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しおりを挟むクレムの指示で、特別室に案内されたフラヴィオは、今までにないほど丁重に扱われていた。
新鮮な果物も用意してくれ、フラヴィオが呼べばすぐに神官が飛んでくる。
まさに至れり尽くせりだ、と思っていたフラヴィオだが、貴族にとっては当たり前のことだった。
「この療養所では様々な規則がありますが、全ては患者の平穏な日常を守るためのものです。あなたが面会したくなければ、ご家族であっても足を踏み入れることはありませんので、ご安心ください」
柔らかな表情で説明してくれたのは、フラヴィオの治療を担当してくれる神官長だ。
神官の中でも、最も優れた実力者――マヌエルは、親しみやすい方だった。
神殿に隣接する療養所では、病を患っている者だけでなく、家庭内暴力などで心に傷を負った者も保護しているそうだ。
だから家族であっても、患者の許可なく面会することはできない規則になっている。
レオーネ伯爵夫妻が押しかけてくることがないとわかり、フラヴィオは心から安堵する。
「では、シャーリー様と、クレム様。サヴィーニ子爵家の方々とはお会いしたいと思っております」
「畏まりました。でしたら……クレム様の通訳のアキレス様も追加しておきましょうか」
「……通訳?」
(言葉が通じるのだから、通訳は必要ないのだが……)
戦場の鬼神が、自ら話しかけることなど滅多にないことを知らないフラヴィオは、頭の中で疑問符が乱舞していた。
そして治療を受けることになり、フラヴィオは毒を摂取していた可能性があることを話した。
加えて男性だと告げると、マヌエルは驚くというより、納得したように頷く。
「なるほど、そうでしたか。だから……」
「……なにかありましたか?」
「いえ。ですが、ひとつ危惧していた問題が、解決しそうです」
咳払いをしたマヌエルが、微笑を浮かべる。
「毒の影響で、万が一、生殖機能が低下していた場合の話ですが。あなたの体調が回復した後に、祝福の儀を受けることも可能ですよ」
「っ…………」
安堵するマヌエルだが、フラヴィオは絶句していた。
祝福の儀は、同姓で婚姻する際に行う儀式だ。
嫁ぐ側の人間が、子宮を授かる。
体内に新たな器官を授かることになるため、仮にフラヴィオの生殖機能が低下していたとしても、子孫を残せる可能性が高い。
「ですから悲観することはありません。ゆっくりと治療していきましょう」
「…………はい」
なにか事情を抱えた人物としか知らされていないマヌエルは、フラヴィオのためを思って話してくれたのだろう。
だが、嫡男であるフラヴィオの場合は、祝福の儀を受ければ、当主の権利を放棄したとみなされる。
あまり喜ばしいことではなかった――。
治療を終えたフラヴィオは、湯浴みを済ませて清潔な病衣に着替える。
なかなか寝付けず、カーテンを開ければ、月の光が差し込んだ。
(それでも、良いこともあった。きっと私の病は、治る……)
マヌエルが祈りを捧げると、いつも冷えていたフラヴィオの体が、じんわりと温かくなったのだ。
神の力を借りているそうだが、とても不思議な感覚だった。
(ミランダの思い通りになんてさせない。最悪の場合は、誰にも知らせず……養子を迎えたら良い)
すぐにそう判断したが、フラヴィオの伴侶となる者に失礼ではないだろうか。
フラヴィオは良くても、嫁いで来てくれる相手が子を欲していたら……?
貴族の義務とも言えることだからこそ、真面目なフラヴィオを悩ませる問題でもあった。
◇
結局、あまり眠れなかったフラヴィオのもとへ、クレムが顔を出した。
開口一番に、朝早くにすまないと謝罪されたが、出勤前に会いに来てくれたようだ。
(こちらから出向こうと思っていたのに、クレム様の方から会いに来てくれた……)
とても嬉しく思うのに、フラヴィオは寝不足だったせいもあり、しょげた空気を漂わせていた。
「散歩に行くか」
「はいっ」
笑顔で答えたフラヴィオだったが、クレムの漆黒色の瞳は、全てを見透かしているように見えた。
ドキリとするような切れ長の目だ。
捕まるようにと腕を差し出してくれ、フラヴィオはそっと太い腕に手を添える。
おそらくクレムは、フラヴィオよりもフィリッポと年齢が近いだろう。
比べるまでもないが、観察眼が鋭い。
庭を案内してくれるクレムは、フラヴィオが眠れなかったことに気付いているようだった。
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