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しおりを挟む秋めいて明るく澄んだ空の下。
大男が懐から取り出した折り畳みナイフが、キラリと光る。
熊のように大きな手に握られているからか、フラヴィオの目には、果物ナイフが子供のおもちゃのように見えていた――。
治療を始めて一週間。
体調は少しずつよくなっているにもかかわらず、フラヴィオは食欲不振だった。
食事に毒など入っていないとわかっている。
それでも、また具合が悪くなってしまうのではないか、という恐怖から来るものだった。
そのことを知るはずのないクレムが、食事は庭で食べようと提案し、今はするすると林檎の皮を剥いている。
「とてもお上手なんですね」
「……まあ、毎日扱っているからな」
フラヴィオを横目で見ながら答えたクレムだが、手は動き続けている。
迷いのない、慣れた手付きだ。
昨日は兎の形で、今日は木の葉の形。
食べるのが勿体ないと思うほどの芸術品だった。
「凄い……」
あっという間に完成した林檎を、フラヴィオは自然と手に取っていた。
きっと療養所で過ごす家族のために、やり方を覚えたのだろう。
クレムという男はなんと努力家なのだと、フラヴィオは胸を打たれていた。
(大切な人のためなら、自分に出来ることはなんでもする人なのだろう……)
クレムの内面を知る度に、フラヴィオは尊敬する気持ちが増していく。
「明日は、薔薇にしようか」
「っ、他にも出来るんですか?」
「……ヴィオの望みであれば」
なにやらぼそりと告げたクレムは、自分用の林檎も切るが、形はおざなりだ。
フラヴィオには特別に、目でも楽しめるように工夫してくれていたことがわかる。
その心遣いが嬉しいと思うフラヴィオは、用意してくれた林檎を完食していた。
他者が見れば、苛々するかもしれないと思うほどゆっくりだったが、クレムは急かすことなくじっと待っていてくれた。
「……少し、寝るか?」
「いえ……。今はお話ししたいです」
もこもことした触り心地の良い膝掛けを手にするクレムが、そうか、とだけ答える。
もしここでフラヴィオがイエスと答えたら、膝掛けでそっと包まれる。
赤子のように抱っこされ、クレムはゆりかごになってくれるのだ。
気を遣うフラヴィオは、少しだけがっかりしたようなクレムから膝掛けを受け取った。
(……もっと強引に誘ってくれたらいいのに……。って、なにを考えているんだ、私はっ)
療養中の身だからこそ、クレムはフラヴィオに優しく接してくれているのだ。
それなのに、なんと浅ましい人間なのだと、フラヴィオは己を恥じる。
本心では、クレムに抱っこしてほしい。
だが、母親を早くに亡くし、父親と関わりがなかったフラヴィオは、甘え方を知らなかった――。
「眠るまで、お話しすることもできますよ?」
「っ、」
今まで空気になっていた男の優しい声が届く。
背後から声をかけてくれたのは、クレムがフラヴィオの話し相手にと連れて来てくれた神殿騎士だ。
サイドが短く、角ばった髪型が特徴的なピエールが、ニカッと笑う。
微笑み返したフラヴィオだが、クレムになんと言ったらいいのだろうと考え込んでいた。
膝掛けを握りしめて、もじもじしているフラヴィオを眺めるふたりの男が、真顔で悶絶していることも知らずに――。
「クレム様……。やっぱり、少しだけ……眠い、かもしれません」
「っ…………ぐっ」
遠回しにではあるものの、願望を口にしてしまったフラヴィオが、自ら膝掛けに包まった瞬間――。
掻っ攫われるように抱き上げられていた。
「かっ……クレム様ッ!! もっと優しくッ!! ヴィオ嬢が窒息してしまいますッ!!」
「っ、あ、ああ……。大丈夫か? すまない」
「っ……謝った!?!?」
バクバクと激しく心臓の音が鳴っている中、クレムがピエールに怒られている。
そしてクレムが素直に謝罪したというのに、ピエールはいつも驚くのだ。
そんなおかしな会話が面白くて、フラヴィオはあたたかな腕の中でこっそりと笑っていた。
朝夕と、必ずフラヴィオの顔を見に来てくれるクレムは、フラヴィオのことを詮索しない。
観察眼が鋭いクレムのことだ。
もしかしたら、既にフラヴィオが男だとわかっているのかもしれない。
目を伏せていれば、フラヴィオが眠ったと思ったのか、クレムはそっと髪を撫でてくれる。
どこかぎこちない手付きなのだが、心地よい。
結局、すぐに眠りに落ちたフラヴィオは、ふかふかな寝台よりも、安心できる場所を見つけていた。
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