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第八章
176 とびっきりの光
しおりを挟む以前訪れた邸の前には、人型や小動物の闇色の魔物がずらりと並んでいた。
魔物たちの一歩前に立つ長身の人物は、セオドアの左手を持って、俺たちを待ち構えていた。
「遅かったな」
「っ、アレク! なんでこんなことするんだよ! テディーの左手を返してくれっ!」
フッと不気味な笑みを浮かべたアレクサンダーは、俺に向かって左手を放る。
軽く放り投げた紋章の浮かび上がる左手が、大きな弧を描いて、俺の胸元に落ちて来た。
まさかすぐに返してくれるとは思わずに驚いたものの、瞬時にセオドアの腕を掴む。
止血していた布を剥がし、血塗れになりながら、離れた部分を合わせた。
「治れっ、治ってくれっ!!」
僅かに金色の結晶が舞うが、あまりにも治癒スピードが遅すぎる。
罪悪感から、俺の心が乱れているせいだ。
「クソッ! なんでだよっ、俺のせいなのにっ」
「大丈夫です、イヴ兄様」
柔らかく囁いたセオドアは、負傷しているにも関わらず、微笑んでいた。
右手で顔を引き寄せられて、唇が重なる。
すっと目を細めたセオドアは、俺が紋章を授かった日に練習をしたときと、同じ目をしていた。
「ンッ」
温かな舌を迎え入れて、絡ませる。
『大丈夫』と、翡翠色の瞳から語られて、肩の力が抜けていく。
俺の全身から、金色の結晶が溢れ出る。
光が左手に集中しているのを視界の端で確認しながら、優しさの滲む瞳を見つめていた。
俺とセオドアの間で、力が循環しているような感覚になる。
……セオドアの言う通り、大丈夫だ。
穏やかな気持ちになり、身も心も癒してくれと願った。
静かに光が消えていき、ゆっくりと離れた。
なにもなかったかのように、綺麗にくっついている左手を摩るセオドア。
にっこりと笑いながら、可愛らしく手をひらひらとさせる。
「僕の言った通りだったでしょう?」
「あ、ああ……、ごめんな。情けない兄様で」
「ふふっ。これで兄様には、僕がいないとダメだってわかりましたか?」
治癒できたことに安堵して、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
しゃくりあげながら、ゆっくりと頷いた。
「もう。いくつになっても、泣き虫イヴ兄様っ! 僕のために泣いてくれて……、嬉しいっ」
紋章が浮かび上がる左手で、優しく目元を撫でてくれ、涙を拭ってくれた。
左手で鼻水を拭うと、俺の体はまだ光っていた。
「あれ? なんでだ……」
辺りを見渡すと、アレクサンダーに仕えていた魔物たちが、金色の光に包まれていた。
横たわる闇色の体がキラキラと光り、小さな光の結晶は、空に向かってゆっくりとのぼっていく。
灰色の雲が流れていき、青い空が顔を出した。
そして俺たちを眺めていた美丈夫が、膝をつく。
「っ、アレクッ!!」
全力で突っ走り、倒れる前に滑り込んで、なんとか体を抱き込んだ。
「フッ……。あんなことをしたのに、心配してくれるのだな……」
「当たり前だろっ! お前は、俺の、友人なんだからっ!」
「まさか、そう言ってくれるとは……カハッ」
「っ、光が止まらない……、なんでっ、」
俺の目からぼとぼとと涙が零れ落ち、青白い顔に流れていく。
「嗚呼……、お前の涙は、心地良い……」
薄らと口許を緩ませるアレクサンダーの微笑みは、今から死ぬような顔ではなかった。
「友よ……。ありがとう……」
噛み締めるように呟かれた声に、息を呑む。
俺に殺されそうになっているのに、なんで感謝の言葉なんだ。
「なんでっ」
「偽りだったが……、私の家族だった……。彼らを、この苦しみから、救ってくれたことに……、感謝する」
薔薇色の視線の先を見れば、頭に二つの角が生えた魔物が……、笑っていた。
俺にたくさんのクログルーミーをくれた、執事の格好をした人型の魔物。
以前は全く表情が動いていなかったのに、今は嬉しそうに笑っている。
『あ、り、が、とう』
ゆっくりと静かに動く唇から、そう読み取って、目を見開く。
幸せそうな顔で眠るように旅立った魔物が、無数の小さな光となって、天にのぼっていく。
晴れやかな青い空に、溢れんばかりの金色の結晶が光り輝いていた。
どんなに価値のある宝石だって、この光には敵わない。
夜でもないのに星が瞬いているようで、あまりに綺麗な空に、言葉を失った。
「こんなに……うつくしい、世界……、だったのだ、な……」
「ッ──! アレクッ、いやだ、死ぬなッ!」
横たわる冷たい体を掻き抱く。
とくん、とくん、と心臓の音がゆっくりと鳴る。
「おまえと……出会えて、よかっ、た……」
「っ、絶対に助けるッ! 俺の腕でも足でも、寿命でも良い! 使えるものは全部使って、アレクをたすけ……」
辛そうに顔を歪めたアレクサンダーは、ゆっくりと首を振る。
もう生きたくないのだと……。
このまま逝かせてくれと、声にならない声が届いた。
俺の心が悲鳴を上げるが、ぐっと奥歯を噛み締めて、冷たい右手を握りしめる。
「天に召されても、俺たちは友人だっ。……最後に、とびっきりの光を見せてやるよ」
そう言って、涙でぐしゃぐしゃな顔を動かし、全力で笑顔を作った。
──アレクサンダーに最大の癒しを。
最後に笑顔で逝けるように……。
俺の持つ、全ての力を開放して祈った。
その瞬間、俺の体から目も開けられないほどの眩しい光が放たれる。
「っ……むかえが、きた……めがみ、さま……」
切れ長の目から、ほろほろと涙が零れ落ちる。
嗚咽を堪え、二人で空を見上げる。
そこには、金色の光の結晶が集まり、癒しの聖女様の紋章が浮かび上がっていた。
目を伏せ、祈りを捧げるように手を組んでいる、神々しいお姿。
吸い込まれるように見つめていると、ゆっくりと目が開かれる。
波打つ長い髪の美女が優しく微笑み、歓迎するかのように大きく両手を広げた。
「あ、あ……、しあわせ、だ……、やっと……」
「アレクッ!!」
刹那。
長身だった体が、十代の青年の姿になり、真っ黒だった髪が青みがかった銀色に見えた。
喜びにキラキラと輝く薔薇色の瞳は、魔物の血色の瞳とは全く違う。
なんて鮮やかな紅色なんだ……。
握りしめていた右手が、光となって消えていく。
「わたしは、さきに逝く……天から、みまもって、いる、ぞ…………イヴっ」
最後の最後で、俺の名を呼んでくれたアレクサンダーは、天に召された。
──今まで見た中で、一番良い笑顔で。
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