二人の妻に愛されていたはずだった

ぽんちゃん

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7 家令

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 使用人達との話を終えた私は、家令のケビンを呼び出した。
 父の代から仕えている壮年の彼は、私が最も信頼している人物である。

 幼い頃から共に過ごし、私が間違っていることをしたときには、本当の父親のように叱ってくれた。
 基本的には厳しい人だが、私達三兄弟が恥をかかないよう、温かく見守ってくれていた。
 当主となり、私が困ったときには必ず救いの手を差し伸べてくれる。

 そんな人格的に立派な彼が、アナスタシアにと用意していた金をクララに回していたこと。
 アナスタシアが行っていた領地の仕事を、クララの手柄にした事の真相を問い詰めた。

 いつになく真剣な表情の私に対して、彼はさも当然とばかりに頷いたのだ。

 「もっと早い段階で締め出すつもりでしたが、彼女はジェフリー様を心から愛しておいででしたからねぇ。ジェフリー様からあんなに冷たく接しられていたというのに……。全く罪なお方ですよ」

 ふっと鼻で笑うケビンの胸ぐらを掴んだ私は、初めて暴力を振るった。
 私がアナスタシアに冷たく接したことなど、一度もないはずだ。
 確かにクララを第二夫人にするときには口論にはなったが、それ以外では喧嘩もしたことがない。

 急に殴られて呆気にとられるケビンは、尻餅をついたまま私を見上げる。

 「私は心からナーシャを愛していた! それはクララよりもだ! 彼女は私にとって、かけがえのない存在だったんだ!」
 
 泣きながら叫ぶ私に、ケビンは信じられないとばかりに目を見開いて呆然としている。

 キンバリー公爵家からの援助が無くなり、今後は使用人の数も減らさなければならない。
 アナスタシアを虐げていた人物を優先して解雇したいが、今残っている使用人が全員共犯者なのだ。
 紹介状など出せるはずもない。
 アナスタシアが嫁ぐ際に用意された高級な家具も、いずれは売りに出すことになるだろう。

 そのことを淡々と話していくうちに、ケビンの顔色は青褪めていく。
 
 「そんな……私は、なんということを……」

 尋常じゃない量の汗を掻くケビンは、口を開閉するだけで言葉を失っている。
 普段は何でも涼しい顔でこなす彼が、今までに見たこともないほど動揺していた。

 「他に何をした」
 「っ……ジェフリー様と……クララ様が……睦み合っている時に……」
 「っ、なんだ、何をしたんだ!」

 再度ケビンに掴みかかり、撫で付けられていた白髪が乱れる。


 「本邸に呼び出し、お二人の寝室の前を通るように導きました……」


 ひゅっと息を呑む私の顔色は、ケビンよりも悪いはずだ。
 もうこれ以上は聞きたくないと耳を塞ぎたくなるが、私は真実を聞かなければならない。
 苦々しい表情で見つめれば、ケビンは涙を溢しながら、懺悔するように目を伏せた。

 「ジェフリー様が、『クララ様を一番愛している』と告げているのを、聞いて……」

 だから私もそうだと思っていた。
 未だに信じられない、と呟く。

 そして、全ては私のせいだと言わんばかりの目を向けられる。

 「…………あ、あぁ、ああぁぁ、なんてことを」
 
 絶望の呻き声を上げて座り込んだ私は、もう立ち上がることが出来なくなってしまった。
 なぜなら、クララとの情交の際は、クララに何度も聞かれていたんだ。

 『私とアナスタシア、どっちを愛してる?』
 『二人を愛してるよ』
 『もう。今だけはクララを一番愛してるって言うべきでしょ?』
 
 いくら二人を愛しているからと言って、睦み合っている際に、ましてやアナスタシアの方を愛しているなどとは言えなかった。

 『クララを一番愛しているよ』
 
 そう言わなければ、クララは一日中不貞腐れる。
 だから何度も言わされていた、呪文のように。

 アナスタシアがどんな思いで聞いていたのか、想像しただけで死にたくなる。

 閨での睦言だと思って欲しいが、アナスタシアは未だ清い身のまま。
 つまり、閨でのことなど何もわからないのだ。
 私の言葉通りに受け取った可能性が高い。
 どんなに言い訳をしても、信じてはもらえないだろう。



 庭師のジョナサンの退職届にあったように、私はアナスタシアを探すべきではないのかもしれない。
 私の顔を見れば、嫌な思い出が蘇ってしまい、彼女の為にはならないだろう。

 だが、もしかしたら、彼女は今も私を忘れられず、想ってくれている可能性も少しはあると思う。
 
 もう婚姻出来ずとも、傍にいたい。
 今までのことを全て話して、私の本心を伝えたら、彼女なら信じてくれる気がする。

 そう思えるほど、私とアナスタシアは精神的に強い繋がりを持っていた。
 
 それに、『結婚記念日には、必ず会いに来てください』と言われていたのだ。
 その表情は、決して別れを切り出すようなものではなかった。
 切実なまでに、私に逢いたいと願っているような表情だった。

 週に一度会う時は、彼女の侍女が部屋に必ず待機していた為、触れ合うことはなかった。
 だが、アナスタシアの誕生日と結婚記念日の年に二回だけは、二人きりで過ごしていた。

 恥ずかしがるアナスタシアの華奢な手の甲に、長い口付けをしていた。
 次に会う日も楽しみにしていることを話したし、アナスタシアも同じ気持ちだと告げていたのだ。

 今も枕を濡らして私が迎えに来ることを夢見て、待っているかもしれない。
 もし二度と会いたくないと言うのなら、もう会わない。
 全てアナスタシアの言う通りにするつもりだ。

 だから、最後に一言だけ話がしたい。
 アナスタシアを愛していることを伝えたい。

 そう思い、アナスタシアに仕えていた使用人達が今どこにいるのかを調べることにした。
 
 その結果……。

 まるで失踪したかのように、誰の行方もわからず、手掛かりすら掴むことが出来なかった。
 
 
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