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◆二年生◆

*32* これじゃあ親友失格だよ。

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 少しギクシャクしてしまった空気を吹っ切ろうと足早に移動したホールでは、色とりどりのドレスの裾が風をはらんで膨らみ、シャンデリアの明かりを弾く大理石の床にモザイク柄を作る。さながら万華鏡の中に放り込まれたような賑やかさだ。

 そんな学園の生徒達で溢れるホールの一番外側を、推しメンにリードしてもらっているとはいえ、お世辞にも軽やかとは言い難いステップを踏む。場違いも良いところだと思うのに、推しメンは気にした様子もない。

 そんな私を見て推しメンはおかしそうに目を細めて笑うから、そのことを怒ればわざと意地の悪いリードをしてみせる。そのせいで私は足許にばかり注意が向いてしまって、肝心のエルネスト先生のエフェクトを探すことすらままならない。

 ホールの中心部分ではカーサとラシードが踊っているのか、時折かなり薄くなった夕陽色のエフェクトが見え隠れしている。それにしても両者のファンの熱気が凄いぞ。あれは他の生徒達が近寄れないように威嚇しているな。

 元から中心部で踊っていた上級貴族が弾き出されてかなり縁の方まで寄ってくるから、その煽りを被って下手くそが踊る場所はもっと狭い。

 だけど変だなぁ? この頃はもうすっかり他の攻略対象のエフェクトが肉眼で捉えられなくなっているから、消去法として巨峰色のエフェクトしか見えない。それなのに、あの高身長のエルネスト先生のエフェクトが会場内に欠片も見えないだなんて……まさかここにいないのでは?

 今が普段の日常パートなら良い。

 しかし今日はゲームの中でもかなり大事なイベント日だ。

 ゲームの中で攻略対象にアタックをかけるなら、二年生の終わりであるこの辺りが最後のチャンスだと思う。乙女ゲームの作り上、三年生に入ってしまったらそれまでで一番友好度を上げていた攻略キャラの個別イベントしかない。その後はそれこそ殺し文句を並べ続けるだけの紙芝居状態だ。

 そんな重要な分岐のある日に、攻略対象とヒロインちゃんの姿を見失うといのは……かなり拙い手落ちなのでは? 特にエルネスト先生は新規参入の上に隠しキャラ扱いだから、今夜のイベント内容が全く分からない。

 それに自分の師を疑いたくはないけれど、下手をしたら年齢的に学園の生徒より事を速まらないとも限らないのでは? そこまで考えが至った瞬間、私は首飾りを着けてもらっていた時の感傷などかなぐり捨てて、腰をホールドしている推しメンの腕を掴んだ。

「あのさ、そろそろ一回休憩しようよクラウス! 脚を休ませないと膝にくるかもしれないしさ!」

 あくまでも“脚の心配”をしているのだと前面に出してそう提案するのに、推しメンの方は暢気にも「何だもう音を上げたのか? いつもの落ち着きのないルシアと同一人物だとは思えないな」などと余裕のある表情で私にターンをさせた。

 あああ、楽しいけど――そうじゃなくて! 私だってわざわざこの時間を自分から終わらせたい訳じゃないんだから、少しは察してくれよぉ!!

 何か良い言い訳はないものかと悩む傍から、すっかりリードに慣らされてしまった私は、軽く腰に添えられた推しメンの腕の緩い力でも簡単にターンをしてしまう。それに距離の近さも加わって、悔しいやら、焦るやらで頭が混乱している。

 しかしステップの為に踏み出した自分の爪先が視界に入ったことで、やっとそれらしい言い訳を思い付いた。

「おお、そういうこと言っちゃう? だったら言わせてもらいますけど、いつもはドレスでもヒールでもないからです。悪かったなぁ、子女らしくない言い分で」

「はは、分かった、冗談だ。俺もちょうど脚が疲れてきていたところだから、一度何か飲んで休憩しよう」

 半ば以上本気だったので言い訳でも何でもない気もするけれど、そのお陰で疑われることもなかった。それが良いか悪いかはまた別の機会に考えることにして、ひとまずは「そこで待っていろ」と言った推しメンに対して心の中で謝りながら手を振って見送る。

 帰って来たところでいなくなっているだなんて、騙し討ちみたいな真似をしてごめんよ。だけどこれも君の幸せな未来の為だ。人間として終わってるけど、ちゃんとイベントをぶち壊してくるから任せろよ!

 人混みに推しメンの背中が消えたところで、自分で足が痛むと言ったはずの舌の根も渇かないうちにヒールのまま小走りにその場を離れた。


***


 ――しかし、一歩華やかなホールから出たところでふと考える。

 出来れば推しメンが戻ってくるまでに、エルネスト先生とヒロインちゃんの行方を探せれば一番良いんだけど、人が多いから無理だろうなぁ。そもそも闇雲に探したところでこのホールの広さだ。

 イベントの発生時間も限られているだろうし、頼りの記憶も大分薄れて来ているから、イベント内容がかなり心許ない情報しか残って……て、うん? 

 逢い引きするなら人目の少ない場所という思い付きだけで、ふと指のささくれがセーターに引っかかった時のような痛みというか、違和感を覚える。この感覚は何か思い出せそうだという合図なのだろうか? 

 当てもなく歩き始めていた足を止めて、可能な限り脳にこびりついた記憶をかき集める。二年生の聖星祭……二年生の聖星祭、何かとんでもないイベントがあったような気がするんだけど――と、チカリと頭の中である一枚のスチルが蘇った。

 その時視界の端でサアッと窓の外が明るくなり、さっきまで軽く吹雪いていたのが嘘のように冴え冴えとした月が見える。空からチラチラと舞い降りてくる白い雪と、それを下から見上げるヒロインちゃん。

 スチルは彼女の視界とシンクロしていて、段々と暗くなっていく視界の中に涙を一筋だけ流す推しメンの顔が一瞬だけ映るのだ。そんなスチルから導き出されるエンディングがあるとすれば、あれは紛れもなく――。

「バッドエンドの……分岐点?」

 そのことに気付いた途端、自分の中で血の気が引く音を聞いた気がする。あのスチルのイベントがどのキャラクターの分岐点だか分からないし、そもそも今夜の出来事なのかも分からない。しかし今夜起こらないと決まった訳でもないのだ。

 だとしたらこの不安要素を潰し、イベントその物を潰す為にもまずは行動あるのみである。

 スチルにあったのは月の見える場所。でも、聖星祭で起こった出来事であれば推しメンと鉢合わせるとしたらこの建物内であるはずだ。幸いこの建物はドーム状なので、廊下に出れば、ほぼ一筆描きで空の下に出られるバルコニーに出ることが出来る。

 ただここで問題になるのも、この建物の形状だ。考えたくはないけど、推しメンが飲み物を取りに行く前に外の空気でも吸おうと、数あるバルコニーのうちで運悪くヒロインちゃん達が愛を語らう場面に出くわしたら……。

 まあ、即刻バッドエンドの扉が開いてしまうこと請け合いだ。そんなことにさせてなるものか! 私はなるべくヒロインちゃん達に出くわしても偶然を装えるように、傍目には無表情のままバルコニーを片っ端から調べた。

 バルコニーは思った通り星の下で愛を誓う学生に大人気で、皆さん私がヌッと現れるとエビのように飛び退くものだから、そんな場合でもないのにちょっと笑ってしまったじゃないか。

 コツコツと自分のヒールが廊下を叩く硬質な音が響く中で、頭の片隅では冷静に飲み物を取りに行ったはずの推しメンが、人気のない場所に行くはずなどないと分かっていた。

 それでもヒロインちゃんを見つけ出して誰と一緒にいるのかを確認するまでは安心出来なかったから、私は途中で色んなカップルの誓いの場に出くわしても顔色一つ変えずに調査を続ける。逸る心は押し殺して。

 九個目のバルコニーも空振りで“次はいよいよ十の大台に到達するな”などと考えながら、流石にそろそろ関係のない学生達の邪魔をするのも申し訳なくなってきたので、バルコニーに出る前にそっと外を伺う。

 するとそこには――――見慣れた大柄の人影と、月明かりを弾き返すプラチナブロンドの髪を持った美少女の姿があった。

「よ、良かったぁ、ようやく見つけたよ……!」

 しかしやっと見つけたその姿に、今まで張り付けていた鉄仮面を外して頬の筋肉を緩めた私の背後から「ここで何をしている?」という今夜の外気温並に冷たい声がかけられた。

 ……おお、星女神よ……私は一体この瞬間の気分をどう言い表せば良いのでしょうか? ほんの数秒ほど何も考えたくない空白の時間を置いてから、ギギギっと音がしそうなほどぎこちなく声がした方向を振り返る。

 するとそこには今この世界で一番会いたくない人物が立っていた。言わずもがな、私の最愛の推しメンであるクラウス・スティルマンその人が。

「あ、えっと……クラウスと別れてから急に気分が悪くなったから、ちょっとバルコニーに出て外の空気でも吸おうかな~と思ってたんだけど、何だかここに来るまでに治っちゃったから、ホールに戻ろうと思ってたところ!」

 普通に考えて推しメンと別れた場所からここまでにバルコニーは九個もあったし、この言い訳が本気で通じるとは思っていない。だがここは何としてもこれで押し切って、外の二人から推しメンを遠ざけなければ。

 しかし当然疑いの眼差しを私に向けた推しメンは、バルコニーの前に立ちふさがるように立っていた私の肩を、結構強い力で押し退けた。こうなってしまっては最早万事休す。

 かくなる上は推しメンが逆上して飛び出さないように、この身を挺して防波堤になるしかないな――……。そう覚悟を決め、肩に載せられたままになっていた推しメンの手をガッチリと握る。

 ――けれど。

「ああ、何だか様子が妙だと思ったら……ティンバース嬢とホーンス先生か。こんなところで逢い引きとは、学園の教員に見つかったらまた教員免許が遠退くだろうに迂闊なことだな」

「えっ?」

「何だ?」

「そ、それだけ――?」

「それだけとは、他にどんな反応を示して欲しかったんだ? 第一俺はルシアを探しに来ただけだぞ。そんな格好をしている時に一人で彷徨くな。危ないだろう」

 てっきり嫉妬で狂った推しメンを想像していた私は、そのあまりに肩透かしな反応に思わず膝から崩れ落ちそうになる。だから冗談ではなく膝が震えているし、むしろ今の私は全身小刻みに震えていると思う。

 それを誤魔化そうと咄嗟に「何でさ。子供じゃないんだし、はぐれたってホールに戻れば他にも生徒がいるから、一人でも危なくなんてないよ」と言い返す。

 一瞬そんな私をジッと眺めていた推しメンが、不意に視線を外のバルコニーに移した。ああ、やっぱり気にしているんじゃないか。

 親友の私の前だからと痩せ我慢をして、気にしないふりをする推しメンのそんな姿に、どう慰めの言葉をかけようかと気を揉んでいたら「子供じゃないから危ないんだ。酒を飲んで気が大きくなっている輩もいるんだぞ」と、まさかのお説教が返ってきた。

 ええ……これってどういう精神状態なんだろう? 

 もしかして外の光景にかなり気が動転しているのかな?

 そう感じて思わず外のバルコニーの方を確認しようと、上半身を捻りかけた私の肩が、今度はさっきと反対方向――つまりは前に引っ張られた。いきなりだったせいで、ヒールの重心に慣れない私が前のめりに倒れそうになったところを推しメンがいつかのように難なく抱き留める。

 いや、違うな、抱き留めるというよりもこれは……抱き締めると表現した方が正しいのか? しかも前回よりも力が強いような……。

 普段の制服とは違って色々と心許ない格好の私が固まっていると、抱き締める腕の力を強めた推しメンが、ポツリと「馬鹿が……わざわざ跡をつけたりするからこんな場面に出くわすんだ」と囁いた。

 それがバルコニーの外の二人を見てしまった推しメンの心境なのだと感じた私は、言葉もなくその身体を抱き締め返す。何てことだろう。こんな場所まで私を探しに来たばっかりに、推しメンの心を傷付けてしまった。

 そのことが痛くて、悔しくて、私はその胸に顔を埋めて泣いた。

 ああ、だけど、ごめん。

 君が秘めた恋が散るのに。

 それがほんの少し嬉しいだなんて。
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