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「フラヴィオ様ッ! 頑張ってくださいっ! あと少しで目標達成ですっ!」

 息が上がっているフラヴィオは、励ましてくれる家臣たちに返事が出来ない。
 それでも懸命に足を動かし、白いゴールテープを切った。

 夕飯前に、夫に内緒で走り込みをするフラヴィオは、体力作りに励んでいた――。

「「「おめでとうございますッ!!」」」

 歓喜する声を聞くフラヴィオは、返事をする代わりにこくこくと頷いた。
 クレメントなら一分もかからずに走り切る訓練場を、フラヴィオは二十分かけて走っていた。
 最初は五十メートルも走れなかったフラヴィオが、今や千メートルも走れるようになったのだ。
 途中歩いてしまいそうになったが、それでも今日は走り切った。

(酷く遅かったが、目標達成だっ。体を動かすことは、なんと清々しい気分になるのだろう……)

 達成感に浸るフラヴィオは、地面に大の字になって寝そべっていた。
 同じ距離を二分で走り切るアキレスには、クレメントが『異常』なのだと教わったが、『格好いい』の間違いだろう、とフラヴィオは思った。

「一周できましたね!!」

「すごい成長速度ですよ!!」

 心からそう思っている声が、フラヴィオの頭上から聞こえて来る。
 自分のことのように、必死な形相で応援してくれる家臣たちの顔を思い出し、なんと幸せ者なのだろうと思うフラヴィオは、茜空を見上げて笑った。

「フラヴィオ様、起き上がれますか?」

「はぁ、はぁ……ああ、ありがとう……」

 差し伸べられた手を取るが、フラヴィオはなかなか立ち上がれなかった。

「すまない……。足に力が入らないみたいだ」

「っ、うぐっ」

 妙な声を出した男――レナートの手は、しっとりと湿っていた。
 緑髪をオールバックにしているレナートは、フラヴィオが神殿にいる頃から世話になっていた者だ。

 軍の中でも五本の指に入る強者であるレナートだが、頬を上気させ、息を乱した色気のあるフラヴィオに秒殺されていた――。

「ぬおおおおおお!! 閣下が羨ましいッ!!」

 膝から崩れ落ちたレナートが、地面に向かって叫んでいる姿をぼうっと見ていたフラヴィオは、どうしたのだろうと首を傾げる。
 周りを見れば、皆が頬を赤らめている。
 夕日の色か、と思うフラヴィオは、自身が今、どんなに魅力的な表情をしているかなど、わかるはずもなかった――。

「今度は、庭園を走りたい……」

「っ、ええ、ええ! 閣下には内緒で、みんなで鬼ごっこでもしますか?」

 フラヴィオの公爵夫人らしからぬ提案だったが、皆は大賛成していた。

 フラヴィオが体力作りに励むのには、訳がある。
 青い花畑を走り回りたい気持ちはもちろんあるのだが、もうひとつ理由があった。
 煩悩にまみれているため、到底人には言えない理由なのだが、応援してくれた者たちに悟られぬよう、フラヴィオは無邪気な笑みを浮かべてみせた。

「ふふっ。その時は、私を鬼役にしないでくれるかな? 誰も捕まえられないだろうから」

「っ……フラヴィオ様になら、何度でも捕まりたいです!!」

「……それだと、レナートがずっと鬼役にならないかな?」

「自分は、フラヴィオ様のためなら死ぬまで鬼でも構いませんっ!!」

 謎な発言をするレナートに、皆が声を上げて笑っている。
 明日は鬼ごっこをしようと話し合う家臣たちは、フラヴィオよりも乗り気だった。


「なにをしている」


 地を這うような声が割り込み、皆が息を呑んだ。
 フラヴィオに触れる者には容赦がない戦場の鬼神が、殺気立っている。
 味方であれば誰よりも頼りになる存在だが、クレメントの怒りを買えば、家臣でもどうなるかわからない。

 本来のクレメントは、冷酷な男なのだ――。

 そのことを思い出した家臣たちは、素早く整列するものの、表情は強張っている。
 後妻を迎えてからのクレメントの態度が、随分と柔らかくなったからと、家臣たちは気を抜いていたのだ。
 クレメントがなんの躊躇もなく敵将の首を刎ねる瞬間を度々見てきた家臣たちは、恐怖で震え上がっていた――。

「申し訳ありません、クレム様……。私が我儘を言って、皆を振り回したのです」

 皆の代表としてフラヴィオが謝罪すれば、殺伐とした空気は一瞬で和らぐ。

「ヴィオの好きに過ごしていいと言ったが、無理はしないでくれ」

 険しい表情のクレメントだが、フラヴィオを抱き上げる手は優しい。
 それでも明らかにご立腹なのだとわかったフラヴィオは、どうしたものかと考え込む。

「体力をつけたい気持ちはわからなくもないが、そんなに焦る必要はないだろう?」

「はい。申し訳ありません」

「……謝ってほしいわけじゃない」

 困ったように眉を下げたクレメントが、前を向いて歩き出す。
 フラヴィオを気遣ってくれているが、クレメントの眉間には皺が寄ったままだった。

「今日の足のマッサージは、入念にしなくてはな。夕飯を食べたらすぐに休もう」

 痛いような視線を感じたクレメントが、ちらりと胸元を見下ろせば、宝石よりも美しい翡翠色の瞳が潤んでいた。
 ずんずんと大股で歩いていた足が止まる。
 
「…………それだと、せっかく体力をつけたのに、意味がない」

「――――…………ッ?!」

 恥ずかしそうに目を伏せた愛妻を、これでもかと凝視するクレメントの脳内では、耳をつんざくような突撃ラッパの音が鳴り響いていた――。

















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