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1巻

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  《アダムとアデルの父、ダリルside》


 ――なんだ、この違和感の正体は……
 小さく背を丸めて去っていくアダムの後ろ姿は、まるで捨てられた子犬のようだ。
 その悲壮感ひそうかんただよう姿を見ているだけで、こちらが悪いことをしてしまった気分になる。

(政略結婚から逃げようとする愚か者は、アダムだというのに――)

 たまらずうなり声を上げ、先程のアダムの姿を思い出した。

「髪を短くしただけで、あんなにも雰囲気が変わるものなのか……?」

 私を『父様』と聞いたこともない呼び方で呼んでいたし、私が落とした書類を拾っていた。
 しょんぼりとした姿で……
 まるで、私に怒られてショックを受けたような反応だった。
 ガサツでせっかちなアダムからは、到底信じられない行動である。
 普段ならば、話の半分も聞かずに高圧的な態度で私をにらみつけていただろう。

「そういえば記憶喪失だとか、訳のわからんことを言っていたな? 泣きそうな素振りまで見せて……」

 珍しく一切の言い訳をせず、息子の瞳は心なしか潤んでいた。
 アダムが泣き声を上げたのは、生まれた時くらいだろう。
 そんなアダムが私に叱られた程度で涙を流すだなんて、たとえ天地がひっくり返ってもありえない。

みょうな胸騒ぎがする。……いや、きっと気のせいだ。もう、アダムのことを考えるのはよそう」

 アダムは自分の意思を押し通そうとする気持ちが強すぎて、父親の私でも制御できない。
 そのため、アダムと口論になることもしばしばで、最近では私の仕事に遅れが生じている。

(本来なら私の補佐として、アダムも執務をこなしていなければならない時期だというのに……)

 重い息を吐き、綺麗に整えられた書類から目を逸らした――


 監視の目をくぐり抜け、辺境の地まで逃亡していた息子をなんとか連れ戻し、結婚式まで謹慎処分を命じてから三日目のことだった。

「アダムが部屋から出てこない、だと……!?」

 執事からの信じられない報告に、私は思わず仕事の手を止めた。
 アダムにとっては、謹慎処分などあってないようなものである。
 ずいぶんとヤンチャに育ってしまった息子の不可解な行動に私は頭が痛くなった。

「はい。私がアダム様の様子をうかがった際は、寝室でお休みになられていました」

 フレディは父の代から勤めてくれている執事で、片眼鏡の似合う有能な男だ。
 しかし、ここ数年のうちに頭髪が薄くなってきていた。
 フレディの毛根の細胞はおそらく死んでいる。
 間違いなく、アダムが原因だろう。
 フレディの頭頂部を見るたびに非常に申し訳なくなる。
 だが、私にもどうすることもできないのが現状だ。

「今度は一体、何を企んでいるんだ……」

 幼少期からじっとしていられない男が、三日間も部屋にこもっているのだ。
 またよからぬことを考えているに違いない。
 私はため息をこぼさずにはいられなかった。

「今回は、アダム様もきちんと反省していらっしゃるのかもしれません」
「アイツの辞書に、『反省』という文字はない」

 フレディの戯言をバッサリと切り捨てる。
 ロックハート公爵家の次男との婚約が決まってから、今日までの十年間。
 一体、何度逃亡を図ったか。
 ここ最近は落ち着いたように見えたが、今回は国境付近のコックス領まで逃げていたのだ。
 結婚式まで半年を切っているというのに往生際が悪すぎる。
 どうしたものかと頭を抱える私をよそに、フレディが予想外の報告を続けた。

「ですがお食事も、ここ三日はパンをひとつと野菜とフルーツしか、召し上がっていません」
「っ……あの、大食い肉食獣のようなアダムが、か……!?」

 どこか嬉しそうに報告するフレディだが、私はめまいがした。
 ヴィンセントという身分も人柄も素晴らしい婚約者がいるというのに、アダムはメイドに熱を上げ、慕う相手の理想のたくましい男になるのだと躍起やっきになっていた。
 朝から晩まで、肉、肉、肉。
 良質な肉を摂取せっしゅしたいと、他国でも自ら狩りに行くような無鉄砲な男だった。

「使用人の間では、アダム様が何か重篤じゅうとくな病にかかっていらっしゃるのではと、心配する声が上がっております」
「…………」

 謹慎処分を命じられ、その通りに部屋にいるだけだというのに病だと思われている。
 なんとも哀れな我が息子だ。
 しかし、私も使用人たちと同じ気持ちである。

「それからお食事の際は、毛布を頭から被ったままでお顔も出されないそうです。ひとりにしてほしいと……。ただ――」
「なんだ?」

 何やらもったいぶるフレディが、珍しくにんまりと笑った。

「使用人に対して『ありがとう』と、必ずお言葉をくださるそうです」
「――……そうか。一週間経っても今の様子なら医者を呼べ」

 私は反射的にそう告げていた。
 手のつけられない暴れん坊だったアダムが大人しすぎる上に、置き物くらいにしか思っていない使用人に対して感謝の言葉をかけただと……?
 これは、本格的におかしくなったに違いない。

「……いや。もしくは、こちらを油断させるために演技をしている可能性もある。警戒を怠るな」

 絶対に騙されるものか。
 今までのアダムの愚行を思い出し、気を引き締めた。
 しかし、それから一週間、厳重な警備体制を敷く私たちをあざ笑うかのように、アダムが部屋から出てくることはなかった――


『今日の朝食も美味しかった、って料理長に伝えてほしいって! 空耳かと思って、私、アダム様に聞き返しちゃった!』
『しかも、朝だって私たちより早く起きていらっしゃるのっ! もうびっくりしちゃって……』
『それに、面倒臭がりやのアダム様が、ひとりで入浴されているのよ!? 信じられる?』
『そうそう、それにね! 服も脱ぎ散らかしていないし、ベッドで間食もしていないのっ!』
『あんなにだらしなかったのに……。今は、なんだか上品な雰囲気なのよねぇ』

 普段は真面目な使用人たちが、アダムの話で持ちきりである。
 急に息子が大人しくなったため、使用人たちは手持ち無沙汰になったのだ。
 変化に戸惑う者が大半だったが、喜びの声も上がりつつあった。
 アダムが大人しく自室で謹慎している間、平和が訪れたはずのグランデ侯爵邸はある意味、大騒ぎになっていた――


   ◇ ◇ ◇


 謹慎を命じられて三日目。
 旅の疲れもあり、僕は自室――アダムの部屋で静養していた。

「お父様に、いきなり謹慎処分を下されるなんて辛すぎる……。でも、部屋にこもっていれば、僕がニセモノだって誰にもバレない。……逆によかったのかも」

 ふかふかの寝台で独りごちる。
 悲しんでいても状況が変わることはないし、僕は前向きに考えることにした。
 アダムの自室は汚さないように気を張ってしまう、なんともきらびやかな部屋だった。
 部屋の一角には表彰状やトロフィーが飾られており、アダムが活躍してきたあかしがある。
 アダムが幼い頃から努力し続けてきたことが、一目でわかった。
 ――双子の弟としてとても誇らしいのに、アダムとの差を感じて胸が苦しくなってしまう。

「……なんだか熱っぽいし、今はお化粧をする元気もないや。もう少しだけ休ませてもらおう」

 どうしてか朝から用意されていた五人分ほどの豪勢な肉料理を丁重にお断りし、新鮮なサラダとフルーツ、ロールパンひとつを平らげて体力回復に努める。
 だが、長旅の疲れが出たのかもしれない。
 微熱が続いていた。
 そして僕がつい、いつものようにゆっくりと過ごしていると、お父様に不審に思われたのか、とうとう医者を呼ばれてしまった。


 アダムになりきってから、早一週間。
 自室でアダムの服の裾直しをして過ごしていただけなのに、使用人たちに囲まれてしまい、人生最大のピンチにおちいっていた――

「アダム様。さあ、服を脱いでください」
「っ…………」

 グランデ侯爵家のお抱えの初老の医師――ルッソ先生が笑顔で告げた言葉に、僕は冷や汗が止まらなかった。

(今はすっかり元気になって熱もないのに、どうしてお医者様が来ちゃうのぉ~~!?)

 笑顔で出迎えたけど、本心では泣きたい気分だ。
 寝込んでいた僕を心配して、誰かが医師を手配してくれたのだろう。
 僕の背後には普段、僕のお世話をしてくれるメイド十名が勢揃いしている。
 加えて、どうしてかコック姿の男性までいるけれど、今は触れないでおこう。

「アダム様? どうされたのです?」
「っ、ああ、えっと……」

 しどろもどろになってしまう僕は、ルッソ先生の善意に追い詰められる。
 今診察されてしまえば、僕がアダムと入れ替わっていると露見してしまう。
 ルッソ先生は、幼い頃からアダムを診ていた医師らしく、裸を見られたら終わりだ。
 そうなれば今度こそ僕は始末されるだろうし、何よりアダムにも迷惑がかかってしまう。

(っ、それだけは、絶対にダメだっ!)

 動揺をさとられないよう、僕は胸を張った。

「僕は元気ですよ? 診察してもらう必要はありません」
「…………」

 丁重にお断りしてみたものの、ルッソ先生は席を立たなかった。
 細く垂れ下がった緑色の瞳が、じーっと僕の顔を見ている。

(地球外生命体を見るような目を向けられている気がするのは、僕の気のせいかな……?)
「あの、ルッソ先生?」
「なっ!? ……せ、セン、セイ……?」

 名前を呼んだだけなのに、ルッソ先生は大袈裟なくらいに飛び跳ねる。
 目玉が今にも飛び出しそうに見開いた。

「わざわざ来てもらったのに申し訳ないのですが、診察は不要です。僕、それよりもやらなければならないことが……」
「っ……で、ですが、アダム様は最近まで寝込んでいたとうかがっております。今は元気でも、診察させていただけないでしょうか?」
「……うっ」

 とても穏やかな顔立ちのルッソ先生だけど、引く気はないようだった。

(これはおそらく、当主命令だ……)

 ルッソ先生の態度から、僕は察した。
 侯爵子息がノーと言っているのに、これだけねばるのだ。
 単純にアダムが心配なのかもしれないけれど、ルッソ先生も医師としての役目を果たさなければならないのだろう。
 頭を悩ませる僕は、室内にいる使用人たちをゆっくりと見回す。
 僕を心配しているのか、いつのまにかジュードも駆けつけてくれていた。
 無言で部屋の隅に立っているけれど、『きちんと診てもらえ』と緋色の瞳が訴えている気がする。

(なんで僕はこんなに体が弱いんだろう……。ジュードは風邪を引いたことがなさそうなくらい、元気でたくましい体……。あっ!)

 そして、健康体なジュードを眺めていた僕は、妙案を思いついた。
 どうしてか、前のめりになっているルッソ先生に向き直った僕は、にっこりと微笑んだ。

「でしたら、僕より、僕のお世話をしてくれている使用人たちを診ていただけますか?」
「「「えっ!?」」」

 今まで置き物のように身動きせず、僕たちの動向を見守っていた使用人たちが、揃って声を上げる。
 かなり驚いているようだ。
 ジュードに至っては頭がおかしくなったのか、と言わんばかりの表情だった。
 そして、どうしてか命の危機である僕よりも動揺しているルッソ先生が、何度も額の汗を拭い、ようやく口を開いた。

「っ、ですが、皆はこの通りピンピンしております。診察する必要はないかと――」

 すぐさま首を横に振った僕は失礼かもしれないけれど、ルッソ先生の言葉をさえぎる。
 そして、満面の笑みを浮かべた。

「だって、先生が仰ったんですよ? って」
「「「っ……」」」
「その言葉は、僕だけじゃなく、他の人にも当てはまりますよね? ですから、僕のお世話をしてくれている方々を診ていただきたいです」

 背後からは「アダム様っ」と、僕の名を呼ぶ声が聞こえてきたけれど、ルッソ先生の口はぴたりと閉ざされていた。
 そしてとうとう諦めてくれたのか、ルッソ先生が立ち上がる。
 退出しようとする背を眺める僕は、ようやく安堵のため息をついた。

「――……これは、私の手には負えないっ。当主様に報告せねばっ!」
「先生!? 待ってくださいっ!」

 ルッソ先生はふらふらと走り出し、その後をメイドたちが追いかけていく。
 何度も倒れかけているルッソ先生は、足腰が弱いのかもしれない。
 僕が心配していると、最後に残っていた料理人がルッソ先生をかついで退出し、残された僕はジュードと顔を見合わせた。

「ルッソ先生って自分のことは他のお医者様に診てもらっているのかな? すごくフラフラしているように見えたけど、大丈夫かな?」
「…………いや、アナタのせいでしょ」

 何やらボソッと告げたジュードが、おどけたように肩をすくめた。

「なんで診察を受けたがらないんです? 何か理由があるんですか?」
「っ、そ、それは……」
「アダム様が先程仰られていた、『やらなければならないこと』に関係しているんですか?」

 まるで尋問されているような気分になり、ごくりと唾を吞み込んだ。
 ジュードの目が厳しさをにじませているように見えたからだ。

「……すみません、俺は別に責めているわけじゃないんです。ただ、アダム様の知っておきたくて……」
「っ!」

 ジュードに友人と呼ばれるたび、心が震えるほど喜んでしまう僕は、思っていることを包み隠さず話そうと決めた。

「僕には、貴族としての責務があるでしょう? 今の僕に何ができるかはわからないけれど、グランデ侯爵家の人間として、領民のためになることをしたいんだ」

 そのために、まずは領地に関して学ばなければならないだろう。
 でも、漠然ばくぜんとした目標しかなくて、何をどうしたらいいのかまではわからなかった。

「っ、今話したことは、全て本心か!?」

 バーンッ! と、ノックもなしに入室してきた無礼者を見て、僕は驚愕する。
 相手は侯爵家当主、ダリルだったからだ。
 どうしてか歓喜にも似た叫び声を上げた父様の目は血走っていた。
 恐ろしくてたまらない。
 実の父親だとわかっているけれど、どうにも最初の怖い印象が付きまとう。

「アダムッ! 領民のことを考えられるようになったんだな!?」

 興奮状態なのか、唾まで飛ばしている父様に問いかけられる。
 領民とは、僕たちグランデ侯爵家の人間が守るべき尊い存在だとカンナから教わっている。
 そのことをアダムが知らないはずがない。
 僕は自信を持って頷いた。

「は、はいっ。領民のことを第一に考えるのは、当然では?」

 僕が答えると、室内は不気味なくらいにシーンと静まり返った。
 ……空気が読めない発言をしてしまったのかもしれない。
 身体中の汗が一気に吹き出した気がした。

「……アダム。グランデ侯爵家の人間として、自覚してくれて嬉しく思うぞ!」
「っ、は、はいっ!」

 その自覚は、本物のアダムならばとうの昔に芽生えていたと思うけれど、僕は元気に返事した。
 そして父様は、そんな笑顔ができたのか、と問いたくなるほどの満面の笑みを浮かべている。

(さっきの答えは、やっぱり正解だったんだ! でも、なんで間があったんだろう……?)

 両手を広げた父様が一歩近付くたび、僕は無意識のうちに後ずさっていた。
 しかし、父様の方が歩幅は広く、あっという間に抱きしめられる。

「うぐっ」

 否、拘束されてしまった、と表現する方が正しいかもしれない。
 男らしいスパイシーな香りがアダムを思い出させ、不思議な気持ちになる。
 厳しい人だけど、父親との初めての抱擁ほうようだ。
 夢がまたひとつ叶った。広い背に腕を回そうとして、怪訝な顔の父様と目が合った。

「――……アダム。少し痩せたんじゃないか?」
「っ!」

 とんでもない発言に、僕はヒュッと息を呑む。
 親子なのだからいくら化粧などで誤魔化したとしても、身体に触れればすぐに息子が別人だとわかるだろう。
 ――終わった。
 婚約者のヴィンセントの前に、母様にすら会っていないのに……
 アダムがノアさんと別れさせられ、連れ戻される未来を想像しただけで絶望感に襲われた。
 ……しかし。

「最近、過度な食事制限をしているからだろう。慣れないことをするからだ」
「っ……はっ、ははっ。そうかもしれません」

 何やら勘違いをしている父様が、「お前は本当に極端きょくたんだな? 肉も少しは食べろ」と、僕の体を労ってくれる。

(過度な食事制限……? 誰かと間違えていないかな?)

 なんの話かさっぱりわからず、笑って誤魔化すしかなかった――


 そして、上機嫌になった父様が、僕のために様々な分野の教師を手配してくれた。
 結婚式まで謹慎中であるし、自室で勉強するのがちょうどいいと思ったのかもしれない。
 そして先生たちもみんな、それぞれの分野のエリート集団だった。
 そんなすごい方々を、教師として呼び寄せた父様の偉大さを実感する。
 それと同時に、アダムは溺愛されているとひしひしと伝わってきた。
 それにものすごく優しい先生ばかりで、間違った解答をしても怒られたことなんて一度もない。
 僕が真面目に授業を受けているだけで、目に涙を光らせて喜んでくれるんだ。
 勉強を始めてたった二週間だけど、知識を得て視野も広がったように思う。
 僕をサポートしてくれる先生方の期待に応えるべく、日々励もうと心に決めた。
 と言っても、知らないことを学べるのは僕にとってもすごく楽しくて、全く苦にはならなかった。


   ◇ ◇ ◇


 いまだに他人の家に居候いそうろうしている気分の僕は、豪華絢爛ごうかけんらんな食堂で席に着いていた。
 家族で晩餐ばんさんを、と父様に招待されたのだ。

(つまり、母様に会えるんだよね……)

 屋敷に着いてすぐ自室で謹慎したため、母様と顔を合わせることはなかったのだ。
 夕飯の時間の半刻も前に席に着いた僕は、緊張で胸がドキドキしていた。

「っ、アダム!? もう来ていたのか!?」

 先に現れた父様が、僕を見て大袈裟なくらいに驚いている。

(父様って体格だけじゃなく、リアクションもいちいち大きいなぁ~)

 約束の時間の十分前に行動するのがマナーだと、カンナに習った。
 でも僕は今回、半刻前から待っていたから、この場合はマナー違反かもしれないけれど……
 父様が当主の席に腰を下ろし、その後すぐに美しく着飾った夫人が姿を見せた。
 息を呑むほどの美貌を持つ女性に、僕の目は釘付けだった。

(っ……この人が、僕の母様……)

 グランデ侯爵夫人――シンディは、凛とした上品な雰囲気のある美女だった。
 癖のないミルクティー色の髪は腰あたりまであり、室内でもきらきらと輝いている。
 少し釣り上がった目元で、青い瞳は僕と同じ色。
 その瞳の色と合わせた青いドレスは、母様の美しさを引き立たせていた。
 そして、前菜が運ばれてきた。
 祈りを捧げ、芸術品のような前菜を口にする。
 主役級の華々しさと、素材を引き立たせつつ繊細な味付け。
 僕はメインの肉料理より、オードブルが好物だ。
 大大大満足である。

「「「…………」」」

 ただ、とても静かな食事会だ。
 カンナとふたりで食べていた頃は、マナーを気にしつつも楽しくお喋りもしていた。
 でも、母様は僕と目を合わせることなく、淡々と食事をしていた。

(美しすぎる故に、話しかけづらいや)

 しかし、だからといってこのまま何もしなくていいのだろうか。
 十七年間ずっと会いたかった人が、今目の前にいるんだ。
 僕は勇気を振り絞って、母様に話しかけた。

「前菜に使用されているソースは、グランデ侯爵領で採れたフルーツが隠し味だそうですよ。美味しいですね、母様」
「「っ……!?」」

 バッと勢いよく顔を上げた母様は、宝石のような青い瞳を輝かせていた。
 目が合っただけなのに、ドキドキする。
 見た目は色気のある美女だけど、今はまるで宝物を見つけた子供のようだった。

(うわぁ、すごく綺麗な瞳……。目が離せないっ。アダムにそっくりだっ!)

 僕が魅入っていると、美しい瞳からはほろほろと涙がこぼれ落ちる。

「っ、母様!? どうなさったのですか……?」

 どうして急に母様が泣き出したのか、わからない。
 ……腹が痛いのだろうか。
 気の利いたことも言えず、母様にハンカチを渡すことしかできなかった。
 それでも母様は泣きやまず、父様は傍観ぼうかんしているだけで席を立とうともしない。
 どうして泣いている女性に、声をかけてあげないのだろう。
 しかも相手は、大切な家族なのに……
 ついムッとしてしまう僕は、母様をエスコートするために手を差し出した。

「父様。母様の体調が優れないようなので、僕がお部屋まで送ってきますね!」
「っ、あ、ああ」

 どうしてか小刻みに頷いている父様は、いまだにワイングラスを持ったままだ。

(いやいや。ここは、父様がそばにいてあげるところでしょう!?)
「――……母様がこんなに泣いているのにっ。寄り添うこともしないだなんて、信じられないっ」
「っ……!?」

 僕がうっかり心の声を漏らすと、父様が勢いよく席を立った。

「い、いや、シンディを泣かせたのは、私のせいでは――。っ、アダム! 待ってくれ! 私も行こう」

 母様を支えていた僕は、目を白黒とさせる父様と共に母様を部屋へと送り届けることにした。
 長い廊下を無言で歩く。
 僕と父様に挟まれている母様は涙が引っ込んだのか、忙しなく僕たちを交互に見ており、すれ違う使用人の中には、口をあんぐりと開けたまま固まっている者もいた。

(もしかして……父様と母様は、夫婦関係がうまくいっていないのかな?)

 よくよく見れば、なんとなく距離がある気がする。
 てっきりふたりが良好な関係を築いているとばかり思っていたため、意外だった。


 そして僕たちは現在、馬車に揺られている。
 驚くことに、母様は本邸とは別の場所に住んでいたのだ。
 本日の晩餐会のために、わざわざ馬車で来てくれたそうだ。

(っ、これは間違いなく、別居状態……だよね?)

 向かい合わせに座っているけど、ふたりは決して目を合わせない。
 ひたすら外の景色を見ている父様は居心地悪そうだ。
 ちなみに母様は、僕の横顔を穴が開くほど見つめているけど……
 夫婦関係がうまくいっていないどころではない。
 すでに破綻はたんしている。
 すぐには現実を受け止められなかったけれど、僕は隣に座る母様の華奢きゃしゃな手を、ぎゅうっと握りしめた。


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