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しおりを挟むピリピリとした空気が漂っており、レヴィは声をかけることもできない。
レヴィには優しい表情を見せていたエミールが、今はベアテルに鋭い視線を向けていたのだ。
「レヴィはこれまで、聖女として生きてきたのだから、普段の生活のことは、お前が導いてやらなくてどうする。お前がしっかりしていなければ、頼りない伴侶を持つことになったレヴィが恥をかくんだ」
「はい」
「わかっているのなら、なぜ衣装を用意しておかない。それから、コンラート。お前たちがついていながら、今まで一体なにをやっていたんだ」
咎められるはずのレヴィ以外の人間を、エミールが叱り飛ばす。
信じられない光景に、レヴィは息を呑んでいた。
そして、すっと立ち上がったエミールが、厳しい表情のままベアテルの前に立つ。
レヴィの目には、ふたりは親子ではなく、まるで上官と部下のように映っていた。
「ベアテル。お前、愛しの君を迎えられたことに、浮かれていたのか?」
「っ、」
(…………いとしのきみ? 誰のことを言っているんだろう?)
説教をするエミールの鋭い声を聞きながら、レヴィは首を傾げた。
無言のベアテルは、何を考えているのだろうか。
母親に叱責される羽目になり、レヴィを恨んでいるのかもしれない。
皆と共に叱られている気分になっていたレヴィは、いつのまにか姿勢を正していた。
「今のままでは、レヴィに離縁したいと言われてもおかしくない。そうなってもいいのか?」
「――いいえ。あのお方以外は考えられません」
今まで黙って叱られていたベアテルが即答し、レヴィは驚愕する。
まるで愛の告白のように聞こえたのは、レヴィの気のせいだ。
レヴィに治癒能力がなければ、見向きもされないだろう。
だが、どうしてかレヴィの胸は高鳴ってしまう。
(ううぅっ。静まって、僕の心臓ッ!!)
顔が火照り出していたレヴィだったが、その後に聞こえてきた衝撃的な発言に、レヴィの顔色は真っ青に変わっていた。
「だよな? だが、もしその時が来たら……俺がお前たちを八つ裂きにしてやるからな。覚えておけ」
「「「はっ!!」」」
(ひぃっ!? ぼぼぼ、僕が離縁したいって言ったら、みんなが八つ裂きにされちゃうの!? ど、どうしよう……っ?!)
離縁を目標とするレヴィの悪妻への道は、前途多難なスタートを切ることになってしまった――。
◇
そして一週間後――。
ベアテルと離縁はしたい。
だが、レヴィから離縁を申し出れば、おそらく使用人たちの命はない。
そして、マクシムとエミールを失望させることなどできないレヴィは、強力な助っ人を呼び出すことに成功していた。
(マリアンナ様なら、きっといいアドバイスをしてくれるはずっ!)
談話室でベアテルに見張られている中、レヴィは今か今かとその時を待つ。
そして、マリアンナが通される。
久方ぶりの再会を喜んだのも束の間、マリアンナのやつれきった姿に、レヴィは悲鳴を上げていた。
「マリアンナ様ッ!!」
「っ、レヴィ様ッ!! お会いしたかったッ。ずっと心配していたのですよ!? 何度お手紙を出しても返事は来ないしっ。私、レヴィ様に見捨てられたとばかり……」
幼子のように涙するマリアンナに、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
とんでもなく心配をかけてしまったことに、胸が痛くなるレヴィも目頭が熱くなっていた。
「っ、ごめんなさい。色々と事情があって……」
「ちょっと。わたくしを差し置いて、ハグをするだなんて。あなた、いい度胸ね」
第三者の声に驚いて顔を上げれば、不機嫌そうにそっぽを向くスザンナの姿があった。
「っ、スザンナ様も来てくださったのですねっ。嬉しいっ」
「~~ッ。あ、当たり前ですわ!? 辺境伯夫人に招待されたのだから、辺境伯領の聖女のわたくしが訪問するのは当然のこと。それなのに、なにをそんなに喜ぶ必要があるのですッ!?」
どうしてかベアテルに向かって喋っているスザンナは、真っ赤な顔で怒っていた。
(……僕の手紙は、最初の一通しか届いていなかったみたいだし、スザンナ様が怒るのも当然だ)
相変わらずのスザンナだが、トレードマークの水色のリボンをつけていない。
長かった髪は、レヴィと同じくらいの長さに短く切られていた。
「短い髪も、とても素敵です。……やっぱり凄いな、スザンナ様は」
「~~ッ。褒められるようなことなんて、していないわ。わたくしは、与えられた役目を全うしているだけっ!!」
レヴィは本心を語ったのだが、お世辞だと思われたのかもしれない。
レヴィが少しでも話すと、スザンナのボルテージがどんどん上がってしまう。
死の森にまで届きそうな大声である。
落ち着くために、ふたりにはソファーに座ってもらい、レヴィは紅茶を用意する。
まずは、ふたりの近況を聞く。
そしてレヴィのことを知りたそうにしているふたりを前にし、レヴィは本題に入った。
「実は、僕、当分、動物たちの治癒をお休みしたいと思っているのです」
「「っ……」」
役目を放棄する、と宣言したレヴィに、ふたりは度肝を抜かれる。
教会で過ごしていた頃、誰よりも熱心に学んでいたレヴィは、治癒をする機会が訪れることを待ち望んでいた。
そんなレヴィが、休みを欲したのだ。
ふたりが驚愕するのも無理はなかった。
ただ、レヴィは仕事を休むつもりはない。
動物たちと相談した結果、代理の者を用意することにしたのだ。
そうすれば、治癒の力を欲しているベアテルは、スザンナかマリアンナを伴侶に望むだろう。
だが、もしエミールの話す通り、レヴィの持つ治癒の力を利用するつもりがないのであれば、レヴィとは離縁しない道を選ぶはず――。
「僕の代わりに、動物の治癒をお願いできないかと……」
「ええ、もちろんですわ!」
後で事情を説明するつもりだが、今は何も知らないスザンナが、すぐに了承した。
レヴィが目を見張れば、さっと顔を逸らしたスザンナが咳払いをする。
「聖女の仕事を放棄するだなんて、アニカ様に知られたら大変なことになりますもの。話を聞いてしまった以上、やるしかないわね」
渋々といった感じに話したスザンナだが、レヴィの目にはきらきらと輝いて見えている。
「わ、私も……。自信はありませんが、レヴィ様のためなら、なんだってできますッ!!」
「ふたりとも、ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」
マリアンナにも笑顔を向けたレヴィだが、スザンナに期待していた。
スザンナの治癒能力が高いからではない。
琥珀色の髪の根元から十センチほどが、アニカと同じ、金色の髪に変わっているのだから――。
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