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 いち早くフランツが動き、冷やしたタオルを背後から手渡した。
 それを黙って受け取ったユージーン様は、天井を見上げる。


 「あの男が憎くてたまらない。それなのに……、すごく、羨ましいんだ……」


 そう言って、目元にタオルを置いたユージーン様は、しばらく黙っていた。
 愛する人の恋人を羨ましく思うのは、当然のことだ。
 初恋は実らないとよく言うけれど、俺はユージーン様の初めての恋を応援したい気持ちでいっぱいになっている。
 まだ諦めないで欲しい。
 そう声をかけようとしたが、「私だって……」と、か細い声が聞こえた。


 「私だって、ノエルがいないと生きていけないのにっ……」


 低く震える小さな声だったが、俺たちはユージーン様の心の叫びがしっかりと耳に届いていた。


 愛する人の恋人の立場が羨ましいわけではない。
 あの男がどんなに惨めに見えても、素直に弱音を吐けるところが羨ましいのだ。
 本心を聞いたフランツが、当事者であるユージーン様より激しく泣き始める。
 服の袖で雑に目元を拭ったフランツは、ふうっと呼吸を整えた。


 「っ……それならっ。ユージーン様も、ノエル君にそう伝えるべきなんじゃないですか? きっとノエル君は気付いていませんよ……。だってユージーン様は、誰の目から見ても、完璧な王子様なんですから……」
 「私は……ノエルの負担になるようなことは、死んでも言えない」
 「っ、本当に不器用な人だっ!」


 吐き捨てるように告げた俺は、ユージーン様を背後から抱きしめていた。
 そしてフランツも、俺たちに飛びつく。


 「っ……ノエル以外からの抱擁は、嬉しくないんだけどな」
 「ククッ、強がるのはやめましょうね?」
 「そうですよ、こんなに震えているくせにっ! 雨に打たれて鳴いている、捨てられた子猫のようです! 毛並みはすごく良いですけど」
 「……フランツ。ユージーン様に対してその例えはやめておけ」
 「寒いなら、いつでも私たちがあたためてあげますよ! 特にバートは顔が暑苦しいので、南国にいる気分を味わえますっ!」
 「おい。さりげなく俺の悪口を言うなよ」


 堪えきれなかったのか、ぷっと吹き出したユージーン様は、震えているのは面白かったからだと、やはり強がりを言っていた。


 「ユージーン様……。最後の舞台は、今までの中で最高のものにしてください。ユージーン様がどれほど魅力的なお方なのかを、ノエル君に見せつけてやりましょう!」
 「…………そうだね。もう少し、頑張ってみようかな」


 ありがとうと呟いたユージーン様を、俺たちはノエル君の代わりにはなれないが、ずっと抱き締め続けていた。
 最後の舞台では、ユージーン様が圧巻の演技を見せることが出来ますようにと祈りながら……。





 その後、暫し休養したユージーン様は、毎日稽古に参加するようになった。
 以前とは違って、熱心に稽古場に通うようになり、頑張ると話を聞いていた俺ですら、正直驚きを隠せなかった。
 だが、何事にも興味を示さなかったお方の変化を、俺たちは心から嬉しく思っていた。

 だから俺は、こっそり差し入れを持って稽古場を訪れていた。
 そこで、衝撃の光景を目にしてしまう。

 今のユージーン様は、やる気に満ちているのだと思っていたが、それだけではなかった。
 ノエル君を幸せにすると誓ったエドワードが、なにを勘違いしたのか、稽古場までノエル君を連れ出していたのだ。
 後援者にあの女がいるエドワードは、今や劇団では幅を利かせている存在。
 ノエル君から片時も離れない男がユージーン様を牽制しており、派閥が出来ている。

 次の舞台で引退するユージーン様と、今後主役の座を掴み、看板俳優になるであろうエドワード。
 劇団の皆がどちらにつくのかは、火を見るよりも明らかだった。


 それでも俺は、毎日ユージーン様の背を見送る。
 きっと、生涯忘れられない舞台になるのだと信じて──。
 







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