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しおりを挟むレオーネ伯爵夫妻が、一週間前には神殿に到着していたものの、治療中のフラヴィオとは顔を合わせることはなかった。
「素敵な馬車ね? フィリ」
「ああ、馬車のグレードが違うな! 私たちも、この馬車だろう? フラヴィオとは家族なんだ!」
「ええ、そうねッ! それに、フラヴィオとお話ししたいこともあるし……」
嫁入り前にフラヴィオと話したいと、白々しく告げたふたりが我先にと馬車に乗り込む。
ジラルディ公爵家の立派な馬車に乗りたいだけのふたりである。
厚かましいふたりの姿を目にしたフラヴィオは、恥ずかしくてたまらなかった。
「フラヴィオ様。最後に家族と話しますか?」
笑顔のアキレスに問いかけられる。
もしここでフラヴィオがノーだと答えれば、今すぐに叩き出してくれそうな雰囲気だった。
だが、フラヴィオは首を縦に振る。
アキレスの『最後に』と告げた言葉は、フラヴィオが家族との永遠の別れなのだと、なんとなく察したからだ。
ジラルディ公爵邸に着けば、飼い殺しにされると思っているフラヴィオは、アキレスの言葉を正しく理解していなかったものの、家族との別れの場を設けてもらっていた――。
「いいですか? ミゲル・レオーネ。お兄様をお守りする時間です」
両親の姿など目に入っていないミゲルの肩に、アキレスがそっと手を乗せた。
「っ……はい、わかっています」
「本当でしょうか? ヴィオ様は後妻として迎えられますが、ただの公爵夫人ではありません。ディーオ王国の英雄の妻となるお方です。そんなヴィオ様になにかあったときは、どうなるかわかっているでしょうね?」
すんと表情を無くしたアキレスの前で、急にミゲルが膝をついた。
特になにかをされたわけではない。
学園の剣術大会で優勝したものの、ミゲルはマルティンにすら勝てないのだ。
そんなミゲルが、細身ではあるが、戦場の鬼神と共に生きるか死ぬかの戦場で戦い続けていた男と、対等に話せるはずもなかった――。
絶対零度の青い瞳に見下ろされるミゲルは、フラヴィオはこの世で最も恐ろしい地に嫁ぐことになるのだと、ようやく理解することとなっていた。
「返事は?」
「っ…………は、い」
声が小さい。
本気で守るつもりがあるのか。
容赦なく責められ続けたミゲルは、半泣きになってフラヴィオに助けを求める。
だがフラヴィオは、大事な異母弟を気にかけることはなく、神殿の入り口をじっと見ていた。
馬車に乗り込む最後のその時まで、フラヴィオはクレムの姿を探し続けていたのだ――。
「私は馬で並走しますので、なにかあればすぐに声を上げてください。どんなに小さな声でも聞き逃しません。私は遠耳が利きますので……」
頼もしい言葉をかけてくれたアキレスにエスコートされたフラヴィオは、馬車に乗り込む。
すえた臭いが充満しており、フラヴィオは思わずハンカチで口元を覆っていた。
出逢った当初、クレムに貰ったハンカチだ。
既にフラヴィオの香りしかしないものの、気分は落ち着いていた。
「なんだ。まだ具合が悪いのか? ひ弱な奴め。母親にそっくりだ」
「っ、父様! 兄様を傷付けるようなら、馬車をおりてください。アキレス様や神官長にも言われたばかりですよね?!」
フラヴィオを気遣うように隣に座ったミゲルが、怒鳴り声を上げる。
かつてないほど父親に反抗するミゲルに、フラヴィオは心底驚いていた。
「そうよ! いくらフィリに悪気がないとはいえ、フラヴィオが可哀想だわっ!?」
なぜかミランダもフラヴィオを庇うような発言をし、フィリッポはひとり狼狽える。
「なっ!! 私は別にっ。思ったことを、そのまま口にしただけなのだが……」
「それがいけないと言っているんです! もう少し考えてから喋ってください! 命が惜しくないのですか!?!?」
ジラルディ公爵閣下の前では口を開くなと、ミゲルに睨まれるフィリッポ。
納得していない顔をしているフィリッポだが、何度も頷いていた。
いつもの穏やかなミゲルからは考えられないほど鬼気迫るものがあったのだ。
ミゲルがピリピリとした空気を放ったまま、馬車が出発する。
暫くして、歓声が聞こえて来た。
「おおッ!! さすがは閣下だな。王族になった気分だ!!」
馬車のカーテンを開けたフィリッポがくわっと目を見開き、興奮状態になる。
ジラルディ公爵邸に続く街道には、大勢の人が詰めかけており、大きく手を振っていたのだ。
「まあッ! ジラルディ公爵領の民ね? 大歓迎じゃないのッ!!」
英雄気取りのふたりが、まんざらでもない顔で手を振り返す。
ぽかんと口を開けているミゲルと、同じような表情で顔を見合わせたフラヴィオは、なぜ歓迎されているのか理解できなかった――。
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