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しおりを挟む(ないものねだりをしても仕方がない。私は、私に出来ることをしよう)
前向きになるよう、気持ちを切り替えたフラヴィオは、巨大な印刷工場に寄っていた。
重い荷を運ぶ仕事は主に男性だが、仕切っているのは女性が中心だった。
「ここは、閣下が最も力を入れている場所です」
アキレスの説明を聞くフラヴィオは、広い工場内を見回していた。
クレメントは、戦争で夫を亡くした遺族を印刷工場で雇っているそうだ。
命が助かったとしても、怪我を理由に働けなくなる者もいる。
そのため、夫が軍人として働けなくなっても、家族が安心して過ごせるように、職を提供しているとのことだった。
従業員に囲まれるクレメントを眺めるフラヴィオは、ますます好きな気持ちが溢れる。
どんな理由であれ、素敵な伴侶に巡り会えた奇跡に心から感謝していた――。
「閣下ッ! 新作はいつ頃出来上がりますか?!」
「…………今、考えているところだ」
「本当ですか? 今回も、アキレス様に頼んだ方がよろしいのでは……?」
「…………アイツはいつもやりすぎなんだ」
「読者からすると、ちょっとオーバーなくらいがちょうどいいんですって!!」
仏頂面のクレメントに、従業員たちが親しげに話しかけている。
この工場は、フラヴィオの目には愛で溢れているように見えていた。
「彼女たちは、出版物を企画し、書籍としての形になるようまとめる仕事をしています。閣下の本が各地で飛ぶように売れているのは、彼女たちのおかげなのです」
「なるほど。とても魅力的なお仕事ですね?」
「そう言っていただけて、私も嬉しいです。実は閣下の本は、すべて私が執筆しています」
「っ……アキレス様が?」
目を瞬かせたフラヴィオは、驚きを隠せない。
アキレスは軍人としてだけでなく、多彩な才能の持ち主だった。
(だからアキレス様は、クレム様の通訳だと呼ばれているのか)
フラヴィオは納得していたが、勘違いである。
「ええ。閣下から聞いていらっしゃると思いますが、かなり脚色しています」
「…………ッ!」
その言葉を理解するまで、フラヴィオは少しだけ時間がかかっていた。
(脚色しているとは、もしや大恋愛の部分の話だろうか……?)
フラヴィオの反応を見て、頬をひくりと痙攣させたアキレスの口から『……あのヘタレがッ』と忌々しげな声が聞こえた気がしたが、きっとフラヴィオの気のせいだろう。
戦場の鬼神がクレメントだと知らなかった時のフラヴィオは、前妻に一途なところを好ましく思っていた。
母を蔑ろにし、愛人宅に入り浸っていたフィリッポを見ていたからだ。
しかし今となっては、もしクレメントと前妻が大恋愛でなければ、それはそれで少しだけ希望が見えた気がした。
(もしかしたら、私にもチャンスがあるかもしれない……。だなんて考えてしまうとは。いくらクレム様をお慕いしているからと、最低だな。私は……)
溜息を飲み込んだフラヴィオは、自己嫌悪に陥っていた。
「閣下はご自身のことをあまり話したがりませんが、書籍に関しては認めてくださっています。それもすべて、利益はご遺族や領民のために使用しているからです」
「……そうなんですね」
とても素晴らしいことだと思う。
しかし浅はかなことを考えてしまう自分に呆れ果てていたフラヴィオは、落ち込んだ声で返答してしまっていた。
フラヴィオの僅かな変化にすぐに気付いたアキレスが、端正な顔を寄せる。
「フラヴィオ様。なにか悩みがあるのでしたら、私に教えていただけないでしょうか? 私はフラヴィオ様に、いつも笑顔でいて欲しいのです」
内密にすると話してくれたアキレスは、真剣そのものだ。
少し躊躇したものの、フラヴィオは不安に思っていることを口にしていた。
「もしかしてクレム様は、寝ていらっしゃらないのかな、と……」
「どうしてそう思われるのですか?」
「寝ている姿を見たことがないのです。一度も」
顎に手を添えたアキレスが、怪訝な顔をする。
青い瞳がすっと細められ、どこか恐ろしい雰囲気である。
「でしたら、今夜はこう言ってみてください。『ひとりでは寒いです』と……」
「っ、それは、どういう……」
「服の裾を引っ張りながら言うんですよ? もしそれが無理なら、ストレートに言う案もありますが」
「うっ……」
くすくすと笑っているアキレスは、フラヴィオを揶揄って楽しんでいる。
わかってはいるのだが、クレメントと添い寝をする想像をしてしまったフラヴィオは、ほんのりと頬が赤らんでいた。
漆黒色の瞳には、最愛の人が、自身の右腕に見惚れているように見えていたことなど、今のフラヴィオが気付けるはずもなかった――。
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