72 / 211
72 失敗作の使い道 元料理長
しおりを挟む大通りから少し離れた場所に、ひっそりと建つレストラン『フェデフルー』。
王宮料理長を務めていた私──バッカスと、愛する妻の城である。
三年前に開店した当初は大盛況だったものの、とある理由から、現在はディナータイムのみの営業となっている。
「今日は特別なお客様がいらっしゃるから、僕も下準備を手伝った方が良いかな?」
少し張った腹を優しくさすりながら話す、私の愛する妻のセレス。
そんなことはしなくても良いと言いたいところなのだが、お願いすることにした。
なにせ今日は、王宮から使者が訪れるのだから。
伸びた茶色の髪を高い位置で結び、くるくると動き回る妻。
身篭っているのだから少しは落ち着いて欲しいのだが、そうは言っていられない状況だ。
王宮で給仕の仕事をしていた時とは違い、仕事量も増えているというのに、妻は文句一つ言わない。
愛らしい姿を眺めながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
◆
「私の失敗作を、レシピ登録……ですか?」
三年ぶりに顔を合わせた、ワインレッドの髪が印象的なお方が、爽やかな笑みで頷いた。
私の恩人でもあるファーガス第二王子殿下の側近──アベル・ラッセル様。
彼が私の店を訪れたのは、私が王宮料理長だった際に作った失敗作のソースを、是非レシピ登録して欲しいとのことだった。
使い道のない失敗作のソースを、レシピ登録などするつもりはない。
私の不名誉となるだけなのだが、ファーガス殿下の頼みならば話は別だ。
仮に登録するとしても、文一つで済ませることが出来るのに、わざわざ足を運んで下さったのだ。
勝手にレシピ登録して下さって構わないのだが、ファーガス殿下は本当に律儀なお方である。
「話はわかりましたが、なぜティルソンまで?」
アベル様の隣で不敵な笑みを浮かべている大柄な男は、護衛ではなく、現在の王宮料理長だ。
とりあえず厨房を貸してくれとだけ言った、旧友のティルソンと共に、奥の厨房に向かった。
「セレスさんが妊娠したんですよね? おめでとうございます」
「ああ、わざわざそれを言いに?」
「ふふふふふ……。あるお方からのご依頼で、私が参上したんですよ」
料理に関しては誰にも負けるつもりはないと、いつも私と競い合っていた仏頂面の男が、珍しく笑みを浮かべていた。
現在、王宮には、プライドの高いティルソンが、心から尊敬する凄腕の料理人がいるらしい。
どんな人物なのか気になるところだが、その人が私に子が出来たことを祝福してくれているそうだ。
既に辞職している私とは無関係のはずなのだが、なぜ私を知っているのだろうか?
まあ、元王宮料理長として、料理人の間では有名ではあったから、私の信者なのかもしれない。
そうこう考えているうちに、ティルソンがデカすぎる手で、手慣れた様子で料理を作る。
安価な芋で作ったタネに、粉と卵とパン屑をまぶし、大量の油が入った鍋に投入した。
「っ…………なんと良い香りなんだッ」
嗅いだことのない、香ばしい匂いが厨房内に充満する。
「『コロッケ』という料理です。まずは、食べてみて下さい」
「あ、ああ……」
手に取るのも躊躇するような残念な見た目だが、私の口内には唾が溜まっていた。
だが、ティルソンが作ったものなら、きっとそこまで酷い味ではないはずだ。
恐る恐る口に入れると、サクッと良い音が鳴る。
ほくほくとした芋がたまらなく美味だ。
マイナスなビジュアルを凌駕する味に、私の手は止まらなくなってしまう。
初めての食感に感動して、もう一つ食べようと手を伸ばす。
油で揚げるという手法は、誰も思いつかない発想だ。
我々の常識を覆す作品に、天才料理人が現れたのだと確信した。
コロッケとやらは、間違いなく飛ぶように売れるだろう。
あのティルソンが、他の料理人を『師匠』と呼ぶことも頷ける一品だった。
どんな人物なのかと問いかけようとすると、なにを思ったのか、ティルソンが最高傑作に私の失敗作のソースをかけ始めたのだ。
「なんでそんな勿体無いことをッ!!」
「いいからいいから」
「あぐっ……!?!?」
「最高な組み合わせでしょう?」
無理やりコロッケとやらを口につっこまれて、目を見開いた。
「っ…………美味だ…………」
そのままでも最高に旨かったが、私の失敗作のソースが良い味を出しているではないかっ。
愛する妻が妊娠したと報告を受けた時と、同じくらい感動している。
失敗作のソースのレシピは、私のレシピ帳に残っていたはずだ。
今すぐ登録しなければと、回らない頭をなんとか動かした。
32
お気に入りに追加
3,500
あなたにおすすめの小説

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中
聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!
伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。
いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。
衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!!
パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。
*表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*
ー(*)のマークはRシーンがあります。ー
少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。
ホットランキング 1位(2021.10.17)
ファンタジーランキング1位(2021.10.17)
小説ランキング 1位(2021.10.17)
ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。
勇者召喚に巻き込まれて追放されたのに、どうして王子のお前がついてくる。
イコ
BL
魔族と戦争を繰り広げている王国は、人材不足のために勇者召喚を行なった。
力ある勇者たちは優遇され、巻き込まれた主人公は追放される。
だが、そんな主人公に優しく声をかけてくれたのは、召喚した側の第五王子様だった。
イケメンの王子様の領地で一緒に領地経営? えっ、男女どっちでも結婚ができる?
頼りになる俺を手放したくないから結婚してほしい?
俺、男と結婚するのか?
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる