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しおりを挟む皆が寝静まった頃、レヴィはこっそりと死の森に向かった。
暗闇の中で治癒をするのは、初めての経験だ。
動物たちにも迷惑をかけてしまうだろうと予想していたが、夜行性の動物もいる。
昼間と同じように動物たちと会話を楽しみ、特に問題なく治癒を終えていた。
(こんな時間に起きているだなんて、悪いことをしてる気分……)
辺りを警戒しながら自室に戻れば、泣き疲れたスザンナと、明日の為に早寝をしたマリアンナが、レヴィの寝台で仲良く眠りについていた。
可愛らしいふたりを見ているだけで、レヴィはほっこりとする。
「よし、徹夜で頑張ろうっ!!」
気合を入れたレヴィは、机に向かう。
マリアンナが動きやすいよう、レヴィは動物たちから得た情報を、紙に書き出すことにした。
名前と特徴、好きな食べ物。
普段の生活で困っていることや、改善点をまとめていく。
「これさえあれば、きっとうまくいくはずだ!」
間違いがないかを何度も確認するレヴィは、ふと手を止めた。
(――ベアテル様は、マリアンナ様を選ぶことになるのかな……?)
ベアテルと離縁しようと動いているというのに、レヴィはどうしてかマリアンナを選んでほしくはないと思っている。
相手がマリアンナだからではない。
レヴィより治癒能力が優れているスザンナでも、嫌な気持ちになる。
「っ、僕、悪妻を演じたからか、本当に我儘な人になっちゃったみたい……」
聖女としては失格だ。
醜い感情に嫌気がさすレヴィは、堪えきれずに深い溜息を吐き出した。
(治癒の力を利用されてもいい、って言い切ったマリアンナ様は、本当に凄いや……)
出産を経験すると、聖女の神秘的な力は弱まる傾向にある。
もし、レヴィがこのまま辺境伯夫人として、ベアテルの子を産むことになれば、力は衰えるだろう。
そうなれば、将来的には、レヴィがベアテルに切り捨てられる可能性が高い。
だからレヴィは、ベアテルが治癒の力を必要としているか否かを、どうしても確認したかった――。
「ほんのこれくらいでいいから、僕に興味を持ってくれていたらなあ……」
ポケットからベリーの実を取り出したレヴィは、小指の爪と同じくらいの小さな実を摘む。
もし、ベアテルがレヴィ自身に僅かにでも好意を抱いてくれていたなら、離縁する必要はない。
いつの日か、レヴィの治癒の力が失われたとしても、ベアテルならそばにいてくれそうだと思う。
しかし、この一年を振り返ってみても、ベアテルがレヴィに好意を抱いているとは思えない。
動物の治癒をするレヴィを、ベアテルはいつも気遣ってはくれている。
だが、休みを言い渡されたことは一度もない。
無論、レヴィも休みたいと思ったことはないわけだが、働き詰めだったように思う。
(それに、好きなら好きって言うよね……? テリーはいつも、愛してるって伝えてくれていたし、僕に治癒を求めたりなんかしなかった……)
誠実なベアテルであれば、想いを寄せる相手には言葉を尽くすだろう。
嘘のつけない人だからこそ、レヴィに愛を囁くことなく、伴侶として迎えたのだ。
だからベアテルは、レヴィ個人に関心などない。
そう結論に至り、胸が苦しくなった。
生涯を共にする伴侶として、レヴィが無意識のうちに基準としていたのは、長年友好的な関係を築いていた、テレンスの行動だった――。
ふたりを起こさぬよう、寝台の端に寝転ぶ。
悶々と考え込んでいたレヴィは、明け方に眠りについていた。
その後、隣で目覚めたスザンナが、愛する天使の寝顔を目撃し、歓喜で震えていたことを、レヴィは知る由もなかった――。
◇
「うわっ、寝坊しちゃった! ……ううん、寝坊していいんだった……。でも、やっぱり気になるっ」
誰もいない寝台で飛び起きたレヴィは、急ぎ支度を始める。
レヴィが顔を出す必要はないのだが、マリアンナが心配だ。
それに、ベアテルがどんな反応をするのかが、どうしても気になる。
すれ違う使用人たちに挨拶をしつつ、皆がいるであろう死の森に向かうレヴィは、いつのまにか早足になっていた。
『キタ!』
『オソイヨ!』
『ハヤク、ハヤク!』
レヴィの頭上を飛び回る鳥たちが、ベリーの実を催促している。
マリアンナは、鳥たちには餌をあげていないのだろうか? と疑問に思いつつ、レヴィはポケットに手を突っ込む。
そして仲良く並ぶふたりの後ろ姿が見えた瞬間、今まで動き続けていたレヴィの足は、ぴたりと止まっていた。
(っ、そっか。スザンナ様だったか……)
ベアテルと並んでいるのはマリアンナだが、馬に祈りを捧げるスザンナを、ベアテルが食い入るように見つめていた――。
「あの子は、甘いものが好きみたいです。オヤツには、林檎を与えてあげたら仲良くなれるかと」
そしてベアテルを見上げるマリアンナが、にこにことしながら話しかけている。
レヴィが教えた内容を、短時間で覚えてくれたのだろう。
(……腕が、触れそうだ)
レヴィといる時よりも近い距離。
マリアンナは、レヴィのために動いてくれているのだが、もやもやとした気持ちになる。
知らぬ間にむっと口を尖らせていたレヴィは、回れ右をした――。
「っ、」
だが、レヴィは動けない。
ベアテルに左腕を掴まれていたのだ。
決して自らレヴィに触れてくることのないベアテルに、だ。
驚きで目を見張っていたレヴィは、険のある鋭い黄金色の瞳に射抜かれ、息を呑む。
「あっ。レヴィ様! おはようございます! まだお休みになっていらしてよかったのにっ」
ベアテルの纏う空気がいつもとは違う。
今にも噛みつかんとする獣のようだ。
「馬はスザンナ様が担当してくださって、あとは私が朝ご飯をあげたんですよっ! みんな大人しくてとっても可愛かったですっ!」
身動きの取れないレヴィは声も出なかったが、マリアンナはベアテルの変化に気付いていないのか、楽しそうに話し続けている。
「最初は不安しかなかったんですけどっ。これからは、毎日動物に囲まれて過ごせるだなんて、幸せだなって思いますっ!」
「っ、痛ッ」
掴まれている腕に力が入り、レヴィは思わず声を上げる。
すると、ふたりの異変に気付いたマリアンナが、ハッと口を閉ざす。
ベアテルは手を離してくれたが、何事だと使用人たちが集まり始める。
しかし、レヴィは使用人たちを気遣う余裕はなかった。
(っ……僕が、辺境伯夫人としての役目を疎かにしたことを、怒っているんだ……)
この時、レヴィは初めて、ベアテルから幻滅するような瞳を向けられていたのだ。
ベアテルが最も必要としているのは、レヴィの持つ治癒の力だと確信した。
「話がある」
問答無用で連行されるレヴィは、ベアテルから別れを切り出されるのだと察し、胸に波のような悲しみが押し寄せていた――。
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