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森の怪物
第1話 雨の中の少年
しおりを挟むあたたかい春の雨が降っていた。
雨は世界を包み、雨は私を受けとめる。そして雨は、大切なことをやさしく隠してしまうんだ――。
「ねえ知ってる? 三月に窓から落ちた子たちさあ」
保健室から女子生徒たちのそんな話し声が聞こえてきたのは、昼休みも終わる頃だった。
「二人とも死んじゃったってウワサ」
「えー、一人じゃなかったの?」
一人だよ。
私は心の中でつぶやいた。
保健の先生はいないみたいだ。いたらこんな話をさせておかない。学校の怪談にしたってタチが悪かった。だって隣の相談室には私がいるのに。
中一の三月に、同級生の撫子が空に飛んだ。
放課後の教室の窓を、私と一緒に乗り越えて。
「集会では一人って言ってたよねえ?」
事故の後には全校集会があったらしい。保護者説明会も。私は入院してたから知らないけれど。
あの日、撫子はそのまま空へと飛んだ。私はひとり、地面に落ちた。
『ペンギンって空は飛べないけど、海を飛ぶんだよ』
そう言ってたね。ペンギンが大好きだった撫子。
撫子は、空を飛ぶの?
どうして撫子だけ、飛んでっちゃったの?
「あの後、もう一人の方も登校してないんだって。だから死んじゃったんじゃって話」
「へええ」
私は二年生になってからも教室には戻っていない。この保健相談室にいる。いわゆる保健室登校だった。
ガララ、と保健室のドアが鳴った。保健の萩野先生が戻ってくる。先生はすこしガサツな話し方の女の人だ。
「あれえ、どうしたのあんたたち」
「あー先生。掃除してて、ぶつけてすりむいてぇ」
「消毒? しょうがないねえ」
萩野先生はさっさと手当てをすると、ほれほれ、とその子たちを追い出した。もう五時間目が始まる。
「尾花さーん、大丈夫かい?」
萩野先生は相談室との間のドアを開けて、ヒョコンと顔を出した。
話し方は明るいけど私を心配してくれている。あの子たちが何を言っていたのか聞こえたんだろう。
「だいじょうぶじゃないでーす。帰ってもいい?」
「こら。サボりだよ、それ」
口では叱りながら、ニヤニヤと笑う。
「雨降ってるけど、帰るの?」
「私、雨も好きだし」
「そうかい? 霧雨はなあ、ぬれるから嫌だけどなあ」
萩野先生は肩をすくめた。
でもなんだかんだ言って、私の早退の連絡を担任にしてくれる。もー、好き!
がんばらなきゃな、て思ってはいるんだよ。だからなるべくここに来る。
でもなんだか、今日はもういいか。
学校にいたくない。
早退して外に出ると、校舎は細かい霧雨にけぶっていた。
こんな日は傘をさしてもスカートがぬれる。ブレザーも。軽く飛ぶ雨の粒は、顔だってしっとりさせる。校門に歩いていく途中のうっすら水たまりができた誰もいない校庭は、なんだか嬉しそうに見えた。
「だって、あんなウワサされたらさあ。みんなと何を話せばいいのか、わかんなくなっちゃうよ」
ちょっとだけこぼしたひとりごとは、雨に吸いこまれて消えた。
帰り道には誰も歩いていなかった。だから私は傘をくるくる回し、しずくを飛ばして遊ぶ。
公園で咲いていた八重のヤマブキが水を含んで重そうに垂れていた。この花は雨よりも太陽が好きなのかも。でも私は、雨も好き。
だって植物がホッとしているから。雨をあびて、水を吸い上げて、ピンとするから。
去年は美化委員をやって校内の花壇の世話をしたりしていた。こういうの好きって思えた。楽しかった。楽しかったんだけどな。
『撫子って花の名前だね。私もいちおう花なんだよ、はこべ、ていうの』
『はこべちゃん? かわいい名前!』
初めて話しかけた春、撫子はそう言って控えめに笑った。
尾花はこべと小仁田撫子。それから私たちは友達になったんだ。
ふらふらと雨に踊りながら角を曲がり、私はドキンとして立ちどまった。家の前に誰かが立っている。
男の子だった。
私の家を見上げていた彼は、ゆっくり私の方を見る。着ているのは知らない制服。だけど顔には見おぼえがあるような気がした。
「ハコベ!」
その子は元気に呼びかけてきた。てことはやっぱり知ってる子なの? 年も同じぐらいだし。誰だったっけ。
「あの、えーっと」
正直に「誰?」とは言いにくい。
私の方に歩いてくる彼は、私より少し背が高かった。だからたぶん同じ中学二年か、三年生だと思う。
でも、よその中学に知り合いなんていたかなあ。数歩先でニカッと笑う彼の顔。絶対に見たことあると思うんだけど、わからなかった。
「……あれ、傘は?」
彼は傘をさしていなかった。閉じて持っているのでもない。そこらへんに落ちてもいない。サア、とただよう明るい霧雨の中にたたずんで、何故かぬれずに彼は言った。
「そんな物いらないよ。ハコベ、今帰り? 早いなあ。中学ちゃんと行ってるのかよ」
「うっ……あのね」
なんて失礼なやつ。いきなり何よ? ちょっと腹が立ったのに、彼はヘヘヘ、と笑った。
「でも仕方ないか、大変だったもんな。学校なんか俺だって……もう、行けないし」
「え?」
まるで私に何があったのか知っているような口ぶりだった。そして彼にも何かがあったみたいだった。
どういうことなのと思ったのに、私がきょとんとしたのは無視される。私に向かって彼はスイ、と手を伸ばした。
「ハコベを迎えに来たんだ。ちょっと一緒に来て」
「え? え? どこ行くの」
「いいから」
彼は少しイタズラな顔をして、教えてくれない。
手を私にかざしたまま近づく。
一歩、二歩、三歩。
目の前に立たれて私は動けなかった。
心臓がバクバクいう。何かが起こる、不思議な予感がして怖い。
今、気づいた。彼の周囲だけ景色がぼやけている。後ろにあるはずの私の家が、フニャフニャゆがんでいた。
「ねえ、なんなのってば」
「ハ、コ、ベ」
弱々しく抗議した私を見つめながら、彼は名前を一音ずつ呼んだ。
傘を持つ私の手に静かにふれる。
――空気が、揺れた。
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