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1 愛する妻が消えた
しおりを挟む今日は、私の第一夫人であるアナスタシアとの三回目の結婚記念日。
永遠に一緒に居たいと、手には白薔薇を九本。
彼女の性格のように、真っ直ぐに伸びる美しい銀髪にさぞ似合うことだろう。
「ありがとうございます、ジェフリー様」と、いつもの可憐な笑顔を想像するだけで頬が緩む。
別邸に向かう足取りは軽やかだが、部屋の明かりが灯っていないことに首を傾げる。
病弱なアナスタシアは、一年前から本邸から五分もかからない場所にある別邸で療養している。
読書をしたり花を愛でることが好きで、夜会以外は基本的に邸で過ごしている為、出掛けることは滅多にない。
もしかして、私との記念日を忘れて寝てしまっているのだろうか?
一瞬アナスタシアを疑ってしまったが、私を心から愛してくれている彼女に限って、忘れたという可能性はゼロに近いだろう。
去年も一昨年も、永遠に共にいようと愛を語り合ったのだ。
となれば、今日は普段より具合が悪いのかもしれない。
使用人が付いているはずだが、彼女の体調が心配になり、早足で向かう。
「ナーシャ? 大丈夫か?」
邸の扉を叩くが、使用人が誰も出迎えないことに、やはり彼女に何かあったのだと嫌な予感が的中する。
慌てて日当たりの良い彼女の部屋まで走り、ノックもなしに扉を開いた。
「…………ナーシャ?」
彼女の瞳の色に合わせた薄紫色の壁紙の部屋からは、いつものラベンダーのような良い香りが漂っている。
だが、部屋には誰も居ない。
どこかへ出掛けているのだろうか?
彼女が出掛けるときは、体調を崩すといけないから、必ず私に連絡を寄越せと使用人には口を酸っぱくして言ってあったのだが。
職務怠慢だな、と憤るが、よくよく考えれば、アナスタシアに付いていた我が家の優秀な使用人達が誰一人としていない。
三年前にアナスタシアと共に来た侍女は、いつものように彼女の傍についているだろうが、他に誰もいないのは明らかにおかしい。
だが、私が記念日や誕生日に贈った指輪や小物類は、全て飾られたままだ。
それならば、やはり出掛けているのだろうか?
もしや、結婚記念日を盛大に祝う為に、皆で隠れて私を驚かせようとしているのかもしれない。
お茶目なところも可愛らしい、と思いながら、慌てたフリをしつつ、呼びかける。
「おーい! 可愛い私のナーシャ。出てきておくれ、寂しくて死んでしまいそうだよ」
わざとらしく泣きそうな声で呼んでみたが、一向に返事はないし、物音一つしない。
どれだけ本格的なんだ、と内心笑いながら邸内を歩くことにした。
優秀な使用人を手配していたおかげで、邸内は綺麗に清掃されており、清潔感に溢れている。
浪費を嫌うアナスタシアの為の別邸は、豪華な家具に囲まれた本邸よりも格段に過ごしやすい。
本来ならば私もここで過ごしたいが、彼女の体調の為に我慢している。
ふと執事の部屋の扉が開いていることに気付き、ここに隠れているのだなとくすりと笑う。
「みんなどこにいるんだ?」
ちらりと顔を覗かせたが、部屋には私物が一切なく、私が用意した家具だけが寂しげに並んでいた。
どういうことだ。
この部屋には、一年前に引き抜いた優秀な執事──アーノルドがいたはずだ。
嫌な汗が流れるまま、机に並べられた白い封筒が視界に入る。
「退職届、だと?」
それもアーノルドだけではない。
アナスタシアの傍にいた三十名、全ての使用人の名が記されている。
破るように開けて、中を確認する。
『お約束通り、本日をもって退職致します』
アーノルドの退職届にはたった一行で、状況が全く理解できない。
メイドや料理人、庭師までもが退職することになった理由はなんだ。
まさか、アナスタシアが原因か?
学生時代は悪質な虐めをするような女性だと聞いてはいたが、共に過ごせばそんな女性ではないことはわかるはずだ。
全て同じような内容の書かれた退職届を読み進め、最後に庭師のジョナサンの封を切れば、信じられない内容に目を見開いた。
『アナスタシア様の好きな花はネモフィラです。もし今、貴方様が白薔薇をお持ちでしたら、アナスタシア様のことは探さないで下さい。彼女の幸せを願うのならば……』
手にしていた白薔薇の花束を握りしめる。
なぜ夫婦のことを、庭師に口出しされなければならないのだ。
アナスタシアは、私からの白薔薇をいつも喜んで受け取っていたではないか。
不快な手紙を破り捨て、再度アナスタシアの部屋に向かう。
怒りのままに足を踏み鳴らすが、彼女の机に一通の封筒が置かれていることに気付いた。
真っ白な机に、同じように真っ白な封筒だった為、見落としていた。
嫌な予感に、震える手で封を切る。
中を見た私は、ずっと握りしめていた白薔薇を力なく落とした。
離縁が成立した知らせだった。
私への言葉は一言もない。
ただ、遠く離れても息子のジェイクの幸せを願っている。と記されていた。
「なぜだ、なぜなんだ……ナーシャ」
毎年二人きりで過ごしていた穏やかな時間は、たった一枚の紙切れを残して消え去ってしまった。
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