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 勇者が去って三ヶ月が経ち、しんしんと降り続けていた雪も溶け、森の木々には桃色の花が咲き始めた頃――。
 湖で日課の祈りを捧げるレヴィは、平和で穏やかな毎日を送っていた。
 とはいっても、朝からやることは多い。
 レヴィが大鍋でスープを作り始めれば、動物が集まってくる。

『イイニオイ~!』

『オナカ、ヘッタ……』

 民がリンドヴィルムに献上する食事は、全く手をつけられていない。
 それでも、レヴィの作ったスープだけは、毎度綺麗になくなっているのだ。
 そのことに気付いてからは、リンドヴィルムには出来立てのスープを食べてほしいと思い、レヴィは湖で調理を始めていた。

 レヴィが祈りを捧げている間に、番犬たちが木を集めてくれ、不死鳥が火をつける。
 そして軽々と大鍋と大量の食材を運ぶのは、クローディアスの役割だ。
 みんなで作ったスープは、格別に美味しいと思うのは、レヴィだけではないだろう。

「ふふっ。お手伝いしてくれた子には、おかわりもあるからね?」

『やったあー! 僕は、重い荷物をいっぱい運んでるから、大盛りだー!』

『黙れ、小僧。俺様が一番役立っていることを忘れるな!』

『……え? ロッティさんは、ぺっ、ってツバ吐いただけなのに?』

 食い意地の張っているロッティが、クローディアスの頭を乗り、言い争う。
 不服そうにするクローディアスが、地団太を踏むように忙しく足を踏み鳴らせば、朝の静かな森が、あっという間に賑やかになっていた。

「本当に仲良しだな~。可愛いコンビだ!」

「っ……レヴィ様。大丈夫、なんですか?」

 食器を用意していたコンラートの不安そうな視線が刺さるが、レヴィは心配無用だと微笑み返した。

「クローディアスくんはクールな顔付きだし、短気な性格だと思われていますけど。怒ってなんていませんよ? 実際には、可愛らしい子供なんです」

「「「…………へぇ」」」

 クローディアスを、ちらりと見る使用人たちは、引きつった笑みだった。
 レヴィが嘘をつくとは思えないが、それでも信じられない、といった感じだろう。

(クローディアスくんの本当の声は、すっごく可愛いってことを、みんなは知らないからなあ~)

『ツバじゃねぇ!! かっこよく火をつけたんだよっ!! だから俺様が、大盛りだっ!!』

『……じゃあ僕は、特盛りっ』

『っ、なんだと!?!? 小僧のくせに、生意気だぞっ!!』

 不死鳥と巨大馬が不仲だと思い、戦々恐々としている者たちをよそに、レヴィはふたりの会話が面白くて、くすくすと笑っていた。



 それから皆で、湖を眺めながら朝食を摂る。
 栄養のあるスープを毎朝食しているからか、皆の顔色もよく、風邪を引くこともない。

(いつかこの輪に、リンドヴィルム様も加わってくれる日が来たらいいな)

 鱗を頂戴した日以来、リンドヴィルムが姿を見せることはなかった。
 一度、騙された過去もあるため、レヴィやベアテル以外の人間を警戒しているのかもしれない。
 リンドヴィルムに会いたい気持ちは山々だが、レヴィは気長に待つことにしていた。



 食事を終えた後は、ベアテルと湖を一周する。
 仲良く手を繋いで歩く時間は、レヴィにとっては幸せなひとときだ。

「セドリック王太子殿下が、母国に帰ることに決めたらしい。ようやくレヴィを諦めてくれたな……」

 どこか疲れた表情のベアテルが呟く。
 まるで、セドリックがレヴィに好意を寄せていると、誤解を招くような発言だったが、実際にはレイバンの専属医として、レヴィをそばに置きたいだけだろう。

「レヴィは、俺の聖女様なのにな?」

「っ、」

 そうだろう? と、魅惑的な笑みを浮かべるベアテルに、同意を求められる。

(っ、お、俺の聖女様っ!? ……いや、間違ってはいないっ、けど……これ以上、ドキドキさせないでほしいよぉ~~)

 もじもじとするレヴィを、ベアテルがすかさず抱き寄せる。
 レヴィを溺愛するベアテルの態度は、甘くてたまらない。

 今はふたりきりだが、こんな甘い台詞を、人前でも平気な顔で囁いてくるものだから、レヴィはベアテルの変化に戸惑う反面、密かに喜んでいた――。

『俺様の言った通りだっただろ? 本物の悪妻って言うのはなぁ、これでもかと我儘を言って、夫を翻弄するんだぜ?』

 照れるレヴィを眺めるロッティが、にやにやと笑っている。
 なにも言い返せないレヴィは、大人しくベアテルにしがみついていた。

 ベアテルが激甘な態度に変わったのは、レヴィがロッティに言われるがまま、行動したことがきっかけだった――。

 民に求められても、手を振ったり、ましてや笑みを見せることなど決してなかったベアテルが、花街の人々には笑顔で応えていたのだ。
 お子様なレヴィとは違い、艶やかな容姿の者ばかりだったこともあり、ベアテルの外見の好みは、色香のある男性なのか、と。
 深い事情を知らなかったレヴィは、ハラハラしていたのだ。

 いくら外見や内面を磨いたとしても、レヴィが色気のある大人にはなれないだろう。
 しゅんとしていたレヴィに、ロッティが教えてくれたのだ。
 『ご主人様は、拗ねたふりをしたらいい。「僕以外を見ないでッ!」って我儘を言えば、ベアテルはイチコロだぜ』と。

(すっごく子供っぽい気がするし、ベアテル様の求めるタイプとは真逆だと思ったんだけど……)

 ロッティの指示通り、レヴィが我儘を言えば言うほど、ベアテルは人前でも耳を隠せなくなるくらいに喜んでいた――。



「レイバン様とお別れするのは寂しいですけど、もし今後レイバン様になにかあれば、クローディアスくんに乗って、すぐに駆けつけることができますしね? その時は、ベアテル様も一緒にきてくださいますか?」

 ベアテルにも、領主の仕事がある。
 常に一緒にはいられないだろうが、離ればなれになった時に、ベアテルがレヴィ以外の人に目移りをしたら、と想像しただけで胸が締め付けられる。
 それだけは耐えられないと、レヴィが我儘を言ってみれば、ベアテルは「当たり前だ」と頷いた。

「俺が、レヴィのそばを離れるとでも思っているのか?」

「っ、」

 レヴィのためなら、ベアテルは仕事も放り出してしまいそうな勢いだ。
 なによりも大切だと伝わったレヴィは、ほんのりと頬を染めた。

「レヴィが俺に愛想を尽かして、いつかまた離縁したいと願っても……。レヴィには悪いが、俺はレヴィを手放す気は毛頭ない」

「…………ううっ」

 そう断言したベアテルに、ぐっと腰を抱かれ、レヴィはますます顔が熱くなる。

「逃げられるものなら、逃げてみろ。どこまでも追いかけるからな?」

「~~ッ!」

 ふっ、と口角を上げたベアテルに、ドキドキが止まらないレヴィは、頭が沸騰しそうだった。
 だが――。

『コッワ!! ベアテルなら本気でやりそうだから、冗談でも笑えねぇわ。……わりぃ、ご主人様。やりすぎたかもしれねぇ……?』

 しれっと逃げた不死鳥は、朝の光を浴びて、きらきらと輝いている。

(っ、ええ!? ちょ、ちょっと、ロッティさーん……!?)

 狼狽えるレヴィだが、ベアテルが気持ちを言葉にしてくれることは、素直に嬉しいのだ。
 それに今では、ロッティの指示がなくとも、レヴィはベアテルに甘えている――。

 お揃いの衣装を新調したり、ベアテルの殺風景な部屋には新しい家具も用意した。
 それに、ベアテルが持ち歩く大剣には、さりげなくレヴィの瞳の色の鞘飾りもつけてもらったのだ。
 就寝時は、腕枕をお願いする日もある。

(腕は疲れると思うし、僕はベアテル様に腕枕をしてあげたことは、一度もないのに……)

 たまにはひとりで寝たい日もあるかもしれない。
 それでもレヴィは、ベアテルが隣にいないと、もうひとりでは眠れない――。

「僕って本当は、悪妻の素質があったのかもしれない……」

 レヴィが溜息と共に呟けば、耳のいいベアテルはくつくつと笑い出す。


「――……ああ、とんでもない悪妻だ」


 そんなレヴィが好きだ、と笑ったベアテルに、優しく口を塞がれる。
 ヒュー、とロッティが茶化してきたが、どんなレヴィでも愛してくれるベアテルを見つめて、レヴィは幸せをかき集めたような顔で笑っていた。



 そうして幸せな日々を過ごした三ヶ月後、レヴィの体には新しい命が宿っていた――。

















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