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 ――英雄の息子、ベアテル・ウィンクラーが帰還した。


 教会を訪れた使者に告げられた不可解な言葉は、レヴィを混乱させるには充分だった。

 魔王を討伐する役目は、勇者アカリの使命。
 だが、三カ月前にテレンスと共に魔王討伐に向かったベアテルは、第二王子に危機が迫った時、盾となる役目を任されている。
 それなのに、なぜ帰還しているのか。
 魔王の住む森へ行って帰るだけでも、一年は要するというのに――。
 加えて、魔王を討伐した知らせは届いていないため、レヴィは困惑するしかない。

(もしかして、魔王を恐れて逃げ帰って来たなんてことは……)

 魔王の姿を見たことのないレヴィだが、もし対峙することがあるのなら、目が合っただけで腰を抜かしてしまうだろう。
 これまで魔王を討伐するために、多くの腕の立つ騎士の尊い命が犠牲となっているのだ。
 僅かな治癒能力しか持たないレヴィなど、おそらく力を発揮する前に抹殺されるはずだ。

(でも、ベアテル様は違う――)

 常にテレンスの背を守るように、ひっそりと佇む大男の姿を思い出す。
 主人に忠実なベアテルに限って、逃げ帰ることはありえない――。
 愚かな想像をしてしまったレヴィは、慌てて被りを振る。

(それに、仮にベアテル様がひとり逃げ帰っていたのなら、当主として認められるはずがない)


 つまりベアテルは、主人テレンスを守る役目を全うしたのだ――。


 そして、その際にベアテルが負傷したのだと察したレヴィは、全身から血の気が引くのを感じた。

「っ、ぼ、僕が陛下に呼ばれた理由って……ベアテル様の治癒、ですか?」

 使者の男性が頷き、レヴィの嫌な予感は的中してしまう。
 ベアテルが大怪我を負ったことを知らされたレヴィは、心臓が止まりそうになっていた。
 あれだけ祈りを捧げたというのに、レヴィの力が及ばなかったのだ――。
 王命により、ベアテルの治癒を任されることになったのだが、レヴィは己を責めていた。

「どうしてレヴィなのですっ!! スザンナがいるではありませんか」

 突如としてアニカが吠え、レヴィは滅多にないことに驚きを隠せない。
 純白のローブを纏うアニカは、穏やかな琥珀色の瞳に怒りの色を滲ませていた。

「こ、この度、ウィンクラー辺境伯家の当主となった、ベアテル様のご指名なのですっ。急ぎ、ウィンクラー辺境伯領まで――」

「あなたでは話になりません。私が代わりに、陛下のもとへ参ります」

 話は終わりだとばかりにきびすを返し、波打つ長い金色の髪が揺れる。
 忠義を尽くしてきたアニカが、王命を突っぱねたのだ。
 何事だと集まっていた聖女候補たちが、一驚いっきょうきっする。

「そ、それが、どうにもならないのです。ウィンクラー辺境伯は、レヴィ・シュナイダー様以外は、拒否されていて……」

 急ぎアニカを止めた使者の男性が、どこか言いづらそうに告げる。
 王宮に乗り込む勢いだったアニカは、絶望したように天を仰いでいた。

 怪我を負ったベアテルは、現在ウィンクラー辺境伯領にいる。
 それならば、辺境伯領の聖女として活動しているスザンナが対応できるはずだ。
 だからこそ、わざわざレヴィが出向く必要はないと、アニカは訴えていた。

(でも、今は揉めている場合じゃないっ!)

「すぐに向かいます」

 レヴィが答えれば、使者は安堵し、アニカは鎮痛な面持ちで目を伏せた。

(アカリ様やテリーは、今この瞬間も命懸けで戦っているんだっ。安全な場所にいる僕が、断るだなんて選択肢はありえない)

 レヴィは、己の使命を全うするのみ――。

 しかし、レヴィを守るように取り囲む聖女候補たちの啜り泣く声が響く。
 レヴィの身を案じてくれているのだろう。
 聖女候補たちがほろほろと涙を流し始めたのだ。
 とても嬉しく思うが、誰になにを言われても、レヴィはベアテルを助けに向かうと心に決めていた。

「本当におひとりで大丈夫なのですか?」

「わたしたちもついていきます!」

「そうです! 怪我をしていたとしても、相手はです。レヴィ様になにかあれば――」

 王命だというのに、皆はなんとか引き止めようと必死になっている。
 レヴィは聖女候補としては劣等生なのだが、おっとりとした性格だったこともあり、聖女候補たちから爪弾きにされることもなかった。
 精巧なビスクドールのようだと、皆から可愛がってもらっていたのだ。
 そんな彼女たちに心配をかけたくないと思うレヴィは、穏やかに笑ってみせた。

「ベアテル様は僕たちと同じ、人間です。人喰い熊ではありませんよ?」

 人喰い熊と畏れられているベアテルだが、レヴィがテレンスと会う時は、護衛として行動を共にしていたのだ。
 聖女候補として、幼き頃より教会で生活をしてきた世間知らずのレヴィだが、ただの噂であることはわかっていた。

「で、ですが――」

「この中で、ベアテル様が人を食らったところを、目撃した方はいらっしゃいますか?」

 レヴィが鈴の鳴るような声で問い掛ければ、誰もが口を閉じた。

「僕は、かねてよりベアテル様の治癒を担当していましたが、ベアテル様が人を襲った瞬間を、ただの一度も見たことがありません」

「「「っ、」」」

 レヴィの発言により、皆がベアテルを人喰い熊だと呼ぶことはなくなった。
 それでも聖女候補たちの顔は青褪めており、憐憫れんびんの眼差しがレヴィに集まっていた――。

 国王陛下に会う時間も惜しいと思うレヴィは、すぐに辺境伯領に向かうと使者に告げ、早速荷造りを始める。

(……なにか口に出来る状態なのかな)



 後に、ベアテルの伴侶として迎えられる未来を知らないまま、レヴィはベアテルの好む小果実を、鞄にたっぷりと詰め込んでいた――。














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