中毒で死ぬ可能性もあったからだ。あるいは体調を崩している時に魔獣に遭遇すれば簡単に殺されるだろう。バジットで見かけた果物のようなものを樹上に見かけたが、その木に登るにはコボルドの住処に近づくことになったので断念した。ついにはなんとか少しずつ食べていた食料も昨日なくなったのであった。
『ウィルのバカ野郎、ここから出たら絶対殺してやる』
自分で望み挑んだことではあったが、そのあまりの過酷さにすでに挫けそうだった。少しずつ、少しずつ川に沿って進み、明るいうちに夜寝られそうな場所を探す。この10日間で何度魔獣と遭遇しかけたかもわからない。その都度、木陰に隠れたり、川に潜ったりで、なんとかくぐり抜けてきた。
そんなことを思いながら、空きっ腹を水で満たして我慢しながら歩を進めていると、ようやく今日の寝床になりそうな木の洞を見つけた。そこに入り込み少し休憩をしようと腰を落ち着ける。狭いし、硬くて寝にくくはあるがそんなことを言っている余裕はない。漸く腰を落ち着けられたためか、緊張が途切れて眠くなり、少しだけ眠ることにした。
しばらくジンが目をつむっていると遠くから小さな音が聞こえてきた。そしてその音はこちらの木の周辺に近づいてきた。どうやらその音は声のようだった。興味本位で思わず恐る恐る木の洞から顔を出すと、白い光を放っている小さな球体が3匹のゴブリン達に追い立てられていた。
ゴブリンのうち一体は手に片刃の剣をもう一体は何かの木でこしらえた弓を、最後の一体は槍を持っていた。身長は100センチほどで緑色の皮膚に長い耳を生やし、鷲鼻の下の大きな口には黄ばんだ歯が並んでいる。体には動物の毛皮で作ったらしき腰布のみを巻いている。また身体中の所々にイボのようなものがぶつぶつとできており、それもジンに生理的嫌悪感を与えてきた。その3体は石を投げたり弓を放ったりしながらその光を攻撃しているようだった。
それを見たジンは急いで木の洞に戻ろうとした。
『こんなところで巻き込まれてたまるか』
訳も分からず問題に巻き込まれるなど彼にとって言語道断であった。しかも相手は武装しているのだ。姉たちを失う絶望を味わう前ならば、もしかしたら普通に立ち向かえたかもしれない。しかし今は無理なのだ。たとえ迎撃に行ったとしても、すぐにトラウマで震えが止まらなくなるだろう。何もせずに殺されるに決まっている。そんなことを少しでも考えていたことが彼にとって悪手であった。なぜならその光の玉がまるでジンを見つけたかのような動きをしてまっすぐ彼めがけて向かってきたのだ。ゴブリン3匹のおまけ付きで。ジンの体が思わず固まる。
『は?』
徐々に大きくなるそれを見てようやくジンはそれがピクシーであることに気がついた。マリアから以前聞いた通り、トンボのような羽を持ち、額には二本の細い触角が、しかしその姿は10センチほどの人間のそれである。
「助けて~。ヘルプ!ヘルプミー!そこの!!黒いやつ!」
その言葉を聞いて『あ!意思疎通ができるんだ』と場違いなことを一瞬思ったが、すぐに『完全に見つかった。やばい、逃げないと』という考えに至った。そこでジンは急いで木の洞から飛び出して右に走り出した。その先に川があったからだ。
『とりあえずそこに飛び込めば臭いも隠せるし、岩の陰に隠れればゴブリンには見つからないはずだ。まだゴブリンはこっちに気づいていないようだったから、このまま行けば逃げ延びることができる。体力を使うけど仕方ない』
焦る頭で瞬時に考え、その場から逃走した。彼の考えは正しかった。ただ一つ、ピクシーが彼を追いかけてくる可能性を除いていたことだけが彼にとっての失敗だった。
「待ってよ!なんで逃げるんだよ!助けてぇぇ!」
後ろからする声にジンは走りながら絶望する。ピクシーが自分のことを追いかけていることがわかったからだ。次の瞬間彼の顔の横を矢が通り過ぎた。それはそのまま近くの木に突き刺さった。ゴブリンに見つかったのだ。
『やばいやばいやばい』
慌てながらも飛び道具に当たらないためにジグザグに走り、木を防壁代わりにする。しかしそのために余計に体力を費やしていることがジンにはわかっていた。
『このままじゃ川までたどり着けない。戦うしかないのか?でもどうやって?』
混乱する頭では解決策は思い浮かばなかった。しかしどんどんゴブリンの声が近づき、後ろを見てはいないが、呼吸音がはっきりと聞き取れる距離にまで接近していることだけがわかった。
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