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9 兄の婚約者に
しおりを挟む二年の歳月が流れて十一歳になった僕は、今日も今日とて、大好きなユーリとキスがしたい。
もう頭の中はユーリのこと以外考えていない。
僕の小さな世界の中心は、ユーリただ一人だ。
恥を忍んで使用人に用意してもらった、ちょっとエッチな本を机に置いた僕は、ドキドキしながらユーリを待っていた。
ちょっとエッチと言っても、舌を絡めるキスなんだけど……。
ユーリの舌は、どんな味がするんだろう。
かっこいいユーリは、実は甘い物が好きだから、舌も甘いのだろうか。
……はあ。もうやめよう。
変態な思考回路を巡らせていた僕は、かぶりを振る。
今日で、ユーリとは百回目のキスをする予定だ。
ユーリと朗読会をした本の題名と、キスの回数を日記に記入する僕は、もっと他のことに頭を使った方が良いと思う。
そんな中、煌めく金色の髪が視界に飛び込んでくる。
襟足が肩まで伸びているユーリは、僕の頭二つ分は背が高くなっていて、とにかくかっこいい。
「ユーリ!」
笑顔で飛びついた僕に、優しく微笑んだユーリは、僕の身体が弱いことを知っているからか、壊れ物を扱うようにそうっと抱きしめてくれる。
もうすっかり健康体なのに、こうして優しく接してもらえることが嬉しい僕は、たまに病弱なふりをしてやろうかと思ってしまうクズだ。
「今日は僕が本を用意したよ!」
「……そうか」
なんだか歯切れの悪いユーリは、抱きつく僕の手を取って少し屈んで視線を合わせる。
「もう、前みたいなことは出来なくなるんだ」
「……え?」
「ヴィーと、朗読会でキスをしたり出来なくなったんだ」
「っ、どうして?」
もしかして、学園で好きな人が出来たの?
もうその人と、恋人になったの?
「私は……ナポレオンの婚約者になったんだ」
僕はひゅっと息を呑んだ。
ショックが大きすぎて、聞きたいことがたくさんあるのに、口からは言葉が出てこない。
その代わりに大きな目からは、ぽろぽろと涙が溢れていた――。
「ヴィー……」
「っ…………っく、」
「どうして泣いてるの?」
「っく…………ひっく…………っ」
「普通の朗読会なら出来るから、泣く必要なんてないんだよ?」
衝撃的な一言に、僕の心臓はユーリの鋭い言葉のナイフで抉られた。
僕の目から流れ続ける涙を、にこりと笑って指先で拭うユーリは、すごく嬉しそうに見える。
「ヴィーの今の気持ちを聞かせて? この涙は、何を意味しているの?」
……好きだから。
ユーリが誰よりも好きだから。
そう答えたいのに、喉が震えて言葉にすることが出来ない。
「ヴィー?」
「っ…………嫌い、ユーリなんて大っ嫌い!」
自分の気持ちと正反対のことを叫んだ僕は、ユーリを突き飛ばして部屋から飛び出した。
普段、全く運動していない僕は、少し走っただけで息が切れる。
それでも、大好きな人がナポレオン兄様の婚約者になった現実と向き合いたくなくて、震える足を叱咤して庭園の隅っこまで走り続けた。
そして、誰もいない場所までたどり着いて、安心してその場でパタリと倒れた――。
◇
目が覚めると、辺りは真っ暗になっており、寝台の上で横になっていた。
「ヴィー! 大丈夫か?」
「なー兄様…………」
僕を心配して傍にいてくれたナポレオン兄様に、嬉しいのになんだか複雑な気持ちになってしまう。
「ユーリと何かあったのか?」
「……うん、もう会わない」
「は? あんなに仲良かったのに? なんで?」
「だって、なー兄様の婚約者になったんでしょう?」
「…………」
無言で肯定したナポレオン兄様は、僕の髪をかき混ぜるようにして撫でた。
兄様は僕がユーリを好きだって気づいていたのかもしれない。
誰も悪くないのに、兄様に気を遣わせてしまって申し訳なくなる。
大好きなユーリがナポレオン兄様のことが好きだったとしても、僕も兄様のことは大好きだ。
だから、相手が兄様なら仕方ないと思う。
優しくて凛々しくて、いつも笑顔で、たくさんのお友達に囲まれる兄様に、誰だって惹かれるに決まっている。
……僕の大好きな人も、例外じゃなかった。
「なー兄様を独り占めするユーリは、大嫌い」
「ヴィー……。ユーリと話をしてあげて? ヴィーが倒れて、すごく焦ってたから……」
「……絶対に嫌っ。僕が倒れたのはユーリのせいだもん。ユーリとは二度と話したくない。顔も見たくない」
困ったように僕の名前を呼ぶナポレオン兄様には申し訳ないけど、もう僕は今まで通りユーリに接することが出来ない。
だって、顔を見たらやっぱり好きだなって思うし、「ヴィー」って微笑まれたら、たまらない気持ちになる。
だから僕は、僕と会う制限をかけた人間のうちの一人に、ユーリの名前を追加したのだった。
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