50 / 131
47
しおりを挟む邸内を案内してもらうレヴィだったが、思わずハンカチで口元を覆っていた。
頑丈な造りの広い邸内は、清潔に保たれてはいるのだが、異臭がしていたのだ。
どこからともなく流れてくる腐敗臭は、邸全体に広がっている。
(……は、鼻呼吸ができないっ)
平然としている使用人たちは、失礼な態度を取っているレヴィに嫌な顔をすることなく、悪臭に慣れきっているようだった。
「こちらでございます」
先導していた青白い顔色の男性が扉を開ける。
案内された部屋に入れば、カーテンは閉め切られていた。
肌寒さを感じる薄暗い部屋に置かれているのは、広い寝台のみ。
教会でレヴィが与えられている、必要最低限の物のみが置かれる部屋よりも、殺風景な部屋だった。
「……うっ、」
そこでうなされているベアテルを発見した瞬間、レヴィは駆け出していた。
「っ、ベアテル様ッ!!」
迷わず手を取れば、レヴィの後をついてきていた使用人たちが息を呑む。
起き上がれない主人に勝手に触れたレヴィを、警戒しているのかもしれない。
だが、気にしている場合ではなかった。
包帯が巻かれている胸元は血が滲んでおり、一刻を争う状況だった。
「死んじゃダメっ!!」
無我夢中で祈るレヴィは、捲し立てるように祈りの言葉を繰り返す。
普段の心穏やかに祈るレヴィとは違い、余裕のない祈りだ。
もし、今ここにアニカがいたならば、間違いなく怒られていただろう。
「――レヴィ」
神経が高ぶっていたレヴィは、ハッと口を閉ざした。
意識のないベアテルが、うわごとのようにレヴィの名を呼んでいるのだ。
(っ……なんでだろう。すごく、懐かしい、気がする……)
ベアテルには、あなた、としか呼ばれたことはないというのに――。
「……レヴィ」
「っ、ベアテル様っ! 聞こえますか? もう大丈夫ですよ、僕が必ず助けますからっ!」
ベアテルから返事はなかったものの、強く握っていた手が僅かに動いた。
今度こそ、冷静に祈りを捧げたレヴィだったが、全身の血が沸騰しているような感覚に陥る。
極限まで集中しているレヴィの全身からは、銀色の光が溢れ出ていた。
「……来てくれたんだな」
「っ、ベアテル様! はいっ、もちろんですっ! 僕はここにいますよ、もう安心して大丈夫ですからねっ」
レヴィが必死に声をかければ、目は伏せられたままだったが、ベアテルの表情は和らいでいた。
暫くして、静かに光が消えていく。
治癒は成功したと確信したレヴィは、自然と涙が溢れる。
(っ、間に合って、よかった……)
すん、と鼻を啜っていると、大きな手がレヴィの涙を拭っていた。
ベアテルが目を覚まし、心の底から安堵するレヴィは、余計に涙が溢れる。
必ず助けるとは言ったものの、不安がなかったわけじゃない。
「――やはり、泣かせてしまったな」
落ち着いてきた頃にベアテルを見れば、涙を拭い続けてくれたベアテルの黄金色の瞳が、レヴィを愛おしげに見つめていた。
ベアテルの瞳に見つめられると、レヴィの胸は高鳴ってしまう。
(……今は、祈りを捧げていないのに――)
「っ、す、すみませんっ。お恥ずかしいところを、お見せしてしまいました……」
「……いや」
気にするなとばかりに、首を横に振ったベアテルが、傷の確認をするために包帯を外す。
「「「――……ッ!!!!」」」
すると、今まで黙って見守っていた使用人たちが息を呑んだ。
レヴィが振り返れば、皆一様に驚愕しており、使用人の代表であろう男性の瞳からは、とめどなく涙がこぼれ落ちている。
もう虚な瞳ではない。
主人であるベアテルが助かったことに、皆が歓喜していることが伝わってきていた。
「死を覚悟していたが、すっかり完治している」
とんとん、と胸元を指したベアテルにつられ、レヴィも傷ひとつない肌にそっと触れた。
レヴィとは違い、鍛え上げられた胸部は、とんでもなく硬かった。
それでも手のひらに強い鼓動を感じ、ベアテルを救えたことを、改めて確認することができた。
「あなたには、感謝してもしきれない。本当にありがとう」
ベアテルが目尻を下げ、とても優しく微笑む。
「いえ、僕はただ……っ、~~ふぁッ!!」
滅多に見ることのない柔らかな笑みに見惚れていたレヴィだが、慌てて手を離していた。
上半身とはいえ、男性の裸を見たことがなかったレヴィは、真っ赤な顔で狼狽える。
急にどうしたのかと、僅かに首を傾げたベアテルだったが、すぐにガウンを羽織った。
(っ、き、傷を確認するためだからって、僕は、なんて大胆なことを……っ!!)
ベアテルの顔を見ることができない。
顔を隠すように俯いていたレヴィが、ちらりと視線を上げれば、ベアテルも赤面していた。
(うぅっ、恥ずかしすぎるっ。…………んん?)
ダークブラウンの髪の上に、ぴょこんと飛び出るふたつの丸い物体が見える。
呆けているレヴィは、己の目を疑った。
ベアテルの頭には、テディーベアのように可愛らしい、ふさふさとした耳が生えていたのだ。
「ベアテル様。軽食を用意致しました」
「……あ、ああ、ちょうど腹が減っていたんだ。助かった」
ふたりの間にさっと割り込んだ使用人の背によって、前は見えなくなる。
そして、次にベアテルを見た時には、頭に耳など生えていなかった。
(あれっ? 熊さんみたいなとっても可愛い耳が、見えた気がしたんだけどなあ……)
ごしごしと目を擦っていたレヴィの前に、水と魚を煮込んだスープのようなものが出される。
一体、誰が食べられるのだと思う程の強烈な匂いを放つ食事に、レヴィは眩暈がしていた。
176
お気に入りに追加
2,078
あなたにおすすめの小説

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。

婚約破棄署名したらどうでも良くなった僕の話
黄金
BL
婚約破棄を言い渡され、署名をしたら前世を思い出した。
恋も恋愛もどうでもいい。
そう考えたノジュエール・セディエルトは、騎士団で魔法使いとして生きていくことにする。
二万字程度の短い話です。
6話完結。+おまけフィーリオルのを1話追加します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる