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93 反省する者
しおりを挟む――その後。
メイドたちは、室内で出来る仕事を任されるようになっていた。
椅子に座り、刺繍をするメイドが増えていく。
だが、ベルトランドだけはいつまでもどぶさらいをしていた。
「なんで俺だけ、重労働をしなければならないんだっ!!」
未だに文句を垂れているベルトランドから距離を置く男たちは、黙って食事を用意する。
男性使用人たちは、主に病院での手伝いに駆り出されていた。
今は誰もベルトランドとはつるんでいない。
共に食事をすることもなくなっており、原因はドブ臭いせいだ、と思っているベルトランドだが、実際は違っていた。
「今日さ……。最初は、汚い手で触るな! って怒ってたばあさんに、『いつもありがとねぇ~』って言われたんだ……」
入院患者の世話を任されている男性使用人が、泣きそうな顔で呟く。
最初は嫌々働いていたが、今は違う。
心から反省し、領民のためにできることをしたいと思っていたのだ。
そんな中、感謝の言葉をかけられた時は、胸がほっこりとしていた。
しかし、病院で働く者たちは皆、ある人物を思い出すのだ――。
「っ……フラヴィオ様も、言ってたよな……。俺たちに無視されてんのにっ」
今思い出せば、レオーネ伯爵家でただひとり、フラヴィオだけは使用人に対しても、感謝の言葉を口にしていたのだ――。
皆の脳裏に、少しずつ光を失っていく翡翠色の瞳が思い起こされる。
過去の行いを悔いる者たちは、塩辛いスープを啜っていた――。
◇
――そして一年後。
改心した者たちが、入院患者の入浴や排泄、歩行の介助を手伝っているところに、なんの前触れもなく公爵夫夫が視察に訪れた。
(っ、フラヴィオ様……)
レオーネ伯爵家で雇われていた者たちの間で、緊張が走った。
直接謝罪したいと思うのだが、公爵夫人に声をかけることは許されていないのだ。
室内を見回した翡翠色の瞳が、僅かに見開かれる。
その瞬間を見逃さなかった元使用人たちは、すぐさま頭を下げていた。
フラヴィオは、今も無礼を働いた者たちのことを全員覚えているのだと、皆確信していた――。
過去の過ちを、許してほしいなどと言えるはずがない。
それに、誰も許されるなどと思っていなかった。
戦場の鬼神が目を光らせる中、患者の暇潰しになればと、共にハンカチに刺繍をしていたメイドに、フラヴィオが歩み寄る。
「素敵な刺繍だね。君が教えているの?」
「っ、は、はいっ。で、ですが……褒められるようなものでは……」
フラヴィオに声をかけられ、ぱあっと表情が明るくなったメイドだが、顔を伏せた。
慌てて手の甲を隠したメイドを見つめるフラヴィオは、口元に優しい笑みを浮かべていた。
「奉仕活動をしっかり励んだ賜物だと思うよ」
「っ……」
あまりに優しい言葉が耳に届き、皆はしばし絶句していた。
――どうしても謝りたい。
許してもらえずとも、反省している姿を見てほしい。
皆の想いが一致し、ひとりの男が立ち上がる。
フラヴィオの世話を任され、ベルトランドと共に冷遇していた者だ。
「あ、あのっ!!」
「……無礼者め」
フラヴィオを呼び止めようとした瞬間、頭上から低い声が発せられる。
公爵閣下に見下ろされ、全身が金縛りにあったように動かない。
フラヴィオの肩を抱いた閣下が皆に背を向け、ガクガクと震える元使用人たちは、その場で尻もちをついていた。
無関係の患者たちも怯えている中、フラヴィオが振り返った。
「ああ。そうか、思い出した。レオーネ伯爵家で雇っていた使用人たちか」
透き通るような声が、場の空気を変える。
嫌悪しているようには見えないが、それでも元使用人たちは複雑な心境になっていた。
かつての雇い主が、使用人全員の顔を覚えていないのも無理はない。
だが、赤く色付く唇から発せられた言葉に、元使用人たちは息を呑んだ。
「すまない、すっかり忘れていたよ」
そう言って、フラヴィオはにっこりと笑った。
慈愛に満ちた美しい笑みだった――。
公爵夫夫が去った後。
しばらく静寂に包まれていたが、患者のひとりがぽつりと呟く。
「可哀想にねぇ。でも、あんたも忘れられていた方が、お互いのためにもよかったんじゃないかい?」
己の罪を患者たちに話していた男は、くしゃりと顔を歪めた。
「っ……違うよ、ばあさん。フラヴィオ様は、間違いなく俺たちを覚えていた……。だから、敢えて声をかけてくださったんだ。許す、と、そう仰ってくださったんだ。謝罪することのできない、俺たちのために……」
「…………そうだったのかい。あたしにはわからなかったよ。心の優しいお方だねぇ」
「っ、ああっ。間違いねぇよっ」
その日、元使用人全員が使い物にならなかったが、誰ひとりとして咎められることはなかった――。
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