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 邸から三十分程で到着した小川の前では、静寂が訪れていた。
 先程まで、レヴィにピクニックとはどういうものなのかを、熱く語っていたコンラートや使用人たちが、黙りこくっている。
 ちょろちょろと川の流れる音に耳を澄ませるレヴィは、どうしたものかと立ち尽くしていた。


「――川が、流れている……」


 長い沈黙を破ったのは、ベアテルだった。
 心底感動したように告げたベアテルを見上げたレヴィが、怪訝な顔をしてしまったのも無理はない。
 なにせ、レヴィの手をきつく握りしめたベアテルは、至極当然なことを話したのだから――。

(……どういうこと? 川って、水が流れているものだよね? 違うのかな……?)
 
 レヴィが首を傾げている間に、凄い、奇跡だ、と他の者たちも続き、川に飛び込みそうな勢いで喜びをあらわにしている。
 しかし、レヴィの目の前を流れる川は、茶色く濁っており、底が見えない。
 レヴィの目には、決して口にできるような綺麗な川には見えなかった。

 ……だが。



 ドガッと地に鉄の球を落としたコンラートが、その場で崩れ落ちる。
 誰が見ても綺麗とは言えない川に向かい、瞳に涙を浮かべて拝むコンラートの姿に、レヴィは開いた口が塞がらなかった。
 もはや、恐怖すら覚えていたのだが、使用人たちも同じように地にへたりこみ、涙している。

「こ、こんなことってあるんですね!? もう、飲み水の心配をしなくて済むっ!!」

「ああ、これで腹を壊すことも無くなるんだっ! きっと湖も綺麗になっているに違いないっ!!」

「たった三日でこんな奇跡を起こせるだなんて……っ!! やはり、救世主だっ!!」

 感極まっているベアテルの手をそっと離したレヴィは、己と感覚の違う者たちから距離を取る。
 ひとり離れた場所で川をまじまじと見たが、感動する程の川ではない。
 だが、もしかすると、皆には思い入れのある川なのかもしれない。
 そう思ったレヴィが、恐る恐る濁った川を覗き込んでみれば、きらりとなにかが光った。

(……あっ! もしかして、魚がいる?)

 黒光りする魚を発見するも、素直に喜ぶことはできなかった。
 汚れた川で魚が元気に泳いでいるはずもなく、レヴィの目には、今にも死にかけているように見えていた。

「ごめんね。綺麗な川にしてあげたいけど、今はまだ無理なんだ……。でも、テリーやアカリ様が魔王を倒せば、きっと綺麗な川になると思う。だから、それまで頑張って生きて――」

 今すぐに川を綺麗にすることはできないが、迷わず手を組んだレヴィは、祈りを捧げる。
 目を伏せ、澄んだ川を想像すると、全身からどっと力が抜けていった気がした。
 
「ふぅ……。今は、祈ることしかできないけど……あ、あれ?」

 目の前の川に、レヴィの顔が映っている。
 泥水のようだった川が透き通っており、底が見えたのだ。
 レヴィの想像より、随分と浅い川だった。

「一体、何が起こったんだろう……?」



 レヴィは首を傾げていたが、奇跡の瞬間を目撃したウィンクラー辺境伯領の者たちは、揃って息を呑んでいた。
 煌めく銀色の光を纏い、清らかになった水を掬い上げるレヴィの姿は、まるで地上に舞い降りた天使が、この世の穢れを消し去っているかのように映っている。
 その神々しい姿に、誰ひとりとしてレヴィに声をかけることができなかった――。



 しかし、一瞬にして川が綺麗になった原因がわかっていないレヴィは、ある可能性に気付いていた。

「っ、そうかっ!! アカリ様が、魔物の王を討伐したんだっ!!」

「「「…………」」」

 なんというタイミングなのだ。
 レヴィの願いが叶ったのかと思ったが、そうではない。
 魔物の王が倒されたのだ、とレヴィは思った。

 だが、呆然としていたベアテルが、ゆっくりとレヴィのもとへ歩み寄り、「……違うと思うぞ?」と呟いた。

(ぬか喜びさせるな! とでも、思っているのかな……? でも、川が綺麗になった理由が、他に見当たらない)

「だって、魔物が住む森なのに、魔物が一匹もいないんですよ!? 川が綺麗になったのは、きっと魔物の王が討伐されたからですっ!!」

「…………いや。なにから説明したらいいのだろうな? まず、魔物については、だな。あなたがいるから近付けないだけで――」

 ベアテルがもごもごと話しているが、レヴィの胸に喜びがわく。
 無事に魔王が討伐されたということは、アカリやテレンスたちが生きているという証だ。

(偉業を成し遂げたであろう魔王討伐部隊が、無事に帰還できますように……)

 レヴィが祈りを捧げていると、太陽の光によってきらきらと輝く川から、大きな魚が飛び跳ねる。
 
「ひゃっ!?」

 びっくり仰天するレヴィは、腰を抜かしていた。
 レヴィが驚いたのは、川が綺麗になったからでも、急に魚が飛び跳ねたからでもない。

 レヴィの目の前では、ベアテルが素手で魚を掴んでいるのだ――。

「っ、驚かせてすまない……。だが、コレがあなたに危害を加えようとしたのかと……」

 つい今し方、レヴィが祈りを捧げ、元気を取り戻した様子の魚が、ベアテルに捕獲された――。

 人間が生きるためなのだから、魚や動物の命をいただくのは仕方がないこと。
 だが、なんとも言えない気持ちになるレヴィは、不満げに口を尖らせていた。

(……僕って、魚より弱そうに見えるんだ……)

「――ッ!!」

 レヴィが拗ねたようにベアテルを見れば、鋭い目が見開いた。
 そしてベアテルは、力が抜けたかのように、ドサッとレヴィの隣に腰を下ろした。

「っ、お、俺は……ただ、あなたを守りたかった、だけなんだ……」

 川に向かって話しているベアテルは、照れているのかもしれない。
 レヴィの心臓が早鐘を打つ。
 知らず知らずのうちに、レヴィはぎゅうっと大きな手を握り締めており、ベアテルはその場で小さく飛び跳ねていた。

(ベアテル様は、いつだって僕に手を差し伸べてくれる、優しい人……。すごく、好きだなあ……)


 胸がじんとあたたかくなるレヴィは、優しく川に魚を逃したベアテルの、とびっきり素敵な横顔を見つめ、にっこりと微笑んでいた――。














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