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◆二年生◆

★30★ 秘めるだけなら。

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 背中に感じる重さと体温。その心地良さに一瞬、手にした天体望遠水晶を覗き込むことすら億劫に感じている自分に気付いた。

 尤もそれは、ここ最近忙しくしていたから久々の観測だということと、元来星詠みが好きではなかったことを思い出したからなのかも知れないが。

 天恵祭での一件で、長年誰にも悟らせて来なかった脚の後遺症のことを三人に打ち明けた。そのことで返ってきた反応は三者三様それぞれ違ったが、根本的な答えは皆同じ。

 【打ち明けてくれて良かった】と。そんな馬鹿のようにお人好しなことを言う人間が傍にいる。こんなループは初めての体験で戸惑うばかりだ。

 それに天恵祭の後三日ほど療養して教室に戻れば、アリシアが休んでいた間のノートをとっておいてくれた。これもやはり今までのループでは起こり得なかったことだ。

 十一月に入って早二週間。

 十月の気温から緩やかに下降し始めた朝と夜の気温が、秋の天体を追いやり、冬の天体を連れてくる。

 こうして温室内で背中合わせになって観測が出来るまで夜間の気温が下がったということも、当然それに伴い徐々に星々が傾きを変えていく証明のようなものだ。天体であれば何らおかしなことでもないその変化だが、それが自分の内側の変化ともなると整理出来ない。

「やっぱりさ、今日……いや、もう昨日か。カーサにプレゼントした額縁って露骨すぎたかな? 一応私とスティル」

「クラウスだ」

「あ、うん。クラウスは、カーサが手帳に隠し持ってるあのカードに気付いてないことになってるし」

「一応形式的なものだ。ベルジアン嬢もそれには勘付いているだろう」

 背後で変化の元凶であるルシアが、もう何度目かの溜息と共にそう漏らす言葉に相槌を打ちながら、天体望遠水晶をクルリと回す。傷のない水晶の中を流れる星の軌道に目を凝らすが、怪しい輝きは“まだ”見えない。

 そのことに安堵する一方で未だに名前呼びに慣れず、すぐに家名で呼ぼうとするルシアの声に被せるようにして名を呼ばせる自分に多少呆れる。しかしルシアは気にした様子もなく、背中合わせのまま笑った。

「いや、それはそうなんだけどさ。考えてみたら何かこう、カーサの大事にしてる気持ちを推し量らないで、卒業まで間がないから無理にけしかけてるように見えたかな~って。妙な圧力かけちゃったかも……」

 ルシアの心配ごとの内容は、昨日天恵祭の期間中先延ばしにしていたベルジアン嬢の誕生日を祝った席で、彼女に贈ったプレゼントのことだ。

 真っ黒な額縁の四隅に貝殻で百合の花の細工をあしらったそれは、以前ルシアと訪ねたダーガの店で買い求めた。デザイン的には何の問題もない。男性的な色と女性的な装飾は、ベルジアン嬢の持つ中性的な印象にとても合っていたと思う。

 ただ問題があるとすれば、ルシアが述べたようにその贈り物自体に込められた暗喩の方だ。天恵祭前からベルジアン嬢がラシードに対して抱えていた恋情には、俺もルシアも気付いていた。

 けれど当の本人がラシードに隠したがっているので、こちらとしてはそれを尊重している。だから天恵祭が終わった後に流行ったあのカードを所持していることには、二人で気付いていないふりを貫いて来たのだ。

 ――だというのに、あの安直な贈り物の選択。しかしそれでも、自らが選んだ物を贈ろうというところはルシアらしい。

 俺のように直前まで何が良いか思い付かずに、ルシアが前回贈った髪飾りを工房に持ち込んで、ピンブローチに作り直してもらっただけよりはずっと良いだろう。

 それに内心では“あからさま過ぎだ”と冷静に思う自分がいるのに、口から出たのは「だが、あの額縁はルシアが悩んで選んだものだろう。それに受け取ったベルジアン嬢も喜んでいた」という気休めとも取れる言葉だった。

 だがルシアも流石にそんな言葉では誤魔化されずに「ごめんね」とこちらを振り返って苦笑する。その言葉に込められたものがそのままの意味であるのなら、そんな物が欲しかった訳ではない。

 ――……ただ。

「どうせなら“ありがとう”と言われたいものだな」

 俺のそんな子供じみた感想に、ルシアはいつも浮かべる満面の笑みではなく、冷えた空気が少しだけ温もるような淡い微笑みをくれた。


***


 ベルジアン嬢にプレゼントを贈ってから六日後の放課後。

 一日の授業を終えて温室に顔を出したまでは良かったのだが、ここに来て朝からの頭痛がいよいよ酷くなってきた。三日前から何となく体調が優れなかったのを気のせいだと誤魔化し、深夜の星詠みを連日続けたのが良くなかった。

 それでも体調不良をおしてまでここへ来てしまうのは、やはりこの場所が俺にとって居心地が良いせいだろう。珍しく一番に到着したので、誰か他のメンバーが来るまでと思って椅子にかけて目蓋を閉じた。


 ――――。

 ――――――。

 ――――――――。


『……あ、良かった。母様ちゃんと断ってくれたんだ』

『断るって何をよ?』

『あのねぇ、ラシード。今ので察してよ。私だってこれでも年頃の子女なんですのよ? 実家から送られて来て嬉しくない手紙って言ったら一つしかないじゃない』

『というと……成程、見合いか。しかしルシアの家族は、卒業まで待っていてくれるのではなかったのか?』


 微睡みの中で聞く会話はあまり面白い内容の類ではなく、しかしその会話を彩る声達には親しみを感じる。


『うーん、一応はそうなんだけどね。流石に良さそうな人が回ってきたら“うちの娘の為に!”ってなるもんなんだって。まあ主に父様だけど。母様はその辺のんびりした人だから』

『ああ……確かにワタシの家も父上の方がうるさ、んん、気を揉んでおられるな。しかし結婚するのはワタシ達娘の方なのだし、それなりに相手を見定める時間くらい欲しいものだ』

『そうだよねぇ? うちの母様も父様に似たようなこと言ったって書いてあるよ』

『はあ、出来れば好いた人物と共にいたいと思うのは我儘なのだろうな……』


 父親に対しての文句は上級下級の生まれに関係なく、母親に対しての信頼もまた同じようだ。この二人も貴族家に生まれた以上は仕方がない部分もあるだろうに、どちらも甘いことを口にしている――。


『貴族の子女って選べる未来が少ないよね。まあ、領地を耕してくれる領民に食べさせてもらってる身分だと思えば、ある程度はそうあるべきなんだろうけど。うちも小麦の収穫高がいまいち安定してないから、今回のお相手は商家の三男だったみたいだし』

『その考えには同調すべきものがあるな。皆が皆、そのような気持ちを持つことが大切だとワタシも思う。騎士階級などは平時においてはあまり役に立つようなものでもないからな。戦が起これば民の為に命を差し出す覚悟を持っていればこそ、領民が育ててくれる食物を口にすることが許されている』


 ――かと思ったが、割とそうでもないらしい。クラスの令嬢達がこういった話をしているところを耳にしたことはないが、それは上級下級の区別なく、この二人が貴族の子女としては特殊なだけかもしれない。

 それが好ましくないかと言えば、そんなことはない。貴族という階級社会において、こういう物の考え方をする人物が男にも女にも少ないのは、むしろ恥ずべきことだ。


『お馬鹿。何を物分かりの良いこと言ってるのよ、アンタ達。自分のことは自分で決めれば良いの』

『ラシードは男だからそうだろうけどさぁ。そう言えばお家のことが片付いたから、卒業したら王都の雑貨店に就職するって言ってたよね?』

『ええそうよ。妹達に良い旦那さんが見つかったからアタシは用なし。家督放棄したから晴れて自由の身ってやつ。お店の場所教えてあげるから遊びにいらっしゃいよ。多少は安くしてあげるから』


 急に話題はそれまでの内政含みのものから、学生らしい移ろいやすさで将来の物へと変わる。そういえばわざわざ踏み込んだ話題を振ったことはなかったが、ラシードの家もなかなか面倒そうな家庭事情を抱えていたな。

 家と縁が切れたということはかなり羨ましくもあるが、それよりもくびきから友人が自由になったことの方が喜ばしかった。


「あ、ほらちょっと、アンタ達が煩くするからスティルマンが起きちゃったじゃないの」

「……ああ」

「うわ、ごめんねクラウス。最初は気をつけてたんだけど……喋ってたら段々声が大きくなっちゃって」

「……いいや」

「それに何となくだが顔色が良くないようにも見えるぞ? まだ天恵祭での疲れが残っているのではないか?」

「……平気だ」

 目蓋を開けて身動ぎした途端に一斉にこちらを向く三人の視線と声に、まだしっかりと働かない頭をゆるりと振る。するとここに来て眠り始めた頃よりは幾分マシになったものの、まだ僅かに鈍く頭痛が残っていることに溜息を吐いた。

 楽しげに会話を交わしていた友人達に気取られては、場が白けてしまう。そう思って「まだ頭がはっきりしていないだけだ」と答えたのだが――……。

「この受け答えが始まると強情になるよねぇ、クラウスは。でも少しだけ調子が悪い程度だと、皆がいるところの方が安心出来るもんね」

 そう言っていそいそとブランケットを取り出すルシアと、そのルシアにつられて「そう言われてみれば、ワタシも幼い頃はそうだったな」とストーブに薪をくべるカーサ。

「だったら今日は身体をいたわって、刺激の強いコーヒーは止めといた方が良いわね。温かい紅茶入りブランデー……じゃなくて、ブランデー入り紅茶を用意するわ」

 空のマグカップを片手に、ラシードが立ち上がる。一通り“熱があるのに人の気配がする場所にいたがる人物”を保護する為の準備が整えられたところで、ルシアがこちらにやってきた。

「熱が上がるようだったらラシードに頼んで寮に強制送還するけど、それまでは一緒にいるよ」

 顔を近付けてきたルシアのヒヤリとした掌が額を撫でる。後ろでは「縁起が悪いから、この手紙も燃やしてしまおう」と真顔で口にしたベルジアン嬢に、ラシードが「良いわねぇ」と返しているが……。

 視線だけで“放っておいて良いのか?”と問えば、ルシアは「おう、景気よく燃やしちゃってよ」と振り向きもせずに答えた。視界の端であっさりとストーブにくべられた手紙が燃え上がり、炎の中に飲み込まれていく。

「――……うん、ちょっと熱いかな? 聖星祭まで後少しなんだから、脚も風邪もちゃんと治さないとだね」

 そばかすの数を数えられそうなほど間近にある深い鳶色の瞳の中に、全身をブランケットにくるまれた自分の姿が映る。手を伸ばせば届くこの距離と時間が、いっそ永遠であれば良い。
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