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 ――翌朝。
 フラヴィオのもとを訪れたのは、ピエールだけだった。
 クレムは所用のため、出かけているそうだ。
 夕方に会いに来てくれるが、面会終了時間ギリギリになるかもしれないと話を聞いたフラヴィオは、ピエールと共に庭に向かうことにした。

 桃を切ってくれたピエールは、クレムと同じく慣れた手付きだ。
 ずっしりと重そうな桃から甘い芳香が放たれ、瑞々しくてとても美味しそうだった。

(でも……。今まで、当たり前のように隣にいてくれたクレム様がいないだけで、まったく食欲が湧かない……)

「ピエール様も食べてくださいね」

「え、俺もいいんですか?」

「はい。ひとりで食べるより、きっと美味しいと思います」

 いつもは仕事中だからと食事を共にしたことがなかったピエールだが、今日はクレムが不在のため、「じゃあ、遠慮なく」と桃を口にする。
 濃い紫色の瞳が見開かれ、とろんと目尻が垂れ下がる。
 なんとも美味しそうに食べるものだから、フラヴィオは見ているだけでお腹がいっぱいになっていた。

「クレム様は、偉いお方なんですよね……?」

「ええ。今は、クレム様にしかできない仕事をこなしているところなんです」

「そうですか……」

 想定内の返事だったが、フラヴィオは気落ちしていた。
 互いに個人的なことはあまり話さない。
 それはきっと、クレムがフラヴィオの方から話すのを待ってくれているのだと思う。
 クレム本人に聞けないことを、ピエールに聞いてしまったフラヴィオは、後ろめたさを感じていた。

「会いたいですか?」

「っ……」

 ただ普通に聞かれただけだというのに、フラヴィオは言葉に詰まる。

(会いたいに決まっている。誰よりも……)

 心の中で呟くフラヴィオは、ハッとしていた。
 長年、フラヴィオが一番会いたいと願っていた人物はミゲルだった。
 それが今では、クレムのことで頭がいっぱいになっていたのだ。

 クレムに対して、特別な感情を抱いていることは明白だったが、フラヴィオは気付かないふりをする――。

「今までお忙しい中、朝夕と足を運んでくださり、心から感謝しています」

 そう言って微笑むが、ピエールは困ったように笑っていた。
 気持ちを見透かされているように感じるフラヴィオは、じわりと頬が熱くなる。
 桃はフラヴィオの好物であるというのに、一切れ食べるのがやっとだった。

「クレム様は、最近まで花には興味がありませんでした」

「…………え?」

 クレムは神殿騎士の中でも、間違いなくトップクラスに花に詳しい。
 歩く植物図鑑ではないか、とフラヴィオが思ったほどの知識がある。
 本当にクレムの話なのだろうかと、フラヴィオは目を瞬かせた。

「自らの手で果物を切ったこともありません。負傷者を担ぐことはあっても、お姫様抱っこなんてしたことがありません。他人の歩幅に合わせて歩くこともありません」

「っ、」

「あと、謝罪したこともありません。……あ、今のは悪口じゃないですよ? クレム様には、内緒にしてもらえると助かります」

 呆然とするフラヴィオを気遣ってか、ピエールが茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。

「それから、朝に弱いです。でも、ここ一ヶ月は早起きしているみたいですよ?」

 それ以上は言われずともわかった。
 すべて、フラヴィオのためなのだと……。

 嬉しくて仕方がないのに、どうしようもなく胸が苦しい。
 フラヴィオは、クレムの一回りは歳下だ。
 きっと親子ほどの歳の差があるため、フラヴィオのことは子供のようにしか見えていないだろう。

(もし年齢差を気にしなかったとしても、あのお方がレオーネ伯爵夫人となる未来が、まったく想像できない……)

 当主になるつもりのフラヴィオは、自身の想いは決して届くことはないだろうと諦めていた。
 少しだけ泣きそうになったが、今は自分の気持ちを偽りたくない。

「クレム様に……会いたい、です」

 ようやく素直になったフラヴィオに、ピエールは白い歯を見せて笑った。

「ヴィオ嬢が望むのであれば、ずっと一緒にいられると思いますよ」

 素敵な未来だと思うが、フラヴィオはなにも言わずに微笑を湛えた。

(今は患者と神殿騎士という関係だが、恋人にはなれずとも、友人として側にいることはできるだろうか……)


 結局、就寝前にクレムが会いに来てくれたが、フラヴィオは寝たふりをしてしまった。


 クレムが特別な存在だと自覚してから、どうも目を見て話すことができない。
 だからクレムがいる時は、フラヴィオはキャシーから届いた恋愛小説を読んで過ごしていた。

 本人が隣にいることにも気付かずに、フラヴィオは戦場の鬼神がモデルとなっている物語を、何度も何度も繰り返し読んでいた――。


















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