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しおりを挟む「っ、目を閉じて――」
少し屈んだベアテルが、囁く。
ぐっと端正な顔が近付き、レヴィは高鳴る胸を押さえた。
(っ……も、もしかして……キ、キス……!?)
そういったことに疎いレヴィだが、先日、ベアテルと口付けを経験したばかりだ。
口付けの合図だと察したレヴィは、ベアテルに言われた通りに瞳を閉じていた。
ベアテルとは夫夫なのだから、口付けをすることは普通のこと。
冷静になるようにと、何度も己に言い聞かせる。
だが、ちっとも落ち着くことはできない。
人の目がなかったとしても、開放的な屋外でするのは、たまらなく恥ずかしい――。
(……ううん。ベアテル様と唇を重ねる行為自体が、とてつもなく恥ずかしいっ)
前回の口付けを思い出すだけで、レヴィは顔から火が吹き出そうになる。
それでも口付けを待つレヴィだったが、ベアテルに抱き上げられていた。
「ふぁッ!!」
「口も閉じて。舌を噛むかもしれない」
「ッ!?」
息がかかりそうな距離で見つめ合うが、ベアテルは真剣そのものだ。
(ええっ!? し、舌を噛むの!? それは、痛いと思うんだけど……)
戸惑うレヴィだったが、直様口を閉じる。
これから、どんなことをされるのだろうか。
ベアテルに、ぐいっと赤らむ顔を引き寄せられ、その少し強引な仕草に、レヴィは心臓が破裂しそうなほどドキドキしていた。
「走るぞ」
「っ!?」
言うが早いか、ベアテルが風のように走り出し、レヴィは振り落とされないようにしがみつく。
普段はゆったりと構えているベアテルが、かなり焦っている。
なにか緊急事態が発生したのだと、レヴィは察していた。
(っ……キスじゃなかったんだ……。ひとりで勘違いして、すごく恥ずかしいっ)
ベアテルの爽やかな香りと、レヴィの体をがっちりと掴んでいる逞しい腕。
隙間なく密着していることが恥ずかしいのに、レヴィはぎゅうっと抱きついていた。
成人男性を抱え、凄まじい速度で走るベアテルより、ただ抱っこされているレヴィの心拍数の方が、断然速いだろう。
「間に合わなかったか……」
立ち止まったベアテルが、残念そうに呟く。
大人しくしていたレヴィが顔を上げれば、目の前には青い湖が広がっていた。
「っ……すごく、綺麗な青――」
神秘的で澄んだ青い湖は、見る者を惹きつけて離さない美しさだった。
感動するレヴィを抱いたまま、ベアテルがゆっくりと湖まで歩いていく。
「今日はあなたがいたからか、気配を感じたんだが……」
「っ、気配って……もしかして、ドラゴン?」
「ああ。いつもは静まり返っているが、今朝は羽を休めに来ていた可能性が高いな。僅かだが、匂いが残っている――」
辺りを見渡しながら歩くベアテルは、このまま湖を一周するつもりのようだ。
レヴィの想像よりも小さな湖だったが、己の足で歩けば、たちまち息が上がってしまうだろう。
体力には自信のないレヴィは、今は日頃から鍛えているベアテルに甘えることにした。
「ドラゴンって、どんな匂いなんですか?」
「――……独特な匂いだ。これ以上は言えない」
「それってつまり……臭いってことですよね?」
「っ、そんなことは言っていない」
真顔で否定したベアテルだが、目は泳いでいた。
頬も赤らんでおり、嘘をついていることが丸わかりだ、とレヴィはこっそりと笑った。
ベアテルの首に手を回しているレヴィが、とても愛らしい顔で笑っているのだ。
夢のような時間を過ごすベアテルは、単純に照れているだけだった。
「そういえば、ベアテル様は、湖に来たことがあったんですか?」
いつもは静まり返っている、とベアテルが話したことを思い出したレヴィが尋ねれば、「ああ」とベアテルが頷いた。
「ここ最近は、毎朝見に来ている」
「っ、そうだったんですか……」
ベアテルの話によると、マクシムやエミールだけでなく、使用人たちも度々足を運んでいるそうだ。
天候や時間帯によって、様々な表情を見せてくれる不思議な湖は、人々の心を癒やしてくれる。
ドラゴンが姿を見せずとも、神聖な場所であることは間違いなかった。
「安全なことを確認してから、あなたを誘おうと思っていたんだ」
黄金色の瞳は、先程から湖ではなく、レヴィを見つめている。
ベアテルは、ドラゴンが目当てなわけではなかったのかもしれない――。
もし、ベアテルがドラゴンの鱗を欲しているのなら、少しくらい危険だったとしても、レヴィを連れて行くことだってできたはずだ。
(ベアテル様は、純粋に、散歩をしたかっただけなのかも……)
レヴィの持つ治癒の力を利用したいという下心はあるかもしれないが、なんでもかんでも疑うのは良くない。
俯くレヴィは、猛烈に反省していた。
人を疑うことのなかったレヴィだが、どうしてかベアテルに関することだけは、神経質になってしまう――。
「長らく足を踏み入れることはできなかったが、あなたのおかげで湖を見ることが叶ったんだ。俺の両親だけでなく、先祖も喜んでいることだろう」
「っ、僕はなにもしていませんよ?」
レヴィが湖を訪れたのは、今日が初めてだ。
綺麗にすることなどできないと、ふるふると首を横に振ったが、ベアテルは小さく笑っていた。
「いや、あなたのおかげだ。……あなたは嫌々だったとは思うが……俺の、伴侶になってくれて、嬉しい……。と、みんなも思っている」
最後はたどたどしい口調だったが、ベアテルが珍しく思っていることを話してくれたのだ。
本心だということは、充分伝わっていた。
(みんなも、っていうことは、ベアテル様も、嬉しいと思っているのかな……? うう~っ。すっごく聞きたいけど、聞けないっ)
じっとしていられなくなったレヴィが湖に視線を向ければ、軽い眩暈を感じる程の眩い光が放たれていた。
「あっ! あそこ、なにか光ってますっ!」
ゆっくりとレヴィを地に下ろしたベアテルが、上着を脱ぎ、それをレヴィに羽織らせる。
ベアテルのさりげない心遣いが、レヴィは嬉しかった。
寒くはないかと聞こうとしたが、レヴィが声をかける前に、ベアテルは湖に入る。
触れることも躊躇してしまうような神聖な湖で、ベアテルはなんと泳ぎ始めたのだ。
「っ、ベアテル様っ!?」
レヴィの心配をよそに、ベアテルはあっという間にきらきらと光りを放つ場所へと辿り着く。
魚よりも、泳ぎが得意なのではないだろうか。
感心していると、レヴィが指差した先にあったなにかを、ベアテルが拾い上げる。
「――……やはりドラゴンは、どこかで生きているのか」
直様、泳いで戻ってきたベアテルが、光り輝く物体を、レヴィの手に握らせる。
銀色に光る、手のひら大の鱗だ。
鉄の鎧よりも硬そうなそれは、まごうことなき、ドラゴンの鱗だった。
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