雨のち雨のレイ

山田あとり

文字の大きさ
上 下
11 / 36
ペンギンが飛ぶ空

第11話 歩きたくて飛びたくて

しおりを挟む

「ナデシコ――私だって会いたかったよ」

 私たちはゆっくり近づいた。本当に撫子なの。はにかむように笑う撫子は、おずおずと私に抱きつく。
 ああ、撫子だ。
 私の肩に顔を伏せて撫子は声をふるわせた。

「ハコベちゃん――ごめんね、ハコベちゃんにまで怪我させちゃった」

 何言ってるのよ、自分は死んじゃったくせに。

「ばかナデシコ。私もごめん、ナデシコを引き上げられればよかった」
「えー、無理だよぉ。私、そこそこ重たいよ?」

 顔を上げた撫子はぷくぅと頬をふくらませる。私たちはおでこをくっつけるようにして笑い合った。
 ひとしきり笑うと撫子は両腕で周りを示してみせる。

「私ね、ハコベちゃんと水族館に来たかったの」
「そう言ってたね。ペンギンとカピバラと」
「だからね、今日は遊ぼ!」

 撫子はクルリと身をひるがえし、そこにいるカピバラに駆けよった。私もついていくと、柵の向こうのカピバラたちがのそのそと飼育エリアの端にあるプールに向かう。撫子はそれをわくわくながめた。

「ほんとにお風呂に入るのかなあ」
「ていうかあれ、お湯なの?」
「――あ、そうか」

 急にプールから湯気が立ち、え、と後ろでレイくんが小さく声を上げた。
 カピバラはトポン、とプールに突っ込んだ。鼻すれすれまでお湯につかって気持ちよさそうにする。私たちは吹き出した。

「かわいい!」
「頭に手ぬぐい乗せたら似あうねえ」

 そこでレイくんが口をはさんだ。

「風呂入ってると、なんかオッサンぽいな」

 撫子がびく、とした。レイくんを振り向いてにらみつける。

「……この人、誰?」

 ものすごく警戒する目だった。私の腕にぎゅっとつかまる。そうだよね、撫子はレイくんに会ったことないんだった。

「えーとね、レイくんは……」

 紹介しようとして私も首をひねってしまった。なんて言えばいいんだろう。

「うーん俺は……ハコベの知り合い、なんだけど……」

 本人も考え込む。そうか、私が思い出すまで名乗れないし、どんな関係だったかも言えないんだっけ。

「あの、あのね、とにかく変な人じゃないから。私をここに連れてきてくれたの」
「おーい、変な人じゃないって、その言い方だとむしろヘンな人っぽくね?」
「しょうがないじゃない。怪しいのは変わらないし」
「どこが怪しいんだよ!」

 言い合う私とレイくんに、撫子は不満そうだった。私の腕をグイと引っ張る。

「悪い人じゃないのは、なんかわかったけど……ハコベちゃんと遊ぶのは私なんだから、じゃましないで」
「ナデシコ……」

 知らない男の子に、ううん、誰に対してでも、こんなにはっきり物を言う撫子は初めて見た。
 私に向かってニッコリ笑うのに、撫子の目は泣きそうになっている。私は空いてる方の手で撫子の頬をムニムニした。

「だいじょうぶ、レイくんはいい人だよ、邪魔なんてしない。でも私、レイくんのことも知らなきゃいけないの。だから一緒に行かせてよ」
「……ハコベちゃんが言うなら」

 仕方なさそうに撫子はうなずいた。そしてプイと顔をそむけてレイくんを視界から外し、私の肩にもたれる。

「ね、もうすぐペンギンパレードがあるよ。外の広場に行こう」

 甘えるような撫子の伏せたまつげが、ふる、とふるえていた。

 ――平子先輩とは付き合わないの? と撫子に訊いた時のことを思い出した。
 あの時も撫子は泣きそうで――まつげに一滴の涙をくっつけて、私にぎゅっとしがみついたんだ。

『はこべちゃんがいれば、それでいい』
『え、私はカレシとは違うし』
『はこべちゃんは、カレなんかよりもっといいものだよ』
『……そうなの?』

 そうなんですぅ、とふざけて答える撫子の目はなんだか遠くを見ているようだった。

 今の撫子も、同じ目だ。まばたきした撫子のまつげから、小さなしぶきが飛んだような気がした。

「――やっとハコベちゃんとデートできる」
「デート……」

 さっきもそんなこと、レイくんに言われたなあ。どういうこと? 私モテ期なんだろうか。

「さ、行こ!」

 撫子は私を引っぱって駆け出す。その軽やかな足どりに私は考えるのをやめた。
 今、撫子が嬉しそうならそれでいい。



 屋外の広場にはやわらかい光がそそいでいた。周りにはヤシの木が並んでいて、お土産物屋さんの建物もある。他のお客さんがいないのが変な感じだ。
 見上げると、ふんわりぼやけた空。とりとめのない雲が流れていく。

「もう来るはずなんだけどな」

 撫子がツイと背伸びしてあたりを見回した。レイくんは私たちから何歩も離れて、少し後ろに立っていてくれる。

「あ、来た!」

 視線の先に、よちよち歩いてくる集団がいた。わりと小さめのペンギン。
 十何羽かいるだろうか、ひっきりなしに誰かが列を離れそうになるのに、チョロチョロとまた戻ってくる。

「飼育員さん、いないんだね」

 私は目を丸くしてしまった。勝手に行進してくるなんて、偉すぎるでしょ。

「私がここの飼育員さんになろうかな」
「あ、ペンギンと歩くナデシコなんてきっとかわいい!」

 作業服に帽子に長靴で。女の子っぽい撫子にはむしろ似合いそうだ。うふふ、と撫子は照れ笑いした。
 撫子はペンギンパレードに合流し、後ろについて歩き始める。私はその横を追いかけた。

「ペンギンは歩くのが得意じゃなくて、鳥なのに空も飛べない。でも海を飛ぶ」

 撫子は夢のようにつぶやいた。

「私も世界をうまく歩けないの。私もペンギンならよかった。そうしたら、飛べる海があったのに――ね、ハコベちゃん」

 私を振り向いた撫子の頬は、あの日の窓辺で振り向いた時のように上気していた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

星の見える場所

佐々森りろ
青春
 見上げた空に星があります様に。  真っ暗闇な夜空に、願いをかけられる星なんてどこにもなくなった。  *・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*  『孤独女子×最低教師×一途男子』  *・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*  両親が亡くなってから、姉・美月と二人で暮らしていた那月。  美月が結婚秒読みの彼氏と家を出ていくことになった矢先に信じていた恋人の教師に裏切られる。  孤独になってしまった那月の前に現れたのは真面目そうなクラスメイトの陽太。  何を考えているのか分からないけれど、陽太の明るさに那月は次第に心を開いていく。  だけど、陽太には決して表には出さない抱えているものがあって──

その花は、夜にこそ咲き、強く香る。

木立 花音
青春
『なんで、アイツの顔見えるんだよ』  相貌失認(そうぼうしつにん)。  女性の顔だけ上手く認識できないという先天性の病を発症している少年、早坂翔(はやさかしょう)。  夏休みが終わった後の八月。彼の前に現れたのは、なぜか顔が見える女の子、水瀬茉莉(みなせまつり)だった。  他の女の子と違うという特異性から、次第に彼女に惹かれていく翔。  中学に進学したのち、クラスアート実行委員として再び一緒になった二人は、夜に芳香を強めるという匂蕃茉莉(においばんまつり)の花が咲き乱れる丘を題材にして作業にはいる。  ところが、クラスアートの完成も間近となったある日、水瀬が不登校に陥ってしまう。  それは、彼女がずっと隠し続けていた、心の傷が開いた瞬間だった。 ※第12回ドリーム小説大賞奨励賞受賞作品 ※表紙画像は、ミカスケ様のフリーアイコンを使わせて頂きました。 ※「交錯する想い」の挿絵として、テン(西湖鳴)様に頂いたファンアートを、「彼女を好きだ、と自覚したあの夜の記憶」の挿絵として、騰成様に頂いたファンアートを使わせて頂きました。ありがとうございました。

ESCAPE LOVE ―シブヤの海に浮かぶ城―

まゆり
青春
フミエは中高一貫の女子高の3年生。 長身で面倒見がよく、可愛いと言われたことがなくて、女子にはめちゃくちゃモテる。 学校帰りにシブヤで、超かわいいエリカちゃんの失恋話を聞いていたら、大学生の従兄であるヒロキに偶然会い、シブヤ探訪に繰り出し、予行練習にラブホに入ってみようということになり…。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

坊主女子:スポーツ女子短編集[短編集]

S.H.L
青春
野球部以外の部活の女の子が坊主にする話をまとめました

アオハルオーバードーズ!

若松だんご
青春
 二度とない、高二の夏! 十七の夏!  「アオハルしたい!」と騒ぎ出した友人、健太。彼に巻き込まれるようにして始まった、「アオハルオーバードーズ計画」。  青春に、恋は外せない、必須事項。だから。  僕は、「家が近所」という理由で、クラスメイトの山野未瑛と強引にカップルにされてしまう。  全校生徒20人にも満たない、廃校寸前の小さな海辺の高校。僕たち二年生は、わずかに6人。それぞれが誰かとお試しカップルになり、「恋とはなにか」を探す日常。  いっしょに登下校。互いにお弁当を作ってくる。時に二人で買い食いして。時にみんなでカラオケしたり。思いっきりバカをやったり、腹の底から笑ったり。  騒がしく落ち着かない初夏の僕たち。  僕、大里陽と絵を描くのが好きな山野未瑛。言い出しっぺ川嶋健太と一年生の長谷部明音。陸上部の長谷部逢生と海好き鬼頭夏鈴。本好きで日下先生推しの榊文華。  アオハルってナニ? 何をしたら、アオハルなわけ?  試行錯誤、行き当たりばったり。正解なんて見つからない。正解なんてないのかもしれない。  でも、楽しい。でも、苦しい。そして、切なく。そして、愛しい。  なんでもない、普通の初夏。他愛のない高校生活。そんな一日一日が、キラキラと輝く宝物のように、サラサラと指の隙間からこぼれ落ちる砂のように流れ去っていく。    伊勢志摩の小さな海辺の町で繰り広げられる、甘く切ない恋の物語。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

最期の時まで、君のそばにいたいから

雨ノ川からもも
青春
【第6回ほっこりじんわり大賞奨励賞受賞 ありがとうございました!】  愛を知らない ひねくれ者と、死にたがりが一緒に生きたら――  他人に興味のない少女、笹川(ささかわ)あまねは、ひょんなことから、骨折で入院中だというクラスの人気者、志賀 丈(しが じょう) にお見舞いの色紙を渡しに行くことに。  一方、そんなあまねに淡い想いを寄せる丈には、とある秘密と固い決意があって……?    生きることに無関心なふたりの、人生の話。  ※他サイトにも掲載中。

処理中です...