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28 この人は誰だろう
しおりを挟む少し汗の匂いが混ざる、懐かしい爽やかな香り包まれた僕は、天地がひっくり返るほど驚きすぎて、ユーリは汗を掻いても良い匂いなんだと、お馬鹿なことを考えていた。
「ごめん」
「っ…………ユーリ?」
なんでユーリが謝るの?
そう言いたかったのに、耳元にユーリの熱い吐息がかかって、ぶるりと身体が震えてしまう。
「……んっ、」
甘えた声を出してしまって、慌てて口許を押さえようとしたけど、僕の体はユーリに後ろから強く抱きしめられていた。
さっきまで掛け声を出していた騎士達の騒ぎ声がピタリと止んでいて、辺りはシーンと静まり返っている。
どうしよう。今、謝るべき?
おろおろとしていると、いきなりユーリが僕を抱きかかえて王宮の方に歩き出す。
昔よく具合が悪くなったときにしてくれた、お姫様抱っこだ。
今は具合は悪くないし、なにより僕はもう十六歳なんだけど……。
そう思っていると、いきなり回れ右してディーン様の元に歩き出したユーリは、彼が手にしていたパウンドケーキの包みを乱暴に奪い取る。
「俺のものだ」
地を這うような低い声に、自分が言われたわけじゃないのに、ビクッと反応してしまう。
そして呆気に取られるディーン様を一瞥したユーリは、ふんっと冷たい態度でまた歩き出した。
……誰だろう、この人。
僕の知っているユーリじゃない。
体を縮こまらせている僕は、ちらりと視線を上に向ける。
出会った当初の仏頂面をするユーリは、ただひたすら前を向いて歩いていた。
僕の部屋まで行き、ソファーに僕を下ろしたユーリは、席には座らずに体を縮こまらせる僕の前に仁王立ちしている。
「三日後」
「……え?」
「お茶会」
「あっ……来てくれるの?」
「ああ。だからもう、訓練場には来ないでくれ」
視線を彷徨わせながらゆっくりと頷くと、ユーリは何か言いたげにしつつも、練習に戻ると扉の前まで歩く。
その後ろ姿をぼーっと見ていると、ユーリがピタリと足を止めた。
「パウンドケーキ、美味しかった」
そして僕が話す前に、パウンドケーキの包みを握りしめるユーリは部屋を出て行った。
「えっ……美味しかった?」
また食べていないのに?
パウンドケーキのお礼を言いたかったけど、間違えたのかな?
相変わらず抜けているところがあるな。
そんなところは変わっていないらしい。
ユーリが別人のようになっていたけど、この五年の間にいろいろとあったのかも。
いずれは騎士団長になるわけで、みんなを引っ張って行かなきゃいけないんだし、厳しくなるのも納得出来る。
そして、僕はまだ、ユーリに対して謝罪していないことに気付いた。
ずっと避けていたこと、勝手に婚約者にしたことを謝らないといけなかったのに。
でも三日後のお茶会は来てくれるみたいだから、その時は絶対に謝ろう。
ユーリのことが好きだったから、ユーリが他の人を好きって知って、ショックで顔を合わせることが出来なかったって話すんだ。
そして、三日後もパウンドケーキを焼きたいから、調理場を使わせて欲しいとお願いに行く。
パウンドケーキ攻めをする僕は、とにかくユーリと仲直りがしたい。
すごく単調な攻撃だけど、他に良い案が思いつかないからのだから仕方がない。
そして仲直りして、ユーリの心の傷が癒えたときには、僕のことを好きになってもらえるように努力しよう。
出来損ないの僕が、優秀なナポレオン兄様みたいにはなれないけど、なんとか頑張る。
走り込みでもしたら良いのかな……。
瞳の色は変えられないから、髪の毛を赤く染められたら良いのに。
ないもの強請りばかりする僕は、三日後のお茶会まで、ナポレオン兄様みたいになるにはどうしたら良いのかを、悶々と考えていた。
そして、お茶会当日。
パウンドケーキを用意して、そわそわしながら庭園で待っている僕の目の前は、相変わらず空席だ。
……自ら来るって言ったくせに。
ユーリの嘘つき。
実は前日、緊張しすぎて眠れなかった僕は、心地良いお日様の光を浴びて、めちゃくちゃ眠い。
もう少し待って来なかったら、部屋で寝よう。
一時間が過ぎて、そろそろ二時間経つ。
限界を迎えた僕は、パウンドケーキを手にして自室に戻る。
謝罪しようと思っていたけど、自ら来るって言ったくせにお茶会に来なかったユーリに、今日こそは一言言ってやりたい。
ぷりぷりしながら自室に戻ると、思いもよらない光景に、大きく目を見開いた。
美しい金色の髪の美青年が、すごく穏やかな表情でソファーで横になっていた。
背が高い彼は、ソファーから足がはみ出ている。
読みかけの本を胸元に置いているユーリにそっと近づいた僕は、間近で綺麗な顔を凝視する。
そして、そうっと口付けた。
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