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第1章:物語の始まり

異変の始まり

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 夕食後眠くなってきたジンはさっさと床についた。そしてしばらくすると、ぐっすりと深い眠りについた。しかし数時間ほどして突然ガバリと勢い良く起き上がった。恐ろしい夢を見たのだ。隣で横になっていたナギはその音で目を覚ましたらしく、眠たげな声で、
「どうしたの?」
「すごく怖い夢を見たんだ」

 ナギが手招きしてきたので彼女の毛布に入り込んだ。ナギの体に抱きつきながら、頭を撫でてもらう。怖い夢を見た時はいつもそうしてもらうのだ。そしてこれがザックたちからシスコンと呼ばれる原因の一つでもあった。しばらくすると、だんだんと気分が落ち着いてきたのでポツポツと自分が見た夢をナギに話し始めた。

「家に帰ってきたら、みんなが怪物に食べられてたんだ。俺はそれを見て逃げ出したんだけど、怪物はものすごく早くて、すぐに追いつかれた。それで俺も捕まっちゃうんだけど、そのまま食べられないで、みんなが食べられていた場所に引きずられて連れて行かれて、目玉のない4人の頭がこっちを見てるんだ。それで気が付いたら俺もその中にいて、下から怪物を見上げていると、ゆっくりと目玉を刺したフォークを顔に近づけてようとするんだ。それを嫌がったら今度はスプーンを近づけて目玉をくり抜こうと顔を近づけて来るんだ。それでようやく怪物の顔をしっかりと見たんだけど、それが姉ちゃんだった」

「そっか。怖い夢だったね。でもお姉ちゃんはジンたちが大好きだから食べたりしないよ。そんな怪物がきたらお姉ちゃんがやっつけちゃうから!それにジンたちが私を守って戦ってくれるんでしょ?きっとどんな奴が来ても大丈夫だよ。でも…そんな怖い話を聞いちゃったら、今日はあたしも寝られなくなりそうだから、ジン、一緒に寝てくれる?」
と聞いてきた。

「しかたないなー」
と答えながら、より一層、平らな姉の胸に頭を埋めた。それから他愛のない話をしているうちにだんだん不安が薄れていき、いつの間にか眠ってしまっていた。朝気がつくとナギがジンの頬っぺたをグニグニしたりして遊んでいた。気恥ずかしさを覚えるも彼は姉が楽しそうな様子を見て、寝たふりをすることに決めた。いつもみんなに平等に接して、しっかりしている姉がたまにこんな風に年相応にじゃれてくることが、特別視されていることを感じて彼にとってはとても嬉しかったからだ。

 次の日ジンが目を覚ますと、既にナギはいなくなっていた。彼女が寝ていたそこには綺麗に畳まれた布が置かれていた。昨日見た夢の手前、少し不安になったジンは急いで一階に降りた。するとナギが診察室で治療しているのを発見した。それを見てホッとしたジンに気がついた。

「あ、ジン。やっと起きたの?もうお昼近いよ~。あんまり寝ていると牛さんになっちゃうんだからね」

「よう、ジン坊。悪いな、姉ちゃん借りちまって」

 そう声をかけられて、治療してもらっている男の近くに、このスラムの元締めであるマティスがいることに気がついた。2mに届くのではないかという巨体と、筋骨隆々な体格、禿げた頭にダークブルーの瞳と、唇の上に生やした、同じくダークブルーの髭が印象的な男である。

 彼はよく血塗れの男や女を連れてくるのである。その気っ風のいい性格から、スラムの多くの人々に慕われていた。噂ではどこぞの騎士であったという。確かによく見れば身体中に切り傷が刻まれている。そのためか、たまにジン達に稽古をつけてくれることもあった。また娼婦でありナギと同じく治癒師でもあったナギやジンの母親に惚れていたらしく、ジンたちにとりわけ目をかけてくれていた。この廃墟も彼が用意してくれた物である。

「しっかし、嬢ちゃんもアカリさんに似てきたなぁ。今いくつぐらいだっけか?」

「今年で16歳になります、おじさん」

「すると、ジン坊は7歳か?ガキが育つのは早いなぁ。歳はとりたくないぜ」

「ふふ…マティスおじさんはまだまだ若いですよ?」

「よせやい、そんなお世辞は。それにしても相変わらず嬢ちゃんの治癒の力はすげぇな」

法術を向けられている男に目を向けてそう呟く。

「まだまだお母さんには敵いませんけどね。そう言ってもらえると嬉しいです」

「いやいや、謙遜するなよ。もうアカリさんと同じぐらいじゃねえか?十分すごいぜ。それにあの人に似て別嬪だしなぁ。嬢ちゃんの旦那になる男が羨ましいぜ。まぁ少~し、アカリさんとは違うところがあるがな。」

そう言ってニンマリと笑いながら、ナギの胸を見やる。

「ちょっ!いい加減にしてください!あんまりそんなこと言うなら、治療の時おじさんだけお金をもらいますよ!」

 ナギの顔が一瞬にして真っ赤になり、両腕を胸の前で交差させる。そう、ジン達の母親は、その美貌とともにスタイルも抜群であったのだ。なぜかわからないが、娘のナギはその性質を受け継がなかったらしい。ジンは姉がスラムにいる娼婦達を見ては深い溜息をついているのをよく見かけている。最近では、ミシェルの胸を凝視していることもあった。胸の話はナギの前ではタブーであると言うのがジン達の共通認識である。

「ガハハハ、悪い悪い」

全く悪びれもせずにそう言うマティスを睨みつけながら、「まったくもう」と小さく呟いて、負傷している男に向き直り治療を再開した。

「この人、どうして怪我しているの?」

 ジンはその光景を眺めながらマティスに尋ねた。先日会った男の言っていたことを思い出したからだ。この辺りで何かよくないことが起こるという。彼が言っていたのはこのことなのかもしれない。

「いや何、本当に数日前からなんだけどな。ヤバい奴がここらに住み着いたらしくてよ。そいつに喰い殺された奴が何人もいるんだよ。こいつは偶然その場から逃げ出せたみたいでよぉ。ただ俺が見っけた時には意識がなかったから犯人がどんな奴か、まだ詳しい話は聞けてないんだ」

「喰われた?野犬か何かじゃないの?」

「それがどうも違うらしい。死体を見て見たらよ、全部人間の歯型だったんだ」

それを聞いてジンはゾッとした。この辺りに人を喰う人間がいるのだ。しかもそれが自分たちを襲う可能性もあるのだ。

「気味が悪いね」

「ああ。だから坊主達もあんまり外に出るなよ。少なくとも夜にはな。こいつは深夜に現れるみたいだからな。まあしばらくの辛抱だ。今俺と仲間達で犯人を探している最中だからよ」

「わかりました。絶対出ません。だからおじさんもあんまり無理しちゃダメですよ?」

2人の話にナギが入ってきた。

「終わったのか、嬢ちゃん」

「はい。かなり危ないところでしたがなんとか傷は塞がりました。それで、今の話は本当なんですか?」

「ああ、治療した嬢ちゃんならわかるだろう?あとこいつはいつ頃目覚めるか分かるかい?」

「確かに人の歯型でしたね。いつ目が覚めるかはちょっとわからないです。どうします、このままうちで面倒を見ましょうか?」

「いや、それには及ばねぇ。こいつを今度こそ殺そうとしにくるかもしれねぇからな。とにかく嬢ちゃん達はあんまり不用意に外にはでんなよ。外に出る時は最低二人以上で行動するように。分かったか?」

「はい」「うん」

 二人の返事を聞いて満足げに頷くと、マティスは立ち上がり、ボロボロの寝台の上に寝ている男を担ぎ上げる。

「それじゃあな。また様子見に来るぜ」

 そう言ってドアに向かって行った。

 ジンがマティスの後に続いて行ったので、ナギはそれを見送ると治療のために使っていた道具を片付け始めた。

 ドアの前でマティスは振り返ってジンを見下ろして、何故ついてきたのかすぐに理解した。そしてジンの頭に雑に手を乗せる。

「また今度稽古してやるからな。少し待ってろジン坊」

ニンマリと笑ってそう言うマティスを真似してジンも笑う。

「分かった、待ってる」

「おぅ、じゃあな。姉ちゃんのことしっかり守ってやれよ」

そしてマティスは空いた片手を軽く上にあげて、歩き去って行った。

 それを見ながら、ジンは先ほど聞いた話を反芻していた。少し不安になったがマティスならいつものようにあっという間に解決してくれるだろうと思い、その気持ちを打ち消すように頭を左右に振った。

 しかし、犯人は一向に捕まらず、犯行もぱったりと止んでしまった。マティス達がしばらく探し回ったが、結局誰の仕業だったかもわからなかった。回復した男も恐怖からか、記憶がおぼろげで具体的な情報を聞き出すことができなかった。そしてその事件は徐々にスラムの住人達の記憶から薄れていった。ジンも騎士の男から聞いた話をいつの間にか忘れていた。
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