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115 テレンス

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「ははっ、はははははっ!!」

 華やかな場から遠ざかり、貴族専用の牢獄で過ごすテレンスは、狂ったように笑っていた。
 そんなテレンスと関わる相手は、老人ふたりだけだった――。

「お食事でございます」

 配膳係の老女――ハンナが、粗末な食事を運んでくる。
 初めの頃は、どう対応したらいいのかわからない様子だったハンナだが、三ヶ月たった今では、テレンスと目を合わせることもなかった。

「ははっ、これが私の食事? 随分と少ないような気がするよ? ……ああ、そうか。もしかして、君が食べてしまったのかな?」

 無邪気な子どものように、テレンスはにこにこと笑った。
 テレンスの嫌味に気付いたのか、ふくよかな体型のハンナが、顔をしかめる。
 そんなハンナに、初老の医師――ラウラが、優しい声色で話しかけた。

「テレンス殿下は、精神に異常をきたしておられるのです。広い心で接してあげてください」

 異常者のふりをするテレンスに、ラウラはあっさりと騙されている。

(こんな無能共と、同じ空気を吸いたくもない。さっさと辞めろ)

 愚かな老女ふたりを見下すテレンスは、にっこにこの笑顔を浮かべていた。
 テレンスがどれだけ罵倒しても、ラウラの琥珀色の瞳は、穏やかな色をしている。
 今のテレンスを救えるのは、己しかいないとでも思っているような瞳を見ているだけで、テレンスは吐き気がしていた。

 外部との接触が絶たれた今、テレンスが異常者のふりをしているのは、聖女を呼んでほしいからだ。
 レヴィのことを知りたいというのに、テレンスに用意されたのは、聖女ではなく無能な医師。
 つまりテレンスは、聖女の治癒を受ける資格がなくなった可能性が高い――。

(どうせ、アニカの嫌がらせだろう。……忌々しい女だ)


 小さく舌打ちをしたテレンスだったが、実際には既に引退しているアニカは、手を下してはいない。
 聖女たちは、誰とでも肉体関係を持つテレンスを警戒して治癒を拒否しており、ヴィルヘルムとマティアスも、大病を患わない限り、聖女を派遣する必要はないと判断していた――。


 老女たちが退出し、人の気配が感じられなくなったことを確認したテレンスは、すんと表情を消す。

(……私に仕える者に、老女ばかりを選ぶとは)

 ギリッと歯を食いしばるテレンスは、味気ない食事が乗る盆をひっくり返していた。
 テレンスの世話係は、女性らしい肉体を持つ既婚者のみ。
 若い男性であれば、テレンスが己の美貌を武器にし、惑わすとでも思っているのだろう。
 ヴィルヘルムの信頼を完全に失ったことが、ありありとわかるその対応に、テレンスは耐え難い絶望と憤りを感じていた――。



(……レヴィに、会いたい)

 両親には、己の過ちと向き合うようにと叱責されたテレンスだったが、レヴィと過ごした穏やかな時を思い出す毎日を送っている。
 愛する人を失った現実を、テレンスは三ヶ月経った今でも受け入れられていなかった。

 テレンスの脳内を占めるのは、レヴィの蕾が綻ぶように笑う顔だ。
 悲しませることもたくさんしてきた。
 だが、それでもテレンスが勇者を選ばなければ、婚姻するつもりだったと話したレヴィを、忘れることなどできなかった――。



「はあ……」

 リュディガーに敗北を喫した今、テレンスはなにもやる気が起こらない。
 部下に押し付けていた執務でもあれば、気は紛れるかもしれないだろう。
 だが、罪人であるテレンスに、執務に携わる資格などなかった。

 勇者を騙して婚姻した罪。
 たったそれだけのことで、テレンスは公爵位どころか、一代限りの伯爵位を賜ることになったのだ。
 正気でいられるはずがない。

「この私が、伯爵だと……? ベアテルより格下だなんて、冗談じゃない」

 どれだけ無能な者でも、王族という尊い血が流れているだけで、領地は与えられないが、公爵位を賜ってきたのだ。
 よってテレンスが伯爵位というだけで、なにかしらの罪を犯したことは、明白な立場。
 事情を知るドラッヘ王国の貴族だけでなく、他国の人間からも嘲笑われることだろう。



 反省するどころか、己の現状を嘆くだけのテレンスのもとへ、忌々しい女が現れる。
 テレンスが地方に厄介払いしたスザンナは、血の滲むような努力をしたことで、地の底から這い上がってきた女だ。
 ここぞとばかりに、テレンスを嘲笑いに来たのだろう。

(浴室に逃げてしまおうか。……いや、レヴィのことを話すかもしれないな)

 寝台に寝転がったテレンスは、ぼんやりと天井を見上げることにした。
 案の定、スザンナがベラベラと説教を始めたが、テレンスは右から左に聞き流す。
 レヴィの話以外の不要な情報を、テレンスが聞く気はさらさらなかった。

「ベアテル様との件を和解していなければ、あなたは貴族ですらなかったかもしれないのよ? ご両親に感謝なさい」

 見事な金色の髪の聖女を、テレンスは怒りを込めて睨みつける。
 それでもスザンナは、どこ吹く風だ。

「まあ、あなたの身分を剥奪して野に放つより、貴族社会で監視した方が良いと判断されただけだと思うけれど……」

「っ、スザンナ。貴様、調子に乗るなよ?」

 カッとなったテレンスが起き上がれば、スザンナは小さく笑った。
 やはり異常者のふりをしているのだと見抜いたような笑みに、テレンスは眉をしかめる。

「あら。それはあなたの方でなくって? わたくしは、ドレーゼ侯爵家の娘ですわよ? それに、アニカ様の後継者に選ばれたの」

「っ、」

 勝ち誇った顔を向けられたテレンスは絶句する。
 聖女の頂点に立つのは、てっきりレヴィだと思っていたのだ。
 テレンスがぞんざいに扱っていたスザンナは、今やヴィルヘルムも無碍にはできない存在となっていた――。

(っ……どうしてこんな女が、聖女なんだっ。レヴィとは大違いだっ)

 なにも言い返せない代わりに、テレンスは盛大に舌打ちをしていた。
 そしてスザンナも、どうしてこんな穢れた魂を持つ男が王族なのだと思っていることは、言うまでもない。

 そこへ、ハンナとラウラが顔を出す。
 その瞬間に、テレンスは異常者の演技をする。
 さっと態度を変えたテレンスに、スザンナは呆れたように溜息を吐いた。

「まったく反省しておられないようです。異常者のままであれば、また被害者が出るかもしれません。してしまいましょうか」

 スザンナの不穏な言葉に、テレンスの顔から血の気が引く。
 スザンナが相談しているのは、テレンスを異常者だと思い込んでいるラウラだ。

(っ、まずいことになった……)

 笑顔のまま固まるテレンスの背には、滝のように冷や汗が流れる。
 しかもスザンナは、ラウラに判断を委ねているのだから、気が気ではない。

「ラウラ様? 彼の被害者は大勢います。適切な処置した方がよいと、わたくしは思います」

「……ええ、それはそうなのですが……」

 スザンナを落ち着かせるように、ラウラが微笑みかける。
 ただの医師であるラウラより、スザンナの方が立場が上のはず。
 それなのに、スザンナはラウラに判断を仰ぐ。

(……っ、ラウラ、そうか。先先代の聖女様だったのか……っ!!)

 ようやく重大なことに気付いたテレンスは、口内に溢れる唾をなんとか飲み込む。
 金色だった髪は淡いオレンジ色に変わっており、白髪も目立つ。
 気付けるはずがない、と思ったが、琥珀色の瞳は聖女特有の色だった。

(それならそうと、最初から言ってくれればよいものを……)


 テレンスが無能だと蔑んでいた相手は、一番最初にレヴィが特別な者だと見抜いた聖女であった。


「それに、一代限りの伯爵ですわ? 後継者など必要ないでしょう。あなたの股間が光らなくなる日を、わたくしは待ち望んでいましたのよ?」

 どうしたものかと、テレンスが考え込んでいる間に、どんどん話が進んでいる。
 頬がひきつるテレンスは、演技どころではない。
 そんなテレンスを見つめるラウラは、最初から見抜いていたのか、なんとも言えない顔をしていた。

「心配しなくてもいいわ。あなたの汚物を切り落とした後は、すぐに治癒を施してあげるから――」

「……ヒッ!?」

 聖女らしい微笑を浮かべたスザンナの手が、テレンスに伸びてくる。
 情けない声を出すテレンスは、後ずさっていた。


 しっかり反省するように、と釘を刺され、テレンスは大人しく机に向かう。
 謝罪の文を書く。
 気が遠くなる量だった。

「どうして私が、平民に謝罪しなければならないんだ……。これでは、本当に正気を失う……」

 なんという屈辱的な罰なんだ。
 心の中で愚痴るテレンスだが、それだけテレンスの被害者は多かった。

 テレンスが勇者を騙しただけでなく、男娼をぞんざいに扱った件も露見したのだ。
 王族の相手に選ばれた高級娼夫たちは、端金で暴行被害に遭っていた。
 心だけでなく、身体にも病を患ったことで、働けなくなってしまい、高級娼夫はもちろんのこと、大切な従業員を傷付けられた娼館の主人は、怒り心頭に発している。

 被害者はスザンナが治癒をして回っているが、テレンスは国民からの信頼を瞬く間に失うこととなっていた――。

 そしてスザンナが今の地位を確立したのは、テレンスの尻拭いをしたからだ。
 自らの所業により、スザンナを聖女の頂点に君臨させたことに気付いてしまったテレンスは、悔し涙で枕を濡らすこととなっていた。


















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