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107 テレンス

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 勇者アカリの姿が、光と共に消える。
 最後に見たアカリは、皆にドラッヘ王国を救った英雄として見送られていた――。

「レヴィ様の加護があったアカリ様は、紛れもない最強の勇者様だったな」

 アカリが歴代最強の勇者のまま異世界に帰還することになったのは、レヴィの加護があったからだ。
 不死鳥を従えるレヴィさえいれば、魔物など脅威ではない。
 魔王に怯える日々は、終わりを告げたのだ――。

 人々の眩い笑顔は、輝かしい未来への希望に満ち溢れており、伝説の不死鳥や絶対神であるドラゴンに会えることを夢見てきたテレンスにとっても、喜ばしいことだった。

(……なぜ、私はここにいるのだろうか……)

 しかし、その輪の中心にいるはずだったテレンスは、会場の隅で気配を消していた。
 神に選ばれし者は己である思っていたが、そうではなかった。
 めでたい場で、誰にも気遣われることなく、ひとり絶望の淵に佇むテレンスは天を仰ぐ。

 レヴィを手放したことで、テレンスが欲していた地位や名誉だけでなく、今まで手にしていたもの、全てを失った――。

 ようやくそのことを理解し、絶望で心は氷のように冷え切っている。
 だが、伝説の不死鳥が祝いの炎を吐き、会場は熱気に包まれたままだった。


『チッ。うざってぇな! ご主人様は動物が好きなんだから、隠す必要なんてねぇだろ?』


 しきりに髪を掻き上げていたベアテルの頭に、炎を纏う不死鳥が乗る。
 ドラゴンの鱗に夢中になっていた者たちが、その光景に度肝を抜かれていた。

(あの場所に立つのは、私だったはずなのに……)

 ベアテルに寄り添うレヴィを見ているだけで、胸が苦しくて仕方がない。
 レヴィを選んでいたならば、憧れていた伝説の不死鳥と交流することができたのは、ベアテルではなく、テレンスだったはず――。
 だが、テレンスは欲をかき、失敗したのだ。

(っ、だからと言って、あのバケモノが脚光を浴びることなど、許せるはずがないっ)

 愛するレヴィの隣に立つ獣を、睨むことしかできないテレンスは、言いようのない悔しさが込み上げてきていた。

「あ、熱くはないのか……?」

 口を引き結ぶベアテルが、熱さに耐えていると思ったのか、ジークフリートが恐る恐る問いかける。
 ベアテルの一挙手一投足に注目が集まっており、誰もテレンスのことなど見ていない。

 注目されることが当たり前だと思っていたテレンスは、捨て置かれた現実を受け止められていなかった――。

「ふふっ、ジークフリート様なら大丈夫ですよ? なにせ、ロッティの名付け親ですからっ」

 レヴィに耳打ちされたジークフリートが、ほんのりと頬を染める。
 途端に射殺さんばかりの目付きになるベアテルに気付き、レヴィを除く者たちが、息を詰めた。

「熱さはまったく感じない。だが、レヴィを害そうとする者は、焼け焦げるだろうな?」

「「「っ……」」」

 そう告げたベアテルが、不敵に笑う。
 レヴィを不埒な目で見れば、炎に焼かれて死ぬことになるだろうと、ベアテルが匂わせる。
 今もなお、レヴィに熱い視線を送っていた者たちは、背筋が凍りついていた。
 しん、と場が静まり返る。

(このまま謹慎することになれば、返り咲くことはできない)

「レヴィっ、すまなかった……」

 騎士に囲まれるテレンスは、床に額を擦り付け、レヴィに謝罪する。
 勇者を騙した罪はあるが、テレンスの身分は未だ第二王子だ。
 そんなテレンスが、土下座という屈辱的なことをしたからか、レヴィは目を見張っていた。

(私が謝罪すれば、きっとレヴィは許してくれるだろう。なぜならレヴィは、聖女なのだから――)

 今のテレンスは沙汰を待つ罪人だが、レヴィにさえ許されれば、罪は軽くなるだろう。
 慈悲深いレヴィであれば、テレンスに手を差し伸べてくれる可能性は高い。
 そう考えたテレンスは、チャンスは今しかないと声を上げていた。

「婚姻の約束を破って、本当にすまなかった。ずっと、悔いている……。でも、私がレヴィを愛していた気持ちだけは、嘘じゃないんだ」

「…………そうですか」

 テレンスは本心を語ったが、レヴィは困ったように微笑んでいる。
 ベアテルに負けないくらいにレヴィを愛しているというのに、どうして伝わらないのだろうか。

(……たった一度の過ちのせいで……?)

 一度の過ちくらい、以前のレヴィならば許してくれていた。
 そしてテレンスに寄り添ってくれていただろう。
 テレンスの愛するレヴィを変えたのは、憎きベアテルだ。
 怒りがふつふつと湧いてくる。
 しかし、レヴィが「頭を上げて」と話しかけてくれたことで、テレンスは気分が高揚していた。


 だが、レヴィがテレンスと話そうと思ったのは、ひとえにベアテルへの謝罪の言葉が聞きたかったからだった――。


「婚約を白紙にした行為については、僕は最初からテレンス殿下を恨んではいません。魔王討伐に向かう前から、テレンス殿下がアカリ様に惹かれていることを、薄々勘付いていました。だから、アカリ様と幸せになってほしいと、祝福していたのです」

「っ、私は一度もアカリを愛してなどいないっ! ずっとレヴィだけを愛しているっ」

 もう愛の言葉など必要ないというのに、テレンスはレヴィに縋り付く。

「勇者様が異世界に帰ったからと、なんと見苦しいことを……」

 必死だなと、誰もがテレンスを嘲笑う。
 王位を望んだテレンスは、アカリに想いを寄せる演技をしていたのだから、誰も信じるはずがない。
 己でもみっともないとわかっているが、それでもレヴィにだけは信じてほしかった。

「――……僕は、その言葉を信じたいと思います」

「レヴィッ!!」

「……テレンス殿下が無事に帰還し、心変わりをしていなければ、僕は婚姻するつもりでした。でも、僕たちは、結ばれなくてよかったんだと思います」

「っ、」

 大切なものを失った絶望感を味わったテレンスの頬に、熱い雫が落ちていく。

「別々の道を歩むことになりましたが、これからは前を向いて――」

「っ、そんなこと、言わないで……。まるで、お別れの言葉みたいじゃないかっ」

 傷付けられたというのに、目の前にいる愛おしい人は、テレンスと同じように苦しげな表情を浮かべていた。
 今まさに流したテレンスの涙は、演技ではないとわかったからかもしれない。

 だが、ベアテルに引き寄せられたレヴィの瞳は、もうテレンスを見ていなかった――。

「僕、わかったんです。僕は、どれだけたくさんの愛の言葉をくれる人がいたとしても、僕だけを見てくれる人がいい……」

「っ……」

 そう言って、レヴィが微笑んだ。
 以前よりも色香のあるレヴィの表情に、テレンスは絶句する。
 ふたりは既に、身も心も結ばれていることを悟った――。

 婚約中、テレンスはレヴィに愛を囁きながら、他の者たちと情を交えていた。
 テレンスにとっては、ただ欲を処理していただけだったが、清らかな生活を送っていたレヴィが、その行為を知った今。
 いくらテレンスが愛を囁こうとも、レヴィに届くことは、決してない――。

「なんでっ……どうしてこんなことに……っ」

 泣き崩れるテレンスに、同情する者などいない。
 自業自得だ。

「テレンス殿下」

 しかし、天使が手を差し伸べてくれる――。

(……もう、テリーとは呼んでくれないのか)

 それでも小さく柔らかな手が、とても懐かしい。
 二度と離したくない。
 思わず強く握ってしまったが、レヴィはにっこりと愛らしく笑った。

「僕も、テレンス殿下のことが、大好きでした」

 テレンスは息を呑んだ。
 愛する人の手が、離れていく……。
 呆然と立ち尽くしていたテレンスは、レヴィにとって、己の存在は過去になったのだと悟った――。

(っ……王位より、ずっとずっと大切なものを手にしていたのに……)

 今になってみれば、なぜ簡単にレヴィを手放せたのか、わからない。
 レヴィなら許してくれるとたかを括り、婚約中にも裏切り行為を繰り返していた己の所業が信じられない――。

 だが、後悔しても、もう遅い。
 何万回とやり直したいと願ったとしても、手遅れだった。

 レヴィの隣には、自分のことよりもレヴィの幸せを願い、ただひたすらにレヴィだけを深く愛し続ける者がいるのだから……。


「あ゛ああああああああああーーーーっ!!!! レヴィ、レヴィッ……」


 テレンスは狂ったように絶叫する。
 しかし、テレンスのもとを離れ、前を向いて歩き出した愛おしい人が振り返ることはなかった――。















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