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しおりを挟む邸内を案内してもらうレヴィだったが、思わずハンカチで口元を覆っていた。
頑丈な造りの広い邸内は、清潔に保たれてはいるのだが、異臭がしていたのだ。
どこからともなく流れてくる腐敗臭は、邸全体に広がっている。
(……は、鼻呼吸ができないっ)
平然としている使用人たちは、失礼な態度を取っているレヴィに嫌な顔をすることなく、悪臭に慣れきっているようだった。
「こちらでございます」
先導していた青白い顔色の男性が扉を開ける。
案内された部屋に入れば、カーテンは閉め切られていた。
肌寒さを感じる薄暗い部屋に置かれているのは、広い寝台のみ。
教会でレヴィが与えられている、必要最低限の物のみが置かれる部屋よりも、殺風景な部屋だった。
「……うっ、」
そこでうなされているベアテルを発見した瞬間、レヴィは駆け出していた。
「っ、ベアテル様ッ!!」
迷わず手を取れば、レヴィの後をついてきていた使用人たちが息を呑む。
起き上がれない主人に勝手に触れたレヴィを、警戒しているのかもしれない。
だが、気にしている場合ではなかった。
包帯が巻かれている胸元は血が滲んでおり、一刻を争う状況だった。
「死んじゃダメっ!!」
無我夢中で祈るレヴィは、捲し立てるように祈りの言葉を繰り返す。
普段の心穏やかに祈るレヴィとは違い、余裕のない祈りだ。
もし、今ここにアニカがいたならば、間違いなく怒られていただろう。
「――レヴィ」
神経が高ぶっていたレヴィは、ハッと口を閉ざした。
意識のないベアテルが、うわごとのようにレヴィの名を呼んでいるのだ。
(っ……なんでだろう。すごく、懐かしい、気がする……)
ベアテルには、あなた、としか呼ばれたことはないというのに――。
「……レヴィ」
「っ、ベアテル様っ! 聞こえますか? もう大丈夫ですよ、僕が必ず助けますからっ!」
ベアテルから返事はなかったものの、強く握っていた手が僅かに動いた。
今度こそ、冷静に祈りを捧げたレヴィだったが、全身の血が沸騰しているような感覚に陥る。
極限まで集中しているレヴィの全身からは、銀色の光が溢れ出ていた。
「……来てくれたんだな」
「っ、ベアテル様! はいっ、もちろんですっ! 僕はここにいますよ、もう安心して大丈夫ですからねっ」
レヴィが必死に声をかければ、目は伏せられたままだったが、ベアテルの表情は和らいでいた。
暫くして、静かに光が消えていく。
治癒は成功したと確信したレヴィは、自然と涙が溢れる。
(っ、間に合って、よかった……)
すん、と鼻を啜っていると、大きな手がレヴィの涙を拭っていた。
ベアテルが目を覚まし、心の底から安堵するレヴィは、余計に涙が溢れる。
必ず助けるとは言ったものの、不安がなかったわけじゃない。
「――やはり、泣かせてしまったな」
落ち着いてきた頃にベアテルを見れば、涙を拭い続けてくれたベアテルの黄金色の瞳が、レヴィを愛おしげに見つめていた。
ベアテルの瞳に見つめられると、レヴィの胸は高鳴ってしまう。
(……今は、祈りを捧げていないのに――)
「っ、す、すみませんっ。お恥ずかしいところを、お見せしてしまいました……」
「……いや」
気にするなとばかりに、首を横に振ったベアテルが、傷の確認をするために包帯を外す。
「「「――……ッ!!!!」」」
すると、今まで黙って見守っていた使用人たちが息を呑んだ。
レヴィが振り返れば、皆一様に驚愕しており、使用人の代表であろう男性の瞳からは、とめどなく涙がこぼれ落ちている。
もう虚な瞳ではない。
主人であるベアテルが助かったことに、皆が歓喜していることが伝わってきていた。
「死を覚悟していたが、すっかり完治している」
とんとん、と胸元を指したベアテルにつられ、レヴィも傷ひとつない肌にそっと触れた。
レヴィとは違い、鍛え上げられた胸部は、とんでもなく硬かった。
それでも手のひらに強い鼓動を感じ、ベアテルを救えたことを、改めて確認することができた。
「あなたには、感謝してもしきれない。本当にありがとう」
ベアテルが目尻を下げ、とても優しく微笑む。
「いえ、僕はただ……っ、~~ふぁッ!!」
滅多に見ることのない柔らかな笑みに見惚れていたレヴィだが、慌てて手を離していた。
上半身とはいえ、男性の裸を見たことがなかったレヴィは、真っ赤な顔で狼狽える。
急にどうしたのかと、僅かに首を傾げたベアテルだったが、すぐにガウンを羽織った。
(っ、き、傷を確認するためだからって、僕は、なんて大胆なことを……っ!!)
ベアテルの顔を見ることができない。
顔を隠すように俯いていたレヴィが、ちらりと視線を上げれば、ベアテルも赤面していた。
(うぅっ、恥ずかしすぎるっ。…………んん?)
ダークブラウンの髪の上に、ぴょこんと飛び出るふたつの丸い物体が見える。
呆けているレヴィは、己の目を疑った。
ベアテルの頭には、テディーベアのように可愛らしい、ふさふさとした耳が生えていたのだ。
「ベアテル様。軽食を用意致しました」
「……あ、ああ、ちょうど腹が減っていたんだ。助かった」
ふたりの間にさっと割り込んだ使用人の背によって、前は見えなくなる。
そして、次にベアテルを見た時には、頭に耳など生えていなかった。
(あれっ? 熊さんみたいなとっても可愛い耳が、見えた気がしたんだけどなあ……)
ごしごしと目を擦っていたレヴィの前に、水と魚を煮込んだスープのようなものが出される。
一体、誰が食べられるのだと思う程の強烈な匂いを放つ食事に、レヴィは眩暈がしていた。
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