開国横浜・弁天堂奇譚

山田あとり

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万延元年(1860年)初夏

第17話 寺の居候

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 居留地に渡る橋の出入りを改めることになる、警衛けいえい隊。彼らが増徳院に下宿するとは。
 宇賀はじっとりと玉宥ぎょくゆうを睨めつけた。

「その任に当たるのは武家の食いはぐれ者など、ですよね」
「は、はあ」
「寺にそんな男たちを入れると?」

 警衛隊募集に応じた彼らは、江戸や神奈川周辺の部屋住み。つまり多分に厄介者扱いされていた連中だった。もちろん横濱に家などあろうはずもなく、借家を個別に探すよりまとめてどこかに押し込んだ方が、と増徳院に白羽の矢が立ったのだ。

「ねえ玉宥、下宿ってどこに?」
「僧坊の座敷を貸すことになりまして……」
「え。つまり、ここ!?」
「はあ。大変申し訳なく……」

 玉宥が口ごもるのも無理なかった。弁天の姿をうっかり警衛隊員に見とがめられたらどうなることやら。それはわかっているのに話を持ち込んだ徳右衛門が恨めしい。
 しかし徳右衛門も神奈川奉行からのお達しとなれば何も言えないのであって、つまりこれはフラフラ顕現している弁天たちが悪いのではないか。帰りがけの徳右衛門が同行者に隠れて平謝りしてきて、玉宥としても文句のぶつけどころがなくなっていた。

「――元町にも新たな家は建っていきます。割り当てられた土地に住まない者もおりまして、家は建てるが貸し出して銭にするというのです。そういうのを借り上げていけば近いうちに出て行かせられるかと。しばらく弁財天さまにはお堂にお籠りいただけませんでしょうか」

 徳右衛門から聞かされた展望を伝えガバリと土下座した玉宥だが、弁天はにべもなかった。

「やだ」
「や、だ――とはまた、子どもの言い草!」
「やなものは、嫌。こんなにいろいろ面白い時に外に出ないなんて、できるわけないでしょ!」
「あのう、私はいいの?」

 ぶーぶー言う弁天の横から薬師が口を挟んだ。弁天名指しで言われたが、どういうことなのか。

「薬師さまは女人には見えませんからなあ。寺にいらっしゃってもよろしいかと」
「ねえ、その者らは番所に詰めてるんでしょ? ここには寝に帰ってくるだけなら会わないで済むよ」

 弁天は言い張った。弁天堂と僧坊の間には大銀杏と植え込みがあるし、昼間に少々出入りしたところで目につかないのではないか。
 僧坊には寄りつかないようにし、外に出るなら宇賀に先に確認させてと考えたが、玉宥は首を横に振った。

「いや、夜も番所に詰めるのですよ。五人一組の交代制で、それぞれに下男一人がつきます。なので昼が休みの組がありますし、下男たちは常に寺にいて炊き出しだの洗濯だのをやることに」
「あ! それらに寺の雑務もやらせるつもりだね? だいたいここを貸すのにも結構な金子をもらうんだろうし、玉宥の守銭奴! 腹黒! 我を銭で売るなんて、まったくひどい男だよ!」
「弁財天さま、それはあんまりな申されよう! 私の立場ではどうにもならず!」

 いい歳の僧侶と悠久を過ごす弁財天の罵り合いなどあまり聞かない。宇賀は面倒になってバンと畳を叩いた。

「わかりました、もう結構」

 皆が黙って宇賀の方を向く。

「弁財天さま」
「……何」
「家出しましょう」
「んあ?」

 弁天から妙な音が出た。だって驚いたのだ。静かにだが、キレ散らかす宇賀など見たことがない。
 宇賀にとって何より大切なのは、主の気ままな時間。弁天の近くに腕っぷし頼みの男たちが住むのも気に食わないし、そのせいで身動きが取れないなど何とも苛立たしいのだった。

「あなたには下の宮弁天社もあるのです、しばらくあちらにお住まいになればよい。むしろあそこなら居留地との行き来に関所も番所もなし、たっぷりと異人の風俗をご覧になれます」

 言い切る宇賀の目が据わっていた。蛇の目は引っ込んでいるが、これは相当怒っている。
 玉宥は寿命が縮む思いだった。今夜あたり寝ている最中に締められないだろうか。弁天の方も困惑気味で、むしろ怒りが引っ込んでしまう。

「宇賀の――だいじょうぶ?」
「私は大丈夫です。寺にいて大丈夫じゃなくなるのはあなたでしょう」
「うーん。そう、かな?」

 何か身に危険が、などということは起こらない。と思う。
 弁天はこの世に身を顕してはいるが、それはそう欲し、そうしているだけ。ぷいと隠れてしまうこともできる。荒くれた男がいたところで弁天には何もできないのだから、宇賀が苛立つことはないのだ。

「好きに出歩けないのは嫌だけど、それだけだよ」
「あなたが思うようにできないのなら、それは大丈夫ではありません」
「宇賀の――」

 何を言っているのだ。いつだって弁天のする事を細々叱るのは宇賀ではなかったか。さっきも道端でパンを食うなと帰るまで我慢させたくせにと考えて、さすがに些末過ぎて恥ずかしくなる。
 たぶん宇賀が思うのは、そういうものではないのだろう。
 弁天が、弁天らしく在ること。それを守ること。それが宇賀の居る意味。
 口うるさく弁天の言動をたしなめながらも寄り添う。ずっとそうして来たのだったなァと思い出して弁天は微笑んでしまった。
 いきなり機嫌を直した弁天に、皆が怪訝な顔をする。だが宇賀だけは、その笑顔にまたムッとしていた。

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