雨のち雨のレイ

山田あとり

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ペンギンが飛ぶ空

第16話 なでしこの夢

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 撫子はやわらかく笑う。もういつもの控えめな撫子だった。

「ごめんねハコベちゃん。私のわがままにつきあわせて、苦しい思いをさせて」

 また撫子の目からあふれた涙がポロリとこぼれた。心配したのか、ペンギンたちが何羽も寄ってくる。首を上げ下げするペンギンに、撫子は泣きながら笑った。私だって、泣きそう。

「私もごめん。私、何もできなかった」
「そんなことない。ハコベちゃんがいてくれて、私とても楽しかった。私ね――」

 撫子はペンギンに囲まれながら前を向く。

「ハコベちゃんと一緒なら、どこかに行ける気がしたの」
「どこか――空、に?」
「そうね。あと、世界にも」

 撫子は見たことのない真っ直ぐな目をしていた。もうから魂は自由になって、なんでもできるのだろうか。少しうらやましい。

「だから二人で行けたらな、て思ったの。でもだめだよね、ハコベちゃんにはそこの……レイくんがいるから」

 寂しそうに笑われて、私はレイくんを振り向いた。レイくんも私を見て、顔を見合わせることになる。
 レイくんがいる、てどういう意味だろう。そりゃいるけど、私はレイくんが誰なのかすらわかっていないのだった。

「ほんとにもう、ひどいと思うのレイくんて。ここは私の世界なのに、まぎれ込んできたのよ。勝手なことするし、私はあなたに何もできないし」
「まぎれて? 俺が?」
「そうよ。私、ハコベちゃんしか呼んでない」

 撫子はつーん、と唇をとがらせて文句を言う。たまに私にだけ向けてやるこの仕草がかわいくて大好きだった。

「呼んでもさ、ハコベには届いてなかった。俺がつなげてやったんだぞ」
「そうみたいね。ありがとうなんだけど……ずるいなあ、そんなことできるのあなただけよ」

 そう言われてレイくんは変な顔をした。

「俺――どうして他の人の心に入れるんだろう。みんなはできないのか?」
「わからないの?」

 撫子はおかしそうにフフフと笑った。
 あれ、そうか。
 レイくんは撫子の心の世界に私を連れて入ってきている。豆だいふくの時にもそうだった。それっておかしなことなの? 私は想いを残されて呼ばれた当人だからいいとしても、まったく関係ないレイくんはどうしてこの世界に入れるんだろう。

「ふーん。えへへ、教えてあげなーい」

 からかうように言った撫子は、立ち上がると私たちの方に歩いてきた。後ろでペンギンが何羽もヒョコヒョコ顔を出し様子をうかがうのがおかしかった。本当に飼育員さんみたいだね、撫子。

「あなたは私とは違うんだもん。しっかりしてよ」
「えー、俺どうすりゃいいの」
「自分で考えて」

 レイくんにお説教した撫子の表情がふにゃ、とくずれる。

「ハコベちゃんを泣かせちゃだめなんだから」
「おまえの方が泣かせてるじゃないか」

 立ち上がった私の前まで来て撫子は笑った。
 なんのくもりもない、晴れた空みたいな笑顔。

「あのね。ハコベちゃん、大好き」
「――うん。私も大好きだよ、ナデシコ」

 そうっと抱きついてきた撫子を抱き返す。
 すると撫子の体はスウと白さを増し、輝き始めた。

「あ――」

 撫子が、光になる。
 光のつぶになって舞い上がる。
 大きな、小さな輝きが私の周りに渦を巻き、すこし名残惜しそうにした気がした。それでも光は昇っていく。空に。
 撫子が飛びたかった、空に。

 ――大好き。

 最後にもう一度ささやく声が聞こえた。光たちはきらめいて、消えた。

「ナデシコ――」

 空に見送って、私は泣いていた。
 もう会えない。本当に会えないんだ。

「ハコベ」

 静かにレイくんの手が私の頭をなでる。私はそのヨシヨシを嫌がらなかった。それでも涙は止まらない。

「なあ、俺言っただろ。雨は世界をめぐる水、いのちだ、て――涙もさ、水だから」

 ゆっくりと、含めるようにレイくんは言う。私はしゃくりあげながら訊いた。

「この涙も、いのちなの」
「そう。いのちのかけら」

 レイくんはうなずく。
 撫子は世界を見に行ったのだろうか。撫子のいのちは世界になっただろうか。世界をめぐる水に。
 じゃあ私のこのひとしずくの涙の中には、撫子もほんのすこし混ざっているのかもしれない。

「そうだったら、いいな」
「ああ」

 だけど周囲の景色は色をなくしていった。
 水族館も、ペンギンたちも、色あせ灰色にかすんで形を崩し、サアと消えていく。
 撫子の残した夢が、消える。

 その中にたたずんで私とレイくんは寄りそった。ここにはもう、私たちしかいない。ふたりぼっちだった。

「さて、と」

 レイくんはチラリと私を見た。何かを言いよどんでいるようだった。

「あのさ……俺のこと、思い出せた?」
「え……いや、今それどころじゃなかったでしょ」

 人ががんばって泣きやもうとしているっていうのに、何言うの。私はぐしぐしと目をこすった。レイくんは途方に暮れたように上を見る。

「俺、なんなんだろう。そうだよな、おかしいよな」

 レイくんは小さくひとりごちて考え込んでしまった。ああ、撫子に言われたことか。『あなたは私とは違う』って、どういうことなんだろう。
 こんなふうに迷うレイくんは初めてのような気がする。これまではいつも自信満々で上から目線だった――でも、レイくんも想いを残して死んでしまった人なのだから、それは空元気だったのかもしれない。そんな状態で平気なわけがない。
 私は早くレイくんのことを思い出してあげなくちゃいけないんだ。
 このままだと、きっとレイくんはつらいから。

 ――消えかける撫子の夢の世界。
 その中でこれからのことを考え、私たちは立ちつくした。


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