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閑話 異国の神々
お話できるかな
しおりを挟む秋深まり、寒さも感じるようになった頃。
秋風に誘われたわけでもないが、弁天は居留地を訪れていた。つまり、いつもの散歩だ。しかし少々久しぶりではある。
「建物が増えたね……騒動で人が減ったんじゃなかったの? 宇賀のの勘違い?」
「そんなことはありません! 減る前から建てていたんです!」
居留地はしばらく揺れていた。もう二年かそこらにもなるだろうか。
攘夷派の浪人による襲撃、生麦事件、居留民の臨戦態勢、軍艦集結と町民の疎開、そして鎖港の勅命。
幸いにも横濱で戦にはならなかったのだが薩摩や長州は外国艦隊と戦ったという。江戸周辺でも蜂起があった。
だがこの元治元年の秋、潮目が変わりつつある。薩長の敗戦により西洋軍隊の力を認めざるを得なくなったのだ。幕府は生糸などの規制を廃し、鎖港要求を撤回。日英合同の閲兵式を開催するまでに態度を軟化させていた。
やっと落ち着きを取り戻しつつある居留地に、今日は前田橋から入ってみた。すぐそこはかつて横濱新田と呼ばれていた場所だ。
「駆け乗りをした頃にはほとんど更地でしたが、すっかり町ですね」
「もうあんな催しはできないか。それにしても異人さんは馬が好きだよ」
馬に乗るのが。馬で出掛けるのが、だ。
あの生麦村の事件の時も、男女四人で遠乗りに出ていたのだという。
馬で駆け戻り急を報せたのは女性だったと聞き、弁天はびっくりした。イギリスの女性はたくましい。その女性が帽子と服の袖を斬られただけだったのは、いかな薩摩の侍といえども女相手にはためらいがあったのか、あなどっただけか。
その後東海道方面への遠乗りは不穏な情勢もあり控えられていたが、彼らは馬に乗らずにはいられない。今年になって、山手の丘から根岸、本牧をめぐる遊歩道が外国人向けに整備されていた。
「西洋にあったら馬頭観音さんは大モテだろうな」
「かもしれません」
くすり、と宇賀も笑った。
そういえば居留地には天主堂とやらが建っているが、西洋の神とはどんなものか知らない。日本のように神も仏もあるのだろうか。
「――ねえ、あれは祠?」
弁天が示したのは家々の間にある小さな建物だった。
小ぶりな石材を積んだ壁、屋根には瓦。正面の軒下には金具の付いた扉があり、その前で太く長い線香がくゆっている。
大きさから祠と言ったのだが、しっかりした作りだった。きっと祈りをこめ大事に建てられたのだろう。
「祠というには何だか変わってる。見たことない雰囲気だよ」
「ああ、これはもしや南京寺なのでは」
「ええと、清の国の、お寺?」
ここらの通りを行き交うのは弁髪に胡服の東洋人が多い。居留地内でも出身国ごとに集まって住み分けるようになるのは人の情というもの。するとそこに故郷の神が祀られ始めるのだった。
「――異国に来ても、信じる神さまには祈りたいよね」
だから人は、神も連れて異国に渡る。
祠に近づいてみると、漢字が記されていた。〈同善堂〉。文字だけでもある程度通じるというのはとてもありがたいことだが、これでは祠の名しかわからなかった。
少し開いている扉の中を見ると、木彫りの像が安置されていた。ぞろりとした衣でヒゲの長い男。
「……どちらさまなんだろう。現れてくれないかしらん」
弁天はにっこりして中に向かって手を振ってみる。
「こんにちは、横濱へようこそ!」
「待って下さい、話は通じるのでしょうか」
「あ。そうかあ……」
もしこの神がこちらを見ていたとしても、たぶん清の言葉でないとわからない。今の振る舞いは、変な女、ぐらいに思われていそうだ。
「ううーん。出て来て! 筆談しよ!」
「こら、異国の方を困らせるんじゃありません」
「だってえ。お友だちになりたくない?」
通じないと言っているのに話し掛けて誘う弁天をなだめ、宇賀は祠の中に会釈した。いちおう礼儀は心得ていますと伝わってほしいところ。
神仏同士、いつか語り合う日がくれば面白いかもしれない。筆談から始めることになるが、どんな神なのだろうか。日本の酒でもご馳走しながら、互いのお国事情などを話してみたい。
弁天は微笑んで、中の神に挨拶した。
「じゃあ、また来るね。気が向いたら出ておいでよ」
「いきなり気安いのでは」
「だって通じないんでしょ。気持ちを表現してるだけなんだから、これでいいの」
ほがらかに弁天は祠に手を振った。宇賀はきちんと一礼する。まあ、敵意はないのは伝わっただろう。
「ねえ宇賀の。ついでだよ、天主堂にも寄っていこう」
言いながら弁天は歩き出した。横濱天主堂はここからそう遠くない。
居留地初の、西洋の寺が出来たのは三年前の冬だ。フランス人の坊さんがひらいたのだとか。石造りで屋根の上に塔があり、そこに鐘がぶらさがっている。鳴らされる鐘の音色が日本の寺とは違っていて、それが弁天には面白いのだった。
天主堂の前まで来てみても、外から眺めるしかできなかった。日本人がこのキリスト教とやらを信じるのは禁じられていて中には入れないのだが、弁天が入信するはずはない。
「どんな神さまなんでしょう」
「会えたら面白いねえ」
「だから話せませんって」
「わ、こっちは筆談も無理だ。でも挨拶は通じるよ、はろう、だもん」
「ばーい、ですぐお別れじゃないですか」
「あれ、はろうは英語だっけ。ここのお坊さんてフランス人だったよ。神さまは?」
「フランス語かもしれませんね」
「……笑っておけば、いっか!」
港ができたら外国人が集まって、異国の神もやって来る。六年前までそんなことになるとは思ってもいなかった。
神仏も先のことなどご存じない。いや、気にしていないのだ。
だって、人の世の移り変わりなど些末事にすぎないのだから。
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