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◆三年生◆

*17* 寂しがり屋の女神様。〈1〉

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 クラウスと二人でお互いの感情を自覚はしたのに、悲しいかな残された夏期休暇の日数が足りない。前世からの私の信条は“鉄は熱い内に打て”だ。それで行くと新しく得た信条は“想いは冷めないように抱け”だろうか。

 ともかく勢いを付けて行動に移さないことには、もう学園が始まってしまう。そこで想いを確かめ合った二日後に、週に一回近所の村から王都の市場まで野菜を卸しに出る小さな幌馬車に乗せてもらうことに。

 目立つステッキは小屋に置いて来てしまったけれど、真夏の最中に頭からフードを被っているクラウスを胡散臭い者を見る目をする御者のお爺さんに、以前ヴォルフさんにしたのと全く同じ説明をしたら、物凄く親切にされてしまった。

 お金がないから荷物の積み卸しを手伝うと言う私の申し出に『お兄さんの面倒を見てやれ』と言われた時は、流石に嘘が居たたまれなくて必死に食い下がり、何とかお手伝い要員として認めてもらえたのだ。

 タダより高い物はないし、老人を騙すのは如何にクラウスがらみとはいえ気が引けるよ。それでなくても優しい人には嘘を吐きたくないからね。

 そこからはラシードを頼ってクラウスを泊めてもらい、私は夏期休暇の学園の図書館に生息しているエルネスト先生を捕獲する為に、さらに二日を擁した。何故二日も待ちぼうけを食らったかというと、まあ、恋人が出来たら以前までのように毎日図書館という訳にはいかないもんなぁ……ってこと。

 ヒロインちゃんとの交際が順調なことが嬉しいのか、悲しいのか、実際のところもう私には良く分からなかった。だからどうしたら良いのかはこの際後回しにして、クラウスの願いを叶えることだけに従事することにしたのだ。


***


 ――そしてついに全ての舞台が整った本日は“八月二十六日”。

 エルネスト先生とヒロインちゃんには事前に“会って欲しい人がいる”と言付けてあったので、約束の時間に約束の場所――……深夜十二時に温室の前にとの怪しいお誘いにも関わらず、二人は仲睦まじく寄り添いあって現れた。

 ヒロインちゃんに至っては、この呼び出しの為にお家から五日も早く寮に帰って来てくれたので少し申し訳ない気分だけど、取り敢えずは無事に現れてくれたことにホッとする。

 しかしそれでも、内心まだヒロインちゃんとのルートがあるかもしれないクラウスのことが気になって、私は隣に立つその表情をそっと盗み見る。けれど二人がそんな風に現れても表情にあまり変化はなく、むしろ六日前の夜よりも落ち着いているように見えた。

 エルネスト先生とヒロインちゃんは、自分達を呼び出したのがクラウスだということに一定の驚きを見せたものの、不思議とお化けを見たとかそういう反応ではなく、こちらも私の予想とは程遠い。

 てっきりヒロインちゃんは“ああ……”とか言って倒れてしまうのではないかと、密かに気付け薬と口直し用の飴まで用意してあったのに。

 いや、勿論使わないで良いならその方が良いんだけど――そうではなくて、何というのかこの私を除く三人の間には、何かしらモブの私には感じることの出来ない連なりというか“絆”みたいな物がある。

 このゲームの仕様とはいえそれが少しだけ寂しいような、歯痒いような気を揉んでしまう感覚に戸惑っていると、不意に隣に立っていたクラウスが私の肩を抱き寄せて来た。

 え、嬉しいけど……これは一体何の真似だ? まさかとは思うけど、この場で睦まじさのアピール返しとかしないでも良いってば。肩を抱かれたまま挙動不審にクラウスとエルネスト先生達とを見比べていたら、そんな情けない私の姿を見たヒロインちゃんが少しだけ微笑んでくれた。

 流石どっちにしても親子二代を籠絡した女子力。その圧倒的な可愛さに、同性であるはずの私でも思わず胸キュンだわ。私達の中間地点に置かれた星火石ランプがぼんやりと周囲を照らし出す中で、彼女の銀色の髪が幻想的に輝く様は、まるで本物の星女神様のように神々しい美しさがある。

 ここに集結した一等星を守護星に持つ三人の中で、私はとんでもなく浮いた存在だ。どこまで行ってもイレギュラーで、どの星を崇める対象かも分かっていない未熟な【星詠師擬き】。

 それでもいつも星達の声は私を見放さずに降って来てくれる。干し草の上でも、畑の中でも、井戸端にいても、荷馬車の御者席に座っていたって。そこに空があれば昼夜を問わずに囁きかけてくれた。

 お陰で領地は貧しいながらも、私が星詠みの真似事を始めてから飢饉に悩まされたことはない。そのことを誇りに思わずにこの場で恥じて縮こまる無様な姿を、私は私の星達に見せられない。

 ああ、そうか……この肩に回された腕の意味がようやく分かったよ。深呼吸をしてクラウスに「今更怖じ気づいたりしないよ」と囁けば、クラウスは傍目にも分かる笑顔を見せた。私もそれにならって微笑み返し、エルネスト先生とヒロインちゃんの方へと視線を戻す。

 クラウスも視線を二人に向け、これで再び四人の視線が絡み合う。けれど一つ意外だったのは、こちらを見る二人の目がここに来た時よりも驚いた色を湛えていることだ。しかし私がそのことに言及するよりも前に、この場で一番最初に口火を切ったのはクラウスだった。

「ホーンス先生、ティンバース嬢、今日はこのような場所に呼び出して誠に申し訳ない。だが今夜ここで語る内容は、お二人にも関係の深いものになるであろうと確信している。そうであるからこそ、このような不躾な召集に応じてくれた。――そう思ってよろしいか?」

 クラウスの冷たく硬質な厳しさのある声音は、私の耳には心地良いものとなって久しいけれど、目の前に立つ二人には絶対に違うだろう。

 それにこの中では今は籍を失っているとはいえ、元は一番の上級貴族だからだろうけど、何だか少し威圧的だなぁ。話を聞いて欲しい感じじゃないと言うか……うん、やっぱり突っ込もう。

「クラウス、物の言い方が怖いよ。気軽に話が出来る感じじゃないってば。聞いて欲しいなら聞かせる声音にしないと。怒られてる気分になっちゃう」

 するとやはり無自覚だったらしいクラウスが「そうか?」とキョトンとした表情になる。んん、目に入れても痛くないくらい可愛い。思わず“そんなことなかったかも?”と掌を返す発言をしてしまう前にスッと目を眇めて、直視しないように視線を逸らす。

 そんな私とクラウスのやり取りを見ていた二人は、若干震えているように見える。ぐぬぅ……笑われる方が怖がられるよりはまだ良いか。

「あー……その、失礼した。長年染み付いた口調はそう直せるものではないので、そこには目を瞑って頂けるとありがたい」

 一応努力は見受けられる程度の声音の改善をしたクラウスは、そう場を仕切り直したかと思うと、次の瞬間いきなり本題に入った。

「特にこの場で話を訊きたいのはホーンス先生、貴男だ。ルシアに聞いたところによれば、貴男は星女神神話の原本の内容を知っている可能性があると。もしそれが本当であれば、是非お聞かせ願いたいことがある」

 もう少し会話に緩衝材を挟む努力をしてくれと思いつつも、私はクラウスの隣でここから先はあまり突っ込まない努力をしようと腹に力を込める。

「ああ、確かに原本の星女神神話なら知っている。元より……ええと」

「呼び方でしたら、スティルマンで構いません」

「そうか、そう呼ばせてくれるならこちらとしても助かる。自分は本来スティルマン――君を見張る為に学園ここへ寄越されたのだからね」

 表面上はいつもと変わらない穏やかな口調でそう答えた熊さんこと、星座狂いのエルネスト先生。しかしその声音が僅かに底知れない深さを纏った気がして、私は息を飲んだ。

「この百余年ほどの間にスティルマン家が見つけ出した【星喚師】は僅かに三名だ。今までの歴史上この数はおかしい。だとすれば故意に君達の一族が隠蔽しているのではないかと、王城内の天文官達から声が挙がった。そうして自分も……その言葉に同調する天文官の一人だった」

 朗々とした良く通る胴間声にいつもの朗らかさはなく、どこか出逢ったばかりの頃のクラウスに似た気配がする。ただクラウスと違うのは、その体格に見合う揺るぎのなさだ。

 クラウスの冷たさが薄氷に爪先立つ心許なさだとするならば、エルネスト先生のそれは分厚い氷を踏みしめて立つ威風堂々とした貫禄とでも言おうか……だけど、その姿は私の知るエルネスト先生とは違って好ましくない。

 クラウスは冷たい眼差しでエルネスト先生と対峙しているけれど、可哀想にヒロインちゃんは自分の隣に立つ優しい恋人の豹変ぶりに脅えている。しかしエルネスト先生はそんなヒロインちゃんに一瞥もくれずに会話を続けた。

「【星喚師】を有すること。それが星女神神話の始まりを記した、この国のあるべき姿だった。しかしスティルマン家がその任を果たさないまま、長く【星喚師】に空席が続き、その歴史の間にこの国は大きな自然災害に何度も見舞われた」

 明らかにクラウスの家を責めるようなその言葉の響きにムッとした私の腕を、クラウスがポンポンと叩く。まるで“気にするな”というその行為を無視して私が言い返すことは出来ない。

 ――それに、私にも分かっている。目の前で攻撃的な物言いをするエルネスト先生が、何かに迷っているのだということが。

「天文官の家に生まれついた者として、これ以上の職務放棄を見逃す訳にはいかない――と。そういう諸々の事情から、自分は院生の名を借りて学園へ潜伏した。実際年齢を偽っている訳ではないから、誰も疑いはしなかったよ」

 だけどまあ、この場で一番メンタルが若くて綺麗なヒロインちゃんにしてみれば、この会話内容は酷だろう。

 エルネスト先生の二の腕に触れながら「先生……?」と不安気な表情を浮かべる様は、この後に残るトラウマがなかなかに心配な感じだ。何というか男運のなさに同情を禁じ得ない。

「しかし君とリンクスさんが原本の存在を知っていたのは誤算だった。あれは厳重に保管されてしかるべき内容だ。特にスティルマン家の人間と――……アリシア。君のような【星喚師】の資質がある人間に知られる訳にはいかないからね」

 ゆるゆるとした語り口調に不穏な空気。その緊張感に堪えかねたヒロインちゃんが、ついに「先生……さっきから何を言っているの?」と震える声で訊ねた。

 その声に眉根を寄せたクラウスが私の方を見て「ルシア、ティンバース嬢を連れて少しだけ外してくれないか」と言うので、咄嗟に頷きかけたその時だ。

 ヒロインちゃんが「いいえ、わたしもここで最後まで聞きます。彼はわたしと貴男に関係のあることだと言いましたもの」と、恋人であるエルネスト先生を睨んではっきりと告げた。

 不謹慎ながら凛々しい彼女のこのスチルの構図は、誰か他のルートでも見たような気がするけど“使い回しとかじゃないよね?”とか思ったのは内緒だ。

 余計なことを考えて一瞬気が散っていた私の前で、エルネスト先生が「君ならそう言うと思ったよアリシア」とほんのちょっとだけ、いつも図書館で見せてくれた優しげな熊さんの笑みを浮かべる。

「君がアリシアと仲が良さそうな姿を見て、自分は“もしや”と思った。孤独星を擁するスティルマン家が惹かれるとあれば、自然とアリシアが次の【星喚師】だと思うだろう。幸いにもアリシアと自分は初対面ではなかったからね。会話を交わす為のブランクはすぐに埋められた」

 どこまでも“任務”の一環のようにそう口にしていたエルネスト先生は、そこで一度言葉を切り、今まで浮かべていた底知れない笑みを潜め、初めて苦悩の表情を浮かべた。

「だが……自分はことここに至って、今更ながらにスティルマン家の人間と同じ悩みを抱くことになるとは思ってもみなかった」

 ああ、私はつい最近この人と同じジレンマに陥ったから分かる。

 その発言と表情から導き出される答えはいつも、たった一つだけだから。
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