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慶応二年(1866年)夏から冬
第47話 もういちど
しおりを挟む火事の後、人々が必死で居留地の再建をすすめるうちに慌ただしく冬が来た。
元町六丁目の山手の縁は切り立っているのだが、その崖下にある溜め池が毎年凍る。そこで外国人たちはスケートというものを楽しんでいた。つるつるした氷の上で、筋金付きの靴を履き器用にすべっていくのだ。
「異人さんはいろんなことをするね」
「……暇なのでしょうよ」
脇目もふらずに速くすべったり、格好つけて見物人に片眼をつぶったり。そんな連中を面白そうに眺める弁天に、宇賀は辛辣な感想を述べた。
外国人は何かといえば馬で出かける。駆け乗りを見るのも大好きだ。かと思えば自分の脚での駆け比べもする。そして冬になればスケートで、夏には羽子板のようなもので玉を打ち合ったりもしていたらしい。芝居小屋にしていた倉庫が火事で焼けたので新しい興行場を作っているとも聞く。彼らは軽業や歌の見物にも余念がないのだった。
これだけ遊びに夢中ならば、暇そうだと言われても仕方ないだろう。駐屯している赤隊、青隊も戦にはほとんど駆り出されないまま、訓練と称して遊びのような運動に明け暮れていた。
「でもね、兵が暇なのはいいことだから」
「まあ、そうです」
スケート見物をやめ、弁天はぶらぶら歩き出した。冷たい風が運河を吹き渡ってくる。だが元町の通りは賑わっていて、厚着した人々が笑いながら行き交っていた。
戦がなく兵も暇なのに、横濱は火事で焼けてしまった。元町が無事なのは本当によかったが、関内をいかに整備し直すか、そんな話は忙しく進んでいるらしい。だが人々は日本人も外国人もそれなりに楽観的で、どうせなら町をもっと良くすべく計画が練られていた。
港崎遊廓だった場所は広い空き地にする。公園、というものだそうだ。そこから港まで広い道を通し、火事があっても燃え広がらないようにするのだとか。
なので今、華やかだった遊廓跡はがらんとしていた。大勢が逃げ遅れた惨事の痕跡はどんどん片づけられ、その向こうの日本人町が再び普請だらけになっているのがよく見えた。
「大工は休む暇がないね。増徳院の本堂が後回しになるとは思わなかった」
「手間賃も材木の値も上がっていますから」
「安くなるまでは進めなくていいってさあ。まったく玉宥ったら」
弁天はおかしそうにするが、玉宥だって困り果てた末に建て替えを中断したのだ。元々用意した金子で足りるか怪しくなってしまったのだから、どうしようもない。
「しばらくすれば落ち着くとは思いますが」
「そうね。建てかけの本堂はやっぱり見目がよくないし、早く出来上がらないかなあ」
それは難しいかもしれない。あの火事では運上所や周りにあった英学伝習所なども焼け落ちているので、まずはそれらの再建が急務だ。
元は水神の祠があった所も炎に包まれてしまった。見に行ってみたが、以前は祠に木陰を落としてくれていた玉楠の木は焼け焦げ、無残な姿になっていた。
「――でもあの木はまだ生きている。すぐにひこばえが育つよ」
川の向こうによみがえりかけている居留地を見遥かし、弁天は微笑んだ。人も木も、横濱のものは皆しぶとい。
増徳院に帰り着き、門を通った時のこと。僧坊の方から玉宥が二人の客を送ってくるのに出くわした。
そんなことは珍しくもない。いつもなら参拝者のふりをしてお堂に向かい誤魔化すのだが今日は少しばかり具合の悪い相手が混ざっていた。弥助だ。
「あ――」
弥助も気づいてこちらを見る。これは声を掛けた方がいいだろうか。弁天が迷ったのは弥助の隣にいたもう一人が外国人だったからだ。商いでの知人を寺に案内してきたのかもしれない。
弁天と弥助が目を合わせたことに気づいたのか、その外国人は帽子のつばに片手をやって会釈してくる。何事か英語で弥助と話してから挨拶された。
「コニチハ」
「あ、ええと。はろう」
英語で挨拶を返すと、はにかんだように笑われた。穏やかな人物のようだ。弥助は弁天の言葉に驚いて目をしばたたいた。
「ご無沙汰しております。沙羅さまも英語をお話しに?」
「まさか。挨拶を知っているぐらいで話せはしないよ」
その挨拶を知ったのは、少年だった弥助の立ち話を盗み聞いた時だった。思い出して弁天は微笑む。弁天の英語は進歩しないが、弥助の方はずいぶん上手に使うようになったらしい。
「弥助は話せるんだね。こちらの方をお寺に?」
「はい。異人墓のことでお話しがあるというので」
「そう。ご苦労さま」
弥助は丁寧な物腰で頭を下げると連れをうながして帰っていった。見送った玉宥はおやおやという顔で弁天を振り向いた。
「お知り合いでしたか」
「子どもの頃に声をかけて以来、たまに。ここらに住んでいるんだから顔を合わせちゃうのは仕方ないんだけど……」
「ほう? 御身のことは知らせていらっしゃらない?」
「そうなんだよねえ。さすがに奇妙に思われているかな」
弁天は苦笑いだった。
今日はその弥助自身も良い話を持ってきてくれていた。中山家から寄進をとの申し出だ。普請が止まったのを見て慌てたらしい。
「いや、情けなかったですわ……」
檀家に心配をかけてしまい、玉宥はつるりと頭をなでた。資金繰りの見通しが甘かったということなのだから、まだまだ修行が足りない。
「だってあんな大火事があるとは思わないじゃない」
「そうですね、あのせいで何もかも高騰しました」
神仏二人がなぐさめてくれて、玉宥は恐縮しきりだ。弁天はともかく宇賀まで優しい言葉をくれるとは何とありがたい。
いつも無表情に黙っているが、宇賀だって玉宥がやるべきことをやっているのは知っていた。たまにはそう伝えてやってもいいと思っただけのことだった。
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