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第六章
136 誇れる自分 クリストファー
しおりを挟む「……どうしたんだ?」
黙り込むイヴに手を伸ばすが、触れたらきっと私の気持ちが伝わってしまうだろう。
だが、下ろしそうとした手を取られ、上目遣いで見つめられてしまった。
密かに慕う相手から触れられ、ダメだとわかっているのに、私はその手を振り払うことができない。
「癒しの力を……使っても、いいですか?」
今夜はラファエルとの情事があるから、気を遣ってくれたのだろう。
(傷付けることを言った後なのに、やはり優しい子だな……)
知らぬ間に顔を綻ばせていた私が頷くと、強めに手を引かれる。
前のめりになった私の頬が、温かな両手で包み込まれ……。
唇が重なっていた。
「っ……」
てっきり、以前のように手の甲に口付けられると思っていた私は、驚きすぎて呼吸をすることを忘れていた。
硬直して目を見開いていると、薄らと瞼が持ち上がり、黄金色の瞳と視線が交わる。
癒しの力が発揮された時のように、瞳の中に無数の小さな光がキラキラと輝いていた。
燃え上がるように光が大きくなり、消えていく。
星の瞬きにも似た光を、飽きることなく吸い込まれるように見つめる。
ゆっくりと瞬きをした綺麗な顔を凝視していると、唇の間から舌が侵入してきて、引っ込んでいた舌を絡めとられた。
「ッ!」
火傷しそうなほどの熱さと、心地良さ。
うっとりとする私は、知らぬ間にイヴを掻き抱いていた。
「イヴッ」
「んっ…………んぅっ……は、ぁっ……」
瞳が蕩ける様を見ているだけで、胸が熱くなる。
秘めたはずの想いが溢れ出て、何度も舌に吸い付いていると、掻き抱いている体が震え出す。
腰が抜けたようにずるずると落ちていくイヴの体を支えていたが、興奮のあまり私も共に床に崩れ落ちていた。
それでも止まることが出来なくて、深く口付けていると、胸元を控えめに叩かれる。
(……やり過ぎてしまったが、後悔はしていない)
いつものように舌打ちをされても仕方がないなと思いながら、名残惜しくも離れた。
身構えていると、はあっと艶かしい息を吐いたイヴが優しく微笑んだ。
「今までで、最大の力……使いました」
「っ……」
頬を赤らめるイヴが、照れていることに気付く。
頬がだらしなく緩みそうになったが、眉間に皺を寄せてなんとか堪えた。
「ありがとう、癒された……。何度でもして欲しいくらいに……」
「それは嫌です」
バッサリと切られて、落胆する。
頭を抱えそうになったが、イヴは拗ねたように口を尖らせていた。
「だって、また自意識過剰だ、って言われたくないし……」
ぼそぼそと呟く姿が可愛らしくて、たまらず頬を撫でていた。
思ってもいないことを言ってしまった手前、イヴには嫌われるだろうと思っていたが、前と同じように接してくれている。
だが、嫉妬深いジュリアスが怒るだろうから、早く弟のもとに戻ってやれと告げた。
今の口付けも内緒にしておくと話したのだが、イヴは首を横に振った。
「彼にはちゃんと言ってから来ました。ついでに、裏でコソコソとやっていたことにも説教しておきましたので」
眉を上げて、得意げな顔になるイヴ。
イヴが私のためを想って行動してくれたことが、嬉しくてたまらない。
いつのまにか笑みをこぼしていた私は、顔を引き締める。
「さっきはすまなかった……。私はラファエルと婚約することになるが、全てはイヴの幸せを願ってのことだったんだ……。そのことを知れば、きっとイヴは悲しむだろうし、自分を責めてしまうと思ったんだ。だから突き放すようなことを言ったが……。どちらにせよ、傷付けてしまうのなら、最初から本当のことを話しておけばよかったな……」
演技していたことを謝罪したが、なんとなくイヴは気付いていたのかもしれない。
困ったような顔だった。
「クリストファー殿下が、俺じゃなくて、癒しの聖女としてしか見ていないって言われて、嘘だったとしても普通に傷付きました」
「……すまない」
「だから、今度はクリストファー殿下が俺を癒して下さい」
膝を立てて座っている足の間に、すっと座ったイヴが、私の太腿の上に足を乗せる。
(っ、イヴが……あの、イヴが、自ら……)
普段は私が背後から抱きしめていたが、今は向かい合う体勢で密着して、心臓が跳ねた。
こういうことをするのは初めてではないのに、目の前の相手が慕っている人だというだけで、ここまでドキドキするのかと、じわりと体が火照った。
だが、私より緊張している様子のイヴに悟られないように冷静を装う。
「……やっぱりこの体勢は、恥ずかしい」
「ククッ、自分でやったんだろう」
「っ、だって……前に言ってたから……」
視線を彷徨わせるイヴは、触れ合う関係を始めた時に、私が言った言葉を覚えていたようだ。
なんとも可愛らしいツンデレ美青年は、私の心を鷲掴みにしてくる。
(もう、イヴが何をしても可愛いとしか思えない私は、末期症状かもしれない……)
離れ難いと思っているのに、これ以上夢中になっては困るからと、再度「戻らなくてもいいのか?」と口にしていた。
すると、不思議そうにこてりと首を傾げられる。
「今日はまだ終わってませんよ?」
「ん?」
「だから、今日で終わりって言ってましたけど、まだ終了時刻じゃありません。第一王子ともあろうお方が、無責任じゃないですか?」
「くっ……」
「最後まで付き合うのが筋だと思いますけど?」
私の気持ちを配慮したイヴの飾らない言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
わざと作った生意気な顔をやめて、にこっと微笑まれる。
「っ、イヴッ……」
愛おしさが増して、たまらず抱きしめていた。
嗅ぎ慣れた柑橘系の香りを吸い込み、深く息を吐き出す。
目頭が熱くなるのを堪えている間、イヴはただ黙って私の背を撫でてくれていた。
「――もう一度だけ、口付けたい」
「だめ」
即座に拒否されて私が溜息を溢すと、顔を覗き込まれる。
「その顔、卑怯です」
「……どんな顔だ」
「捨てられた子犬みたい」
相変わらず失礼な男だ、と不貞腐れたように呟くと、「今更ですか?」と楽しそうに笑われた。
不貞腐れた表情を隠しきれずに顔を背けると、優しく頬に触れられ、視線が交わる。
「癒しの力なら……いいですよ?」
慈愛のこもった眼差しで微笑みかけられて、私は目を見開いた。
混乱して微動だにしない私にくすりと笑ったイヴが、触れるだけの口付けをする。
「っ……」
おずおずと唇を動かすと、嬉しそうに目を細められる。
優しく抱き寄せて、柔らかな唇を啄む。
(……私の腰に足を回して密着するイヴが、可愛くて仕方がないっ)
ゆっくりと流れる甘やかな時間に、これ以上ないほどに心が癒されていく。
――癒しの力は偉大だ……。
そう思って目を見れば、黄金色の瞳には、先程の小さな光は宿っていなかった――。
そのことに気付いた時には唇が離れており、動揺しながらも、ぼうっとイヴの顔を眺めていた。
「いい暇潰しになりました?」
「っ…………許してくれ」
「意地悪された仕返し」
べっと舌を出して、憎々しい顔をされる。
その顔に癒されて、私は腹の底から笑っていた。
(……涙が流れてしまったのは、きっと腹がよじれるほど笑ったせいだ)
イヴと最後の時間を過ごした私は、ラファエルが想い合う二人の邪魔をしないよう、彼を全力で支えようと心に決めた。
ラファエルに同情している部分もあるし、王族として生まれてきたのだから責務は果たすつもりだ。
国のためにも、愛する人のためにも――。
弟とイヴのおかげで、以前より誇れる自分になれたと思えるし、私は自信に満ち溢れていた。
イヴへの想いは胸の奥にしまい込み、憂鬱だった先程とは真逆の気持ちで、湯浴みに向かった。
そしてすっかり忘れていたお喋り野郎に散々揶揄われたが、好きなだけ言わせてやる。
明るい未来を想像する私は、共に国を支える存在を笑顔で迎えに行くのだった。
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