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黒く塗りつぶされた男 起

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 いつものように改札口を抜け、いつものようにホームへと下り、いつものように電車に乗って我が家へ帰る。そんないつも通りの日課ルーティンを送るはずだった。
 しかし今日、学校で友人の黒塚鴉(カラカラ)から、と声をかけてきた。

「なぁカラカラ、本当にやるつもりなのかよ……」

「当たりめぇだろ。ヒデヒデも実はそれに縋らないといけないって状況なのは、一番よくわかってるはずだ」

「そ、それはそうだけど……」

 今から試そうとしていること、それは――黒く塗りつぶされた男を呼び出して、あるもののことだ。
 いきなりなにを言っているのかわからないだろう。そこで今日カラカラが話した黒く塗り……長いから黒男にしよう。これから黒男の呼び出し方を以下に記す。

 
 一 黄昏時(今は夏だから七時から七時半までの間)までに電車に乗ること。

 二 黄昏時が過ぎる前に目を閉じ「ヌリツブシタイデス、ヌリツブシタイデス、ドウゾオイデクダサイ」と三回唱える。

 三 すると電車が止まり、どこからともなく二メートルは超える大男がやってくる。その大男こそ……黒男である。

 四 その黒男は、必ず呼び寄せた人のとなりに座ってくる。注意しなくちゃならないのは、ぜったいに――顔を見てはいけない。見たら最後……命の保証はできないから。

 五 となりに座ってきたら、黒男の膝上に自分が存在を消したいと思うものを乗せる。これで終わり。
 

 ちなみにその情報の出どころは、クラスメイトの女子が話しているのを盗み聞きしただけという信憑性に著しく欠けるものなのだ。
 なので正直ボク(加藤黒秀 ヒデヒデ)は、この噂をみじんも信じていなかった。

「本当かな、その噂……」

「かわいい女子だったぞ! あんな人うちのクラスにいたっけか? とにかく、かわいい女子レディーが嘘を言うはずがない! ぜったいに本当なんだ。ところで、ヒデヒデは消したいテスト決まったか? お前待ちだぞ」

 さっきボクは噂を信じていないと言ったが、今このときだけは信じようと思う。困ったときの神頼みってやつだ。我ながら卑怯で虫のいい奴だなと思う。
 だがそんなことは気にならないほど、今のボクは追い詰められているのだ。その理由は……テストの点にある。

「ボクは数学……これで二回れんぞく赤点だよ。笑えよカラカラ」

「イッヒヒヒ! 俺は理科が赤点だぜ。保健体育は満点だったがな。それだけでも喜ばしいはずなのに、親は『今度赤点だったら小遣い半分!』って言いやがったんだぜ? 俺ら学生にしちゃ死活問題だろ」

 ボクカラカラほどではないが、両親から大目玉を食らうのは間違いないだろう。ふとスマホを見ると、時間は午後の七時二十三分を示していた。
 まだ余裕はあるが、早めにやるに越したことはないだろう。ボクは、

「そろそろ始めよ? 黄昏時が終わる前にだったよね?」 
 
「オーケー。じゃあ俺が教えた通りにやれよ」

 幸いにも帰宅ラッシュの時間帯は去り、電車の中はポツポツと数人程度しかいないという絶好のタイミングだ。ボクたちは、軽く深呼吸をしたのち、

「「ヌリツブシタイデス、ヌリツブシタイデス、ドウゾオイデクダサイ………………ドウゾオイデクダサイ」」

 …………

 …………

 …………

 なにも、起こらない。電車は止まるには早すぎるほどのスピードで、依然として走り続けている。
 ボクは内心とても安心していた。でも直後に母さんにテストの件で説教を受ける自分を想像し、同時に落ち込んだ。

「やっぱり、ただのデタラメだったんだよ。こんな噂に頼らず、今からでも親にきちんとあやま……」
 
「――ヒヒヒ。いや、
 
 ハァ!? と言いたくなる気持ちを抑えながら、ボクはずっと閉じていた目を開けて……言葉セリフが出ず呆然としてしまった。
 その光景を見て、カラカラはギラギラと眼を輝かせている。
 先ほどまでかすかに夕暮れの気配を残していた車内が、目を閉じたわずかな時間に――真っ暗闇に切り替わっていたからだ。
 窓ガラスに映り込む町並みは不思議なことに、一箇所も明かりが灯っていない。
 いつの間にかボクたち以外の人の姿はなく、それは前後の車両も同じだった。月明かりだけが、頼りなく中を照らしている。

「やっぱりな! 女子レディーの言ったことは本当だったんだよ!」

「で、でもまだ電車が……」

 止まっていないと口を動かそうとしたが、できなかった。いきなり理由もなく体が横に揺れたかと思うと、電車は噂通りに停車したからだ。
 そしてすぐに、タン、タン、タンと規律の良い足音が聞こえてきた。ボクたちはその方向へと目線を動かす。すると、

「「――ッ!!」」

 その男は、身長が電車の天井に届きそうなほどに高く、こげ茶色の中折れ帽を目元が隠れるほど深く被っていて、黒色の傘を持ち、同じくこげ茶色の大きな背広を着ていた。
 カラカラの隣に座ったあと、ウィーンとドアの閉じる音がした。間もなくゆっくりと加速していく列車。ボクはとっさに、持っていたテスト用紙を黒男の膝上に置いた。

「はっ、早くテスト用紙出してよ! こんな状況いつまでも耐えられないよ!」

 この状況を一秒でも早く終わらせたかった。心臓も意見が一致しているのか、バクバクと鼓動がうるさい。しかしカラカラは、

「いや……わかってん、だけどさ……クソッ、コイツ」

 あろうことかカラカラは、リュックのファスナーが引っかかってしまい動かせずにいた。
 幽霊から逃げているときに限ってかからない車のエンジンのように、何度も力を入れても結果は同じだった。
 業を煮やしたボクは、カラカラからリュックをひったくるように奪い取ると、火事場の馬鹿力が働いたのか無理やりファスナーを動かし、理科のテスト用紙と思しき物を取り出した。
 いやこうなるなら前もって手に持っとけよ!

「サンキュー。やっぱり持つべきものは友達だな」

「お礼はいいから、早く用紙を膝上に!」

 カラカラはボクから理科のテスト用紙を受け取ると、素早い動作で黒男の膝上に置いた。
 するとゆっくりと用紙をつかんで……おもむろに立ち上がったのだ。そのまま乗降口のドアへと歩き出す。

「……?」

 やがてドアの前で立ち止まると、景色でも見るようにして少しだけ頭をもたげたのだ。固唾をのんで様子を見守っていると、

 ウィーン

「「――ッッッ!!!」」

 二人同時に息を呑んだ。列車は現在進行系で発車しているはずなのに、黒男の前のドアが故障なのか開いてしまったのだ。ひんやりとした風が雪崩のようにして車内に入り込んでくる。

「ちょ、危な――」

 さらに信じられないことに、ボクの忠告虚しく、黒男は一歩前へと踏み出してテスト用紙と一緒に――
 とっさに目をつぶるが、想像したくないのにボクの頭の中は、降りたあとの黒男の末路がありありと浮かんでいた。

「さ、さすがにヤバいって! 今からでも電話、し――」

 突然たちくらみがしたと思うと、そのまま津波のような強烈な睡魔に襲われる。なすすべもなく力が抜け床に倒れた。
 頬にひんやりとした温度が伝わる。まぶたが鉛みたいに重い。ヤバい、このままじゃ……

「カ……ラ……」

 意識が途切れるその時までずっと、ボクの耳元には列車が走り続ける音が響いていた――
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