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第1章:物語の始まり

真実

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 それから3ヶ月ほど時が過ぎた。この3ヶ月という数字をジンが意識しているのは、だいたいこれぐらいの期間に1度、うさぎの肉などの豪華な食材がテーブルに並ぶのだ。しかも大抵の場合、その前日に姉が妙に小綺麗な服を着て表に出ていくのである。

 いつもそれが気になっていたが、ナギにははぐらかされていた。だがその日ジンは、姉が何をしているのかを確認しようとふと思い立ち、スラムから出て行くナギを尾行することにした。彼女がスラムに似つかわしくない綺麗な服を着て、どうやらなんらかの方法でお金を稼いでいるのだろうとジンは考えていた。というのもよく考えると、ザックたちも食料を集めてはくるが、5人分の食事を毎日少量ながらも準備するなど、このスラムではありえないはずであったからだ。

 もちろん稀に表通りの人が、噂を聞いて姉に治癒を依頼してくることもあり、金銭を得ることがあったが、たいていの場合そういった人たちは、神殿が経営している、治癒院にも行くことができないほど貧しい人たちなので、その報酬も微々たるものでしかない。うさぎを買えばそれだけでお金が尽きてしまうだろう。

 つまり他に何か仕事をしているのだろう。それなら自分もついていけば、何か手伝えるかもしれない。邪魔になるなら帰ればいいだけだ。しかし身綺麗な格好で外に出るのは数ヶ月に一回のことなので、よっぽど稼げる仕事でなければ普段の食事の充実の説明になるとはいえなかった。

 とりあえずその疑問をザックとレイに話したが、ザックなどはいい餌場があるんだろうと気楽に考えており、レイは何かを知っているようだったが、それはジンがナギから直接聞くことだと言って教えてもらえなかった。どうやらレイも同じ疑問を持って以前ナギからその理由を聞いていたらしい。

 表通りに出た彼女はまるで目的地が決まっているかのようにどんどん進んでいった。少年は黒髪が目立たないようにフードを目深にかぶり、姉を見失わない程度に距離を開けながら、どこまで行くのかを考えていた。そしてナギがふとある宿屋の前に立ち止まった。そして当たりを見回してから中に入って言った。ジンも中に入ろうかと考えたが、中から出てきた男が自分のことをゴミでも見るように顔をしかめて立ちふさがったので諦めた。

『姉ちゃんはこんなところにどんな用事があるんだろう。物乞いでもしてたのかな。それともここで治療をしてたのかな?それとも…』

 それから一時間ほど物陰に隠れて待っていると、ナギが小さな袋を持って宿から出てきたのでナギは彼女に近づいた。
「姉ちゃん、何をもらってきたの?」

「ジ、ジン!?」

 彼に気づいたナギは急いでその袋を後ろに隠そうとしたので、ジンは素早くそれを奪い取り、中を確認すると金貨が2枚入っていた。これだけあればいつもの食事の量で考えると、5人でも3ヶ月は食べられるだろう。

「これどうしたの?」

「それは…」

言葉を濁す姉を見て、ジンの頭を最悪な考えがよぎる。

「姉ちゃんまさか売りでもやってたの!?」

 彼は声を荒げて問いただした。彼女の容姿は非常に優れているのだ。たとえスラムの孤児であっても、どんな男でも喜んで金を出すだろう。しかしナギは少し気まずそうな顔をする。

「ちっ、違うよ。そんなことでお金を手に入れたりしないよ。これは、その、これは、えっと。そ、それよりなんでここにいるの?レイから聞いた?」

「なんでもいいだろ!姉ちゃんはなんで金がもらえたの?前に家族の中で隠し事は無しって言ったのは姉ちゃんだろ!」

 ナギはその質問に諦めたような表情を浮かべる。

「…それを言われたら困っちゃうなぁ。あまり言いたくないことなんだけどなぁ。でも流石にこれを見られたらジンも気になるよね。…ここで話すのもなんだし、一旦家に帰ろうか。夕食の後にいつもジンたちが遊んでる空き地にきてちょうだい」

 とりあえず売春をしていたわけではないという言葉を信じることにしたジンは腑に落ちなかったが、ナギの言葉に従うことにした。

 家に帰り、5人での夕食を終えると、ジンとナギは空き地に向かった。そしてジンは空き地に着くや否やナギに詰め寄り声を荒げる。

「姉ちゃん説明して!」

 姉はその様子に申し訳なさそうに笑う。

「その前にひとつだけ約束して。もしこの話を聞いても、なんとも思わな…いのは無理だろうけど、お姉ちゃんを嫌いにはならないでね」

「わかった、約束する。」

「よし!どこから話そうかなあ。ジンは5年前にまだお母さんが生きていた時のこと覚えてる?」

「あんまり覚えてない。それがどうしたの?」

「5年前にね、私がお母さんを殺したの」

そう寂しそうな笑顔を浮かべてポツリポツリとナギが話し始める。

「どういうこと?」

「言葉通りの意味だよ。その時私はジンかお母さんかどちらかを助けなければならないと思ってたし、実際そういう状況だった。そして私はジンを選んだ」

「えっ?ちょっと待って!意味がわからないよ!?母さんは俺のせいで死んだの…」

「そんなわけない!ただ仕方なかったの。お母さんもジンのことを私に任せるって笑いながら死んでいった。だからジンがそれに対して責任を感じることはない」

「…じゃあ一体何が5年前にあったの?」

「5年前にね…ジンとお母さんはある病気にかかったの。国中で蔓延した病気でね、ジンも聞いたことがあるんじゃないかな。オルフェンシアっていう悪神オルフェが蔓延させたっていうやつ。一応治療薬はあったんだけど、それがとっても高くて、当然のように私には買うことができなかった」

告解のようなナギの言葉を、混乱する頭でジンは黙って聞いていた。

「それでもどうにかしてお金を稼ごうとして、治癒の力を使って、表通りまででて、いろんな人を治療してお金を稼いだけど、全然足りなかった。でもある日、幸運が私の元に舞い降りた。あるとっても偉い貴族の娘さんがオルフェンシアに罹ったの。その子はこの病気が原因で死にかけていた。その貴族はその娘しか子供がいなかったから、その女の子をどうにか助けようとしてたの。それで光法術の中で禁忌の一つとされている【生命置換】にすがることにした。この法術はね、術者が持っている生命力を移し替えることができるの。でもこれにはその女の子と、とても似通った生命の波長をもつ人が必要だった」

「まさか!」

「そう。偶然にもそれが私だった。彼はこの法術をつかうと決心してから、多くの人を使ってその子と波長の合う子供を探し、偶然街で私を見つけた。屋敷に呼ばれた私は、彼に土下座して頼まれたわ。『どうか娘を助けてください』ってね。私はそれに応じる代わりにお金を要求した。お母さんと、ジンの二人分の薬が買えるお金をね。彼はそれを約束してくれた。その代わり私は命を差し出すことになった」

「薬は儀式が終わってからもらうはずだった。でも在庫がなくて…その人が取り計らってくれたけど、すぐに手に入ったのは一つだけ。もう一つは一週間後に届けられることになった。だから私はとりあえず手に入れたその一本を真っ先にジンに飲ませた。お母さんにごめんって謝りながら。ジンはお母さんより深刻で、あと1日も生きることができるかって状態だったから。お母さんもそれでいいって言ってくれて。でもお母さんは病気で死ぬ前に、魔物に変化し始めた。お母さんは私に何度も、何度も殺してって。私たちを殺したくないって、私に頼んできた」

「………」

 ナギが沈痛な面持ちで話を続ける。その目には既に涙が溢れていた。

「だから私は、貴族の家に戻って特効薬の代わりに毒薬を用意してもらった。なるべく苦しまないで済むやつを。そしてそれをお母さんに飲ませた。お母さんは笑いながらありがとうって言って眠るように死んだ」

かすれるような声を絞り出すように彼女は話す。

「今日貰いに行ったお金は、最初に契約したときにもらうはずだったお金のあまり。貴族の人は娘を助けてくれたお礼は必ず返すと言って、ちゃんと約束を守ってくれた。でも大金を持ってスラムに帰るとすぐに盗まれるから、こうしてあの人に預けておいて、時々お金をもらいに行っているの」

 ナギが話し終えると、二人の間にしばらく沈黙が流れる。そして恐る恐るジンがナギに尋ねた。

「…それじゃあ、姉ちゃんはあとどれだけ生きられるの?」

その言葉にナギはより一層顔をしかめる。

「…正直わからない。でももうあまり長くはないと思う」

「なんで!どうしてそんなことしたんだよ!?俺のせいで姉ちゃんが死んじゃうのかよ!意味わかんないよ!なんで今まで言ってくれなかったんだよ。どうしてあと少しで死んじゃうのに、その原因を作った俺なんかに優しくしてんだよ!」

ジンは泣き喚きながら、ナギに詰め寄る。そんな慟哭するジンを見てナギは優しく抱きしめながら何度も謝る。

「ごめんね。本当にごめん」

「どうして姉ちゃんが謝るんだよ…姉ちゃんのためにって一生懸命修行だって、手伝いだってしてきたのに、なんで俺が姉ちゃんが生きる邪魔になってんるだよ。こんなことなら助けてくれないほうがよかった。姉ちゃんが生きられるならそのときに死んだほうが…」

パン!!!

 鼻水を垂らしながらボロボロに泣くジンがその言葉を言い終える前にナギが頬を強く叩いた。

「私はあんたのせいで死ぬんじゃない!私がそうしたいって思ったからだ。それにあんたは知らないかもしれないけど、オルフェンシアに罹った人はすぐに魔物になっちゃうんだ。だから私はジンとお母さんを助けるためにできることをしたんだ。ジンとお母さんがいなかったら私だって死のうと思ってた!」

 この病気がオルフェンシアと名付けられたのは、この病気に発症して、体力が落ち、生命力を失った人間のほとんどが魔物に変化してしまうからだ。その様はまるでオルフェに選別されるかのようだった。

「お母さんは助けられなかった。でもジンは助けられた。私はそれを誇りに思っているし、今でもその判断は間違っていないと思ってる。だからジンが死にたいなんて言うのは腹が立つ。それはあんたに生きて欲しいと思ったお母さんと私を侮辱する言葉だから!お母さんも私もあんたには笑いながらずっと生きて欲しいって、あんたに幸せになって欲しいと思ったから!!」

「っ、それでも俺は姉ちゃんに生きて欲しい!姉ちゃんが死んじゃうのは嫌だ!」

そう言ってジンは空き地から飛び出した。後ろからナギが呼び止める。

「ジン!!」

 その声を無視して必死に逃げた。彼自身なにから逃げようとしたのかわからなかった。おそらくその胸に重くのしかかる真実から、姉を喪失するかもしれないという恐怖から、そして自責の念から逃避したかったのだろう。気がつけば彼はミシェルに教えてもらった穴を抜け街の外に出ていた。上を見上げれば空には重たそうな雲の隙間から、綺麗な星が輝いていた。
「姉ちゃんが死んじゃったら、もう笑えないよ…」

 ジンは狂ったように泣いた。
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