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72 ミランダ

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「ミランダ~~~~ッ!!!!」

「っ、ヒィィィッ!!」

 巨漢にのしかかられて、頬を打たれる。
 フィリッポの気が済むまで繰り返され、ミランダは初めて本気で涙していた。
 便利な夫だと思っていたが、愛はあったのだ。

「ふたり仲良く、のたれ死ねッ!!」

「っ、や、やめて……それだけはっ――……いやああああああ~~~~ッ!!!!」

 怒り狂う夫の手によって、ミランダは額に焼印を押しつけられていた。


 ドレスを脱がされ、装飾品も全て没収されたミランダは、無様な姿で転がっていた――。


 ベルトランドに助けを求めたが、この世の終わりのような顔でへたりこんでいる。
 ミランダを見る目に、もう熱はなかった。
 ベルトランドにとって、ミランダは伯爵夫人でなければ価値はないのだ。

(全部、ベルトのためだったのにッ!! フィリだけを愛していれば……)

 後悔の念に駆られ、意識が朦朧とするミランダの前に影が出来る。

「ア、キ、レス、さ、ま……」

「安心してください。痛み止めのお薬は用意してあげますからね?」

 優しく起こしてくれたアキレスを、ミランダは恍惚とした表情で見上げた。

「さあ、今日から新しい生活が始まりますよ」

 今まで存在を無視されていたというのに、アキレスが薬と冷たい水を飲ませてくれる。

(同情でもなんでもいいわっ。本物の王子様が、私を迎えに来てくれたのね……)

 うっとりとしていたミランダだが、にこにこしているアキレスに、下腹を摘まれていた。

「少し太り過ぎですので、ダイエットから始めましょうか。とてもヘルシーなを用意して差し上げます」

「っ、」

 にこりと笑って去っていくアキレスだが、目は一切笑っていなかった。
 恐怖でミランダの全身に鳥肌が立つ。

(私の所業を、全部、わかっているのね……。こんなことなら、戦場の鬼神にスパッと首を刎ねられていた方がマシだったわっ)

 こんな時に限って、意識がしっかりしているミランダは絶望していた。

 今後毎日、フラヴィオに飲ませていた薬とスープを支給される予定のミランダは、目がくらみそうなほどの空腹と戦う日々が待っている――。



 騒ぎが収まったところで、フラヴィオが馬車から降りて来る。
 無様なミランダを見て嘲笑うのかと思えば、ショックを受けたような表情で立ち尽くしていた。

「っ……ミランダ、様……」

 少し震えた声が、ミランダの耳に届く。
 この時、ミランダは初めて憎き女の息子、フラヴィオに名を呼ばれていた。

(っ、なんなのよ。本当に腹が立つ男ねッ!)

 悔しくて涙が溢れる。
 フィリッポもミゲルもベルトランドも、領民たちも、この場にいる誰もがミランダを可哀想だとは思っていない。
 ざまあみろと顔に書いてあるというのに、フラヴィオだけがミランダに駆け寄ろうとしていたのだ――。

 公爵家の人間全員に阻止されていたが、フィリッポがしたことだと説明を受けるフラヴィオは、終始困惑しているようだった。
 それでも最後まで話を聞いたフラヴィオは、無理やり嫁がされた夫を見上げる。

「クレム様、神官を呼んでもらえないでしょうか」

 長い金色の髪が風に靡き、遠くからでも美しい翡翠色の瞳が、真っ直ぐに戦場の鬼神に向けられている。
 フラヴィオの凛とした姿に、ミランダは目を奪われていた。

「お願いします」

「っ、」

 誰よりも憎んでいるはずのミランダのために、フラヴィオが低く頭を下げたのだ――。

(っ……あの日のミゲルも、こんな気持ちだったのね……)


 フラヴィオのことは一生好きにはなれないと思っていたミランダは、なぜフローラに似ているというだけで嫌悪してきたのだろうと、初めて己の振る舞いを恥じていた――。


「あっ! フローラ様に似てるんだッ!」

 誰かが声を上げれば、今まで黙って見ていた領民たちがざわつき始める。

「っ、確かにそうだッ!」

「低姿勢なお姿もそっくりだ。……ということは、あのお方はフラヴィオ様かっ!?!?」

「え゛!? 嘘だろ、フラヴィオさま……?」

 信じられないとばかりに、領民たちに顔を凝視されるフラヴィオ。
 少しだけ困った顔をしていたが、「お騒がせして申し訳ありません」と、領民に謝罪していた。
 そんなフラヴィオに寄り添う公爵閣下が皆を見回し、場が静まり返る。

「私がレオーネ領のために奔走していたのは、私の伴侶であるフラヴィオの願いだからだ」

「「「っ……」」」

 よく通る声が、何百人といる全員の耳に届く。

「フラヴィオの母、フローラのように動けるかはわからないが。領民が住みやすい場所にするため、最善を尽くしたいと思っている。……ヴィオと共に」

 後妻の肩を抱いた公爵閣下が、ニッと笑った。

「これから、よろしく頼む」

 不敵な笑みだったが、大歓声が沸き起こる。


 不幸になってほしいと望んでいた青年の、花が咲くように笑った顔を初めて見たミランダは、誰からも愛されているフラヴィオを眺め、安心して目を伏せていた――。











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