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16 スザンナ
しおりを挟む人目を盗み、厩舎を見渡せる特等席に移動したスザンナは、感嘆のため息を漏らす。
スザンナの潤む琥珀色の瞳には、己が愛してやまない天使の姿が映っていた――。
「なんと立派なお姿なの……」
心身共に鍛えている騎士ですら、『ウィンクラーの怪物』の前では縮み上がってしまうというのに、畏れることなく治癒を施したのだ。
さらには、第二王子殿下が率いる魔物討伐部隊の闇を暴こうと立ち上がった、勇敢な人物。
この世で最も崇拝しているレヴィ・シュナイダーの美しすぎる横顔を、スザンナはしかと己の目に焼き付けていた――。
スザンナが密かに想いを寄せる相手――レヴィ・シュナイダーとの出逢いは、聖女候補として選抜された十歳の頃だった。
高位貴族から順に適正試験が行われるため、スザンナは他の者より早くに教会に足を踏み入れていたのだが、周囲から甘やかされて育ったスザンナは、教会での生活に慣れるまでに随分と苦労した。
立派な聖女になると意気込んでいたくせに、いざ聖女候補として集団生活をしてみれば、辛くて苦しくて楽しいことなどなにひとつなかった。
毎日のように、家に帰りたい、家族に会いたいと泣き叫んでいたのだ。
そしてスザンナが癇癪を起こしている時、皆は当たり散らされたくないとばかりに離れていたが、いつもそばで励ましてくれていたのが、レヴィだった――。
複雑な事情を抱え、三歳から教会に預けられているレヴィの方が、よっぽど辛かったはずだ。
それなのに、レヴィは高位貴族でありながら、凍えるような冬の早朝にも井戸から水を汲み、教会の床を丁寧に磨き上げ、自ら調理もしていたのだ。
(雑巾の絞り方を教えてくれて……。全然できていなかったのに、『よくがんばったね』って、冷たくなったわたくしの手に、息をふうーって……っ♡ はううぅぅ~~ッ!!)
レヴィとの何気ない日常を思い出すだけで、スザンナの胸はぎゅうっと締め付けられる。
決して泣き言を言わないレヴィは、スザンナと似た華奢な体なのだが、とても頼もしい存在なのだ。
聖女アニカの後継者として、幼き頃から注目を浴びていたレヴィだが、驕ることなく、熱心に神に祈りを捧げるその姿は、スザンナが見てきた誰よりも美しかった――。
レヴィを見ているだけで、周囲の人間に甘やかされ、傲慢に育っていたスザンナの心が、清らかになった気がするのだ。
今や次代の有能な聖女として注目されているスザンナだが、レヴィを見習ったまで。
ライバルだなんて烏滸がましい。
大好きな両親よりも尊敬するレヴィと、スザンナは目を合わせることすらできなかった――。
しかし、スザンナの憧れの人には幼き頃から婚約者がいた。
王族の中でも、群を抜いて美しい容姿のテレンス第二王子殿下である。
そして婚約者に会うために、教会に足繁く通うテレンスは、聖女候補の中でも人気があるのは言うまでもない。
だからスザンナは、テレンスにアプローチしようと企む者を、片っ端から排除し続けてきた。
第二王子殿下の婚約者の座は、心の清らかなレヴィこそが相応しいからだ。
妨害行為によって、周囲の人間にはスザンナがテレンスに好意を寄せていると勘違いされているが、別に構わない。
レヴィに傷付いてほしくない。
その一心だった。
テレンスとレヴィは、誰の目から見てもお似合いのふたりだ。
互いを大切に想っているふたりの仲を、引き裂こうなどと思ったことはない。
だからこそ、レヴィにテレンスが相応しくない相手だと判断する日が来るとは、夢にも思わなかった――。
二年間、テレンスの治癒を担当していたスザンナは、あることに気がついた。
魔物討伐後の治癒で、主に下半身に夕焼け色の光が集まっていたのだ。
そのことを指摘した当初、テレンスからは生殖器官の問題だと告げられていた。
――極秘事項である。
しかし、レヴィを愛するスザンナの全力の祈りによって、テレンスの症状は良くなりつつあった。
それなのに、魔物討伐後は必ず症状が悪化しているのだ。
愛するレヴィには、幸せな家庭を築いてほしい。
婚姻後に子が出来ないと悩むことになり、万が一にもレヴィに問題があると思われたくなかったスザンナは、己だけでは問題を解決することができず、内密に信頼する幼馴染に相談した。
その判断によって、テレンスは性病を患っているだけだと知ることとなった――。
魔物と戦った後の、決して清潔とは言えない地での行為によって、テレンスは様々な性病をせっせと持ち帰ってきていたのだ。
言葉巧みなテレンスによって、スザンナは二年もの間、騙され続けていた……。
その事実を知った時、スザンナは悔しくて悔しくてたまらなくて、ひとり枕を濡らした――。
「あの男だけは、許してなるものですかっ! ――股間キラキラ王子め」
「っ、あのなぁ~。下品な言葉を使うなって言ってるだろ? レヴィ様に嫌われても知らねぇぞ?」
「お黙りッ!!!!」
背後から声をかけてきた逞しい騎士を睨めば、ジークフリートは戯けたように肩を竦めた。
テレンスの側近であり、魔物討伐部隊にも所属している男は、スザンナの幼馴染だ。
逞しい体付きと凛々しい顔立ち、燃えるような赤髪が目を惹く美丈夫である。
ロベルト侯爵家の跡取りとして人気を博しているが、精巧なビスクドールのようなレヴィをこよなく愛するスザンナには、ジークフリートはゴリラにしか見えなかった。
「わたくしは、事実を言っているのよ? 股間キラキラ王子でなければ、キラキラ股間王子?」
「……どっちも同じだろ」
「いい? 心の目で見なさい。あの男がキラキラしているのは、顔じゃないの。股間なのよっ!!」
「…………プハッ!! っ、もう、本当にやめてくれ。誰が聞いているかわからないんだぞ? まっく、毎度毎度、笑わせるなよなぁ~」
盛大に吹き出したジークフリートだが、真顔のスザンナを見て頭を抱えている。
戦闘後には興奮状態となるため、魔物討伐をしている騎士にとっては、欲を発散することは普通のことらしい。
だが、スザンナにとっては、誰とでも肌を重ねる行為は穢らわしいことこの上なかった。
加えて、テレンスの側近であるジークフリートもベアテルも、清い身のままである。
我慢しようと思えばできることだというのに、なぜ欲を発散したがるのか。
それも、愛する婚約者がいるというのに――。
スザンナには、テレンスの行動が理解できなかった。
(その程度の想いなら、レヴィ様をわたくしに譲ってくださればいいのに……)
スザンナはぎりりと歯を食いしばる。
今もスザンナがテレンスの治癒を担当しているのは、レヴィにテレンスが性病を患っていることを悟らせないためでしかない。
そうでなければ、スザンナは穢れてしまったテレンスなどに、触れたくもないのだ。
(本当なら、あのような獣と、同じ空気を吸いたくもないわッ!!)
「あ……。レヴィ様が倒れた」
「っ、なんですって!?!?」
意識を失ったのか、テレンスに横抱きにされているレヴィを目撃したスザンナが、絶叫する。
愛する天使のもとへと一目散に駆けつけたスザンナは、初めてレヴィの治癒を施した。
感極まって気絶したスザンナは、テレンスが他の聖女候補を呼び出していることに気付くことはなかった――。
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