57 / 131
54
しおりを挟む邸から三十分程で到着した小川の前では、静寂が訪れていた。
先程まで、レヴィにピクニックとはどういうものなのかを、熱く語っていたコンラートや使用人たちが、黙りこくっている。
ちょろちょろと川の流れる音に耳を澄ませるレヴィは、どうしたものかと立ち尽くしていた。
「――川が、流れている……」
長い沈黙を破ったのは、ベアテルだった。
心底感動したように告げたベアテルを見上げたレヴィが、怪訝な顔をしてしまったのも無理はない。
なにせ、レヴィの手をきつく握りしめたベアテルは、至極当然なことを話したのだから――。
(……どういうこと? 川って、水が流れているものだよね? 違うのかな……?)
レヴィが首を傾げている間に、凄い、奇跡だ、と他の者たちも続き、川に飛び込みそうな勢いで喜びをあらわにしている。
しかし、レヴィの目の前を流れる川は、茶色く濁っており、底が見えない。
レヴィの目には、決して口にできるような綺麗な川には見えなかった。
……だが。
「なんと綺麗な川なのでしょうっ!!」
ドガッと地に鉄の球を落としたコンラートが、その場で崩れ落ちる。
誰が見ても綺麗とは言えない川に向かい、瞳に涙を浮かべて拝むコンラートの姿に、レヴィは開いた口が塞がらなかった。
もはや、恐怖すら覚えていたのだが、使用人たちも同じように地にへたりこみ、涙している。
「こ、こんなことってあるんですね!? もう、飲み水の心配をしなくて済むっ!!」
「ああ、これで腹を壊すことも無くなるんだっ! きっと湖も綺麗になっているに違いないっ!!」
「たった三日でこんな奇跡を起こせるだなんて……っ!! やはり、救世主だっ!!」
感極まっているベアテルの手をそっと離したレヴィは、己と感覚の違う者たちから距離を取る。
ひとり離れた場所で川をまじまじと見たが、感動する程の川ではない。
だが、もしかすると、皆には思い入れのある川なのかもしれない。
そう思ったレヴィが、恐る恐る濁った川を覗き込んでみれば、きらりとなにかが光った。
(……あっ! もしかして、魚がいる?)
黒光りする魚を発見するも、素直に喜ぶことはできなかった。
汚れた川で魚が元気に泳いでいるはずもなく、レヴィの目には、今にも死にかけているように見えていた。
「ごめんね。綺麗な川にしてあげたいけど、今はまだ無理なんだ……。でも、テリーやアカリ様が魔王を倒せば、きっと綺麗な川になると思う。だから、それまで頑張って生きて――」
今すぐに川を綺麗にすることはできないが、迷わず手を組んだレヴィは、祈りを捧げる。
目を伏せ、澄んだ川を想像すると、全身からどっと力が抜けていった気がした。
「ふぅ……。今は、祈ることしかできないけど……あ、あれ?」
目の前の川に、レヴィの顔が映っている。
泥水のようだった川が透き通っており、底が見えたのだ。
レヴィの想像より、随分と浅い川だった。
「一体、何が起こったんだろう……?」
レヴィは首を傾げていたが、奇跡の瞬間を目撃したウィンクラー辺境伯領の者たちは、揃って息を呑んでいた。
煌めく銀色の光を纏い、清らかになった水を掬い上げるレヴィの姿は、まるで地上に舞い降りた天使が、この世の穢れを消し去っているかのように映っている。
その神々しい姿に、誰ひとりとしてレヴィに声をかけることができなかった――。
しかし、一瞬にして川が綺麗になった原因がわかっていないレヴィは、ある可能性に気付いていた。
「っ、そうかっ!! アカリ様が、魔物の王を討伐したんだっ!!」
「「「…………」」」
なんというタイミングなのだ。
レヴィの願いが叶ったのかと思ったが、そうではない。
魔物の王が倒されたのだ、とレヴィは思った。
だが、呆然としていたベアテルが、ゆっくりとレヴィのもとへ歩み寄り、「……違うと思うぞ?」と呟いた。
(ぬか喜びさせるな! とでも、思っているのかな……? でも、川が綺麗になった理由が、他に見当たらない)
「だって、魔物が住む森なのに、魔物が一匹もいないんですよ!? 川が綺麗になったのは、きっと魔物の王が討伐されたからですっ!!」
「…………いや。なにから説明したらいいのだろうな? まず、魔物については、だな。あなたがいるから近付けないだけで――」
ベアテルがもごもごと話しているが、レヴィの胸に喜びがわく。
無事に魔王が討伐されたということは、アカリやテレンスたちが生きているという証だ。
(偉業を成し遂げたであろう魔王討伐部隊が、無事に帰還できますように……)
レヴィが祈りを捧げていると、太陽の光によってきらきらと輝く川から、大きな魚が飛び跳ねる。
「ひゃっ!?」
びっくり仰天するレヴィは、腰を抜かしていた。
レヴィが驚いたのは、川が綺麗になったからでも、急に魚が飛び跳ねたからでもない。
レヴィの目の前では、ベアテルが素手で魚を掴んでいるのだ――。
「っ、驚かせてすまない……。だが、コレがあなたに危害を加えようとしたのかと……」
つい今し方、レヴィが祈りを捧げ、元気を取り戻した様子の魚が、ベアテルに捕獲された――。
人間が生きるためなのだから、魚や動物の命をいただくのは仕方がないこと。
だが、なんとも言えない気持ちになるレヴィは、不満げに口を尖らせていた。
(……僕って、魚より弱そうに見えるんだ……)
「――ッ!!」
レヴィが拗ねたようにベアテルを見れば、鋭い目が見開いた。
そしてベアテルは、力が抜けたかのように、ドサッとレヴィの隣に腰を下ろした。
「っ、お、俺は……ただ、あなたを守りたかった、だけなんだ……」
川に向かって話しているベアテルは、照れているのかもしれない。
レヴィの心臓が早鐘を打つ。
知らず知らずのうちに、レヴィはぎゅうっと大きな手を握り締めており、ベアテルはその場で小さく飛び跳ねていた。
(ベアテル様は、いつだって僕に手を差し伸べてくれる、優しい人……。すごく、好きだなあ……)
胸がじんとあたたかくなるレヴィは、優しく川に魚を逃したベアテルの、とびっきり素敵な横顔を見つめ、にっこりと微笑んでいた――。
135
お気に入りに追加
2,028
あなたにおすすめの小説
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる
木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8)
和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。
この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか?
鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。
もうすぐ主人公が転校してくる。
僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。
これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。
片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる