41 / 57
元治元年(1864年)春から夏
第36話 はろう
しおりを挟む「……あれ、弥助さん?」
店から出てきた小夜は、伯父の十兵衛と並んだ男を見るなり名を言い当てた。弥助の方もすっかり女らしくなった小夜に目を見張ったが懐かしげに笑う。
「小夜……本当にこっちに来てたんだなあ」
「そうなの、伯父さんの店で働いてて」
言葉を交わす二人を見、状況がわからない又四郎はぐいと小夜の肩を抱いた。たぶん弥助への牽制だろう。
「この人があいつらを追い払ったんだ。小夜の知り合いか?」
「うん。横濱村の頃の」
「そちらは小夜の旦那だったのか。あまり喧嘩っ早いのは、ためにならないぞ」
「……ッ!」
釘を刺されて又四郎は言葉に詰まる。あのまま撃たれて死んでいたかもしれないのだ。威勢と気っ風が自慢の船乗りとはいえ銃には敵わない。
「……すまねえ。助かった」
「いやほんとにありがたいよ」
十兵衛はほとんど泣き笑いだ。大切な同居人である姪っ子の夫が殺されるかと思ったじゃないか。
「弥助、ありゃ何を言ったんだ? 連中が借りてきた猫みたいになっちまった」
「ええと、日本語だとなんて言うんだろう。赤隊には暴れた兵を取り締まる部隊がいるんです。そいつらが来るぞ、とね」
弥助はおかしそうに笑った。捕まって兵倉にぶち込まれるのは彼らにとっても恐怖でしかないらしい。
最近は日本人と揉める連中も多く、そんな時の対処法として弥助は馴染みの商人から「軍警が来る」と言えばいいと教わったのだった。あんなに効果てきめんだとは思わなかったが。
「牢屋に入りたくなければ帰れ、てことです」
「なるほどな。俺らは身振り手振りしかできんので何かあっても泣き寝入りだったんだ。その言葉、あとで教えてくれねえか」
「もちろん」
力強く請け合った弥助は、真面目な顔になって又四郎に向き直った。
「異人とやり合うなんて、もうやめろ」
「だ、だけどよ。あいつらの方から小夜にからんできやがったんだ。俺が守らねえでどうする」
「だがお前、あいつらを殺しかねなかったじゃないか。懐に呑んでるのはなんだ、匕首か?」
又四郎がハッとなって腹を押さえた。銃を向けられそこに手を伸ばしたのを弥助は見ていたのだった。黙られて、弥助はため息をついた。
「悪いのは赤隊の連中だ。でも殺せばお前だって打ち首になるぞ。小夜を一人にしたくないだろう」
「……わかったよ。もうしねえ」
渋々答えた又四郎を小夜がベチンとひっ叩いた。
「もう馬鹿! 私は平気なんだから、あぶないことしないでちょうだい!」
しがみついて泣き出す小夜に弥助は困った顔だ。幼い頃のほんのりした初恋だったとはいえ、目の前でそんなことをされるとさすがに居たたまれなかった。
「筒井筒の想いも叶うばかりではないんだねえ……」
群衆の中に隠れ小声でつぶやく弁天に宇賀は吹き出した。
今日は男を見せた弥助だったが、その背中は少し悲しげだった。
酒を飲み、くだをまく。上官に捕まり牢に入るのを怖がる。
そんな赤隊、そして青隊も居留民も、やはり普通に人なのだと弁天は思いを新たにした。
「そうです、奴らはただの人です。それがわかったからって、どうしてまたトワンテ山に行こうなどと」
「いや、ちょっと一言あいさつしに」
「なんなんです、あなたは……」
日をあらためて意気揚々と表に出た弁天だったが、さすがに宇賀はうんざりした顔だった。だが駐屯地めがけて、こんどは裏の宮脇坂を上がる弁天はとても楽しそうだ。
「だってあそこの門番さんたち、我のことを見て話したそうにしていたじゃない。きっと日本人とも仲良くなりたいんだよ」
「……それはお人好しがすぎるというもの」
「そう?」
「彼奴らは男所帯です。美しい女なら誰にでも声を掛けるし手だって出す。だから又四郎が怒ったんでしょう」
「あ、そっか。小夜は美人だものね」
ケラケラと弁天は笑った。それはまた駄目男っぽい振る舞いで、ますます赤隊の人間味が伝わってくるというもの。
坂の上に出てみれば、向こうに駐屯地が広がっている。しかしその手前に子どもを連れた外国の婦人らがいて弁天はきょとんとした。居留地では女性も見かけるようになっていたが、こんな所にも。
子らは元気に走り回っていて、女の子のヒラヒラした服が華やかで可愛らしかった。近づくと、こちらを見上げてニコニコする。嬉しくなって弁天は口にしてみた。
「はろう」
「――Hello!」
パアッと目を輝かせた子らが言葉を返してきた。通じた。
だがそこまでで、その後に何やら言われることが弁天にも宇賀にもさっぱりわからない。困っていると母親らしき婦人たちがやってきて笑顔で子らに言い聞かせた。これもわからなかったが、たぶん悪いことではないのだろう。だって、顔を上げてこちらに向けたのは満面の笑みだったから。
にこやかに笑って子どもを連れていく婦人たちは、そのまま駐屯地の門を通っていった。
「え、トワンテ山の人なの? あそこにいるの兵隊さんだけじゃないんだ」
「家族連れで日本に来ているんでしょうか」
「はあ……はるばるご苦労なことだけど。なんだ、なら男所帯とも限らないんじゃない」
弁天に言われ宇賀は肩をすくめた。まだ調べが足りなかったようだ。
挨拶が子どもに通じたことで気を良くし、弁天は足を進めた。谷戸坂の上まで来れば、また歩哨たちが弁天にまなざしを送ってくる。
「はろう!」
にっこりと告げた弁天に、赤隊は一瞬驚いて――それからやんやの喝采と指笛が起こった。その反応にこちらが驚くほどだ。
歩み寄れば、歩み寄られる。
弁天の胸には喜びがあふれたのだが宇賀の方はむっつりとなった。心が狭いと言われようと、弁天は自分の主なのに。そんな宇賀の顔をちらりと見、弁天は小さく笑った。
二人が見下ろす谷戸坂の先には居留地と港――そこは世界の人々が共に暮らす町だ。誰のどんな気持ちも呑み込んでくれる。
人々の想いも、神々の想いも。
11
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
魔斬
夢酔藤山
歴史・時代
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。
その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。
坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。
幕末。
深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。
2023年オール讀物中間発表止まりの作品。その先の連作を含めて、いよいよ御開帳。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる