雨のち雨のレイ

山田あとり

文字の大きさ
上 下
1 / 36
森の怪物

第1話 雨の中の少年

しおりを挟む

 あたたかい春の雨が降っていた。
 雨は世界を包み、雨は私を受けとめる。そして雨は、大切なことをやさしく隠してしまうんだ――。




「ねえ知ってる? 三月に窓から落ちた子たちさあ」

 保健室から女子生徒たちのそんな話し声が聞こえてきたのは、昼休みも終わる頃だった。

「二人とも死んじゃったってウワサ」
「えー、一人じゃなかったの?」

 一人だよ。
 私は心の中でつぶやいた。

 保健の先生はいないみたいだ。いたらこんな話をさせておかない。学校の怪談にしたってタチが悪かった。だって隣の相談室には私がいるのに。



 中一の三月に、同級生の撫子なでしこが空に飛んだ。
 放課後の教室の窓を、乗り越えて。



「集会では一人って言ってたよねえ?」

 の後には全校集会があったらしい。保護者説明会も。私は入院してたから知らないけれど。



 あの日、撫子はそのまま空へと飛んだ。私はひとり、地面に落ちた。

『ペンギンって空は飛べないけど、海を飛ぶんだよ』

 そう言ってたね。ペンギンが大好きだった撫子。
 撫子は、空を飛ぶの?
 どうして撫子だけ、飛んでっちゃったの?



「あの後、もう一人の方も登校してないんだって。だから死んじゃったんじゃって話」
「へええ」

 私は二年生になってからも教室には戻っていない。この保健相談室にいる。いわゆる保健室登校だった。

 ガララ、と保健室のドアが鳴った。保健の萩野はぎの先生が戻ってくる。先生はすこしガサツな話し方の女の人だ。

「あれえ、どうしたのあんたたち」
「あー先生。掃除してて、ぶつけてすりむいてぇ」
「消毒? しょうがないねえ」

 萩野先生はさっさと手当てをすると、ほれほれ、とその子たちを追い出した。もう五時間目が始まる。

尾花おばなさーん、大丈夫かい?」

 萩野先生は相談室との間のドアを開けて、ヒョコンと顔を出した。
 話し方は明るいけど私を心配してくれている。あの子たちが何を言っていたのか聞こえたんだろう。

「だいじょうぶじゃないでーす。帰ってもいい?」
「こら。サボりだよ、それ」

 口では叱りながら、ニヤニヤと笑う。


「雨降ってるけど、帰るの?」
「私、雨も好きだし」
「そうかい? 霧雨はなあ、ぬれるから嫌だけどなあ」

 萩野先生は肩をすくめた。
 でもなんだかんだ言って、私の早退の連絡を担任にしてくれる。もー、好き!

 がんばらなきゃな、て思ってはいるんだよ。だからなるべくここに来る。
 でもなんだか、今日はもういいか。
 学校にいたくない。



 早退して外に出ると、校舎は細かい霧雨にけぶっていた。
 こんな日は傘をさしてもスカートがぬれる。ブレザーも。軽く飛ぶ雨の粒は、顔だってしっとりさせる。校門に歩いていく途中のうっすら水たまりができた誰もいない校庭は、なんだか嬉しそうに見えた。

「だって、あんなウワサされたらさあ。みんなと何を話せばいいのか、わかんなくなっちゃうよ」

 ちょっとだけこぼしたひとりごとは、雨に吸いこまれて消えた。

 帰り道には誰も歩いていなかった。だから私は傘をくるくる回し、しずくを飛ばして遊ぶ。
 公園で咲いていた八重のヤマブキが水を含んで重そうに垂れていた。この花は雨よりも太陽が好きなのかも。でも私は、雨も好き。
 だって植物がホッとしているから。雨をあびて、水を吸い上げて、ピンとするから。
 去年は美化委員をやって校内の花壇の世話をしたりしていた。こういうの好きって思えた。楽しかった。楽しかったんだけどな。


『撫子って花の名前だね。私もいちおう花なんだよ、はこべ、ていうの』
『はこべちゃん? かわいい名前!』

 初めて話しかけた春、撫子はそう言って控えめに笑った。
 尾花おばなはこべと小仁田こにた撫子なでしこ。それから私たちは友達になったんだ。


 ふらふらと雨に踊りながら角を曲がり、私はドキンとして立ちどまった。家の前に誰かが立っている。
 男の子だった。
 私の家を見上げていた彼は、ゆっくり私の方を見る。着ているのは知らない制服。だけど顔には見おぼえがあるような気がした。

「ハコベ!」

 その子は元気に呼びかけてきた。てことはやっぱり知ってる子なの? 年も同じぐらいだし。誰だったっけ。

「あの、えーっと」

 正直に「誰?」とは言いにくい。
 私の方に歩いてくる彼は、私より少し背が高かった。だからたぶん同じ中学二年か、三年生だと思う。
 でも、よその中学に知り合いなんていたかなあ。数歩先でニカッと笑う彼の顔。絶対に見たことあると思うんだけど、わからなかった。

「……あれ、傘は?」

 彼は傘をさしていなかった。閉じて持っているのでもない。そこらへんに落ちてもいない。サア、とただよう明るい霧雨の中にたたずんで、何故かぬれずに彼は言った。

「そんな物いらないよ。ハコベ、今帰り? 早いなあ。中学ちゃんと行ってるのかよ」
「うっ……あのね」

 なんて失礼なやつ。いきなり何よ? ちょっと腹が立ったのに、彼はヘヘヘ、と笑った。

「でも仕方ないか、大変だったもんな。学校なんか俺だって……もう、行けないし」
「え?」

 まるで私に何があったのか知っているような口ぶりだった。そして彼にも何かがあったみたいだった。
 どういうことなのと思ったのに、私がきょとんとしたのは無視される。私に向かって彼はスイ、と手を伸ばした。

「ハコベを迎えに来たんだ。ちょっと一緒に来て」
「え? え? どこ行くの」
「いいから」

 彼は少しイタズラな顔をして、教えてくれない。
 手を私にかざしたまま近づく。
 一歩、二歩、三歩。

 目の前に立たれて私は動けなかった。
 心臓がバクバクいう。何かが起こる、不思議な予感がして怖い。

 今、気づいた。彼の周囲だけ景色がぼやけている。後ろにあるはずの私の家が、フニャフニャゆがんでいた。

「ねえ、なんなのってば」
「ハ、コ、ベ」

 弱々しく抗議した私を見つめながら、彼は名前を一音ずつ呼んだ。
 傘を持つ私の手に静かにふれる。

 ――空気が、揺れた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

その花は、夜にこそ咲き、強く香る。

木立 花音
青春
『なんで、アイツの顔見えるんだよ』  相貌失認(そうぼうしつにん)。  女性の顔だけ上手く認識できないという先天性の病を発症している少年、早坂翔(はやさかしょう)。  夏休みが終わった後の八月。彼の前に現れたのは、なぜか顔が見える女の子、水瀬茉莉(みなせまつり)だった。  他の女の子と違うという特異性から、次第に彼女に惹かれていく翔。  中学に進学したのち、クラスアート実行委員として再び一緒になった二人は、夜に芳香を強めるという匂蕃茉莉(においばんまつり)の花が咲き乱れる丘を題材にして作業にはいる。  ところが、クラスアートの完成も間近となったある日、水瀬が不登校に陥ってしまう。  それは、彼女がずっと隠し続けていた、心の傷が開いた瞬間だった。 ※第12回ドリーム小説大賞奨励賞受賞作品 ※表紙画像は、ミカスケ様のフリーアイコンを使わせて頂きました。 ※「交錯する想い」の挿絵として、テン(西湖鳴)様に頂いたファンアートを、「彼女を好きだ、と自覚したあの夜の記憶」の挿絵として、騰成様に頂いたファンアートを使わせて頂きました。ありがとうございました。

星の見える場所

佐々森りろ
青春
 見上げた空に星があります様に。  真っ暗闇な夜空に、願いをかけられる星なんてどこにもなくなった。  *・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*  『孤独女子×最低教師×一途男子』  *・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*  両親が亡くなってから、姉・美月と二人で暮らしていた那月。  美月が結婚秒読みの彼氏と家を出ていくことになった矢先に信じていた恋人の教師に裏切られる。  孤独になってしまった那月の前に現れたのは真面目そうなクラスメイトの陽太。  何を考えているのか分からないけれど、陽太の明るさに那月は次第に心を開いていく。  だけど、陽太には決して表には出さない抱えているものがあって──

若紫の君と光源氏になれない僕

いなほ
青春
❀平安時代や『源氏物語』に詳しくない方でもお楽しみいただけるようになっています❀ 「生きる意味って何?」と思っている人、夢に一歩踏み出せない人に読んでほしい、もちろんそれ以外の人にも。 この時代には超えてはいけないものがある。破ってはいけないものがある。 たとえ光源氏になれなくても。 僕は……あなたの願いを叶えたいんだ。 時は平安時代。源氏物語が記された一条帝の治世から少し時を経た頃。 朝廷で下級役人として働く雅行は「歌嫌い」で、何事にも興味を示さない青年だったが……。 「桜を見せてはいただけませんか?」 自分を助けてくれた少女の願いを知った時から、雅行の心は少しずつ変わり始めていた――その時。 雅行の前にある人物が現れる。人知を超える「桜」の力で現れたというその人物は雅行が最も知りたくない真実を雅行に告げるのだった。 偽ることのできない自分の心と、自らと少女の間にある決して越えられない壁。 それを目の当たりにした先に、雅行は何を選ぶのか――? 「桜」を巡る思惑のなかで、「若紫」を映した少女と「光源氏」にはなれない青年が秘められていた自分の願いと生きる意味を見出していく、平安青春ファンタジー。 ・カクヨムでも掲載しています。 ・時代考証は行なっておりますが、物語の都合上、平安時代の史実とは違う描写が出てくる可能性があります。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

結婚したい女たち

木花薫
青春
婚活で出会ったアラサー女三人(かわいいけど無職の香・バツイチヨガインストラクターの一花・小学校の先生のお琴)は急速に親しくなりベストフレンドとなるが、生まれ育ちも現在の環境もバラバラなことから次第に不協和音が奏でだす。一人の結婚が決まったことから、残り二人は自分の過去と向き合い人生を切り開こうともがき始めるが。(noteで2021年9月から2022年2月までの5か月間に渡り連載した物語です)

坊主女子:スポーツ女子短編集[短編集]

S.H.L
青春
野球部以外の部活の女の子が坊主にする話をまとめました

アオハルオーバードーズ!

若松だんご
青春
 二度とない、高二の夏! 十七の夏!  「アオハルしたい!」と騒ぎ出した友人、健太。彼に巻き込まれるようにして始まった、「アオハルオーバードーズ計画」。  青春に、恋は外せない、必須事項。だから。  僕は、「家が近所」という理由で、クラスメイトの山野未瑛と強引にカップルにされてしまう。  全校生徒20人にも満たない、廃校寸前の小さな海辺の高校。僕たち二年生は、わずかに6人。それぞれが誰かとお試しカップルになり、「恋とはなにか」を探す日常。  いっしょに登下校。互いにお弁当を作ってくる。時に二人で買い食いして。時にみんなでカラオケしたり。思いっきりバカをやったり、腹の底から笑ったり。  騒がしく落ち着かない初夏の僕たち。  僕、大里陽と絵を描くのが好きな山野未瑛。言い出しっぺ川嶋健太と一年生の長谷部明音。陸上部の長谷部逢生と海好き鬼頭夏鈴。本好きで日下先生推しの榊文華。  アオハルってナニ? 何をしたら、アオハルなわけ?  試行錯誤、行き当たりばったり。正解なんて見つからない。正解なんてないのかもしれない。  でも、楽しい。でも、苦しい。そして、切なく。そして、愛しい。  なんでもない、普通の初夏。他愛のない高校生活。そんな一日一日が、キラキラと輝く宝物のように、サラサラと指の隙間からこぼれ落ちる砂のように流れ去っていく。    伊勢志摩の小さな海辺の町で繰り広げられる、甘く切ない恋の物語。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...