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◆二年生◆

*17* 星降る夜に、蛍を纏って。

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 本日はついさっき“六月十一日”になったところだ。

 流石に夜中であろうが昼間の熱気が残る温室内での観測は無理なので、最近では温室が手に入るまで忍び込んでいた懐かしのあの場所で観測中である。

 とはいえ、もう同好会の申請で深夜の出入りは許可されているので、あの頃のようなスリルを味わう必要はないけどね。

「あのさ、スティルマン君?」

 手にした傷だらけの天体望遠水晶をクルリと回して、こんな季節でも背中合わせの観測仲間に声をかければ「どうした?」と共鳴するように、胸の裏側から低い落ち着いた声が響く。

 決して目立つというか、ラシードみたいに華やかさも色気もない落ち着いたその声が、どれだけ私の心臓を刺激するのか分かっているのかと、つい聞いてみたくなる距離感だ。

「昨日のさ、カーサの恋人役をスティルマン君が引き受けるってあれ、本気なのかな~って。私のことなら別に気にしないでも大丈夫だったんだよ? 男子生徒の格好は制服がないから無理でも、お見合い相手との顔合わせは学園の外でやるって言ってたし、古着屋でそれらしい普段着を買えば恋人役くらい出来るよ」

 クルリと回した水晶に集中するフリをしながら、内心では“カーサが羨ましいなぁ”とか思ってないぞ。親友の将来がかかっている一大事なだけに、そんなことを羨ましがるなんて人間が小さい証拠だからなとか、言えたら良いのに――……滅茶苦茶人間小さいなぁ、私。

 本当にごめんカーサ、少しどころか心底羨ましいわ。こんな心の汚れたやつは、いっそミジンコとかから転生し直した方が良いかもしれない。

 そんな激しい自己嫌悪に陥りながら、背後からの返事を待つ間にもう一度水晶をクルリと回す。すると傷だらけの水晶の中に無数の星が散り、明日からは今の私の心境のように雨が多くなると告げている。自己嫌悪の雨という喩えは如何にも梅雨らしくて良いけれど、何となく憂鬱さが増すなぁ。

 チラリと背後を横目で見やれば、推しメンを取り囲む真珠色のエフェクトがフワフワと周辺を蛍のように飛び交っていた。こんなに幻想的で美しいものが自分の周囲を飛んでいても、それに気付けない推しメンは少し損をしていると思う。

 かといって教えてあげても見えないし、下手をすれば頭がおかしくなったと思われかねないから、私は黙ってそのエフェクトを見つめることしか出来ない。

 時々星詠みをするフリをしてその淡い輝きを撫でてみても、当然それは触れたところで手触りも温もりもないもので。もしも星に被膜のような物があったら、こんな風なのかと思った。

 唐突な質問に困っているのか、はたまた私の質問の意味をはかりかねているのか。なかなか返ってこない返事に痺れを切らして、つい“もう良いよ”と言いかけたその時だ。

「そういうルシアこそ――俺が止めても、最後までラシードの手助けになれるならと譲らなかっただろう?」

 急に返ってきた声に反応が遅れて「は、えぇ?」と情けない声が出た。推しメンは私のそんな声に「何だその間の抜けた声は」と笑うけどさ、いきなりだとそうなるんだよ。くつくつと笑う推しメンの背中を肘で小突いて咳払いを一つ。簡単に頭の中で組み立てた言葉を紡ぐことにする。

「そりゃあ……ラシードの方ならこのままの性別で挑めますし。いつもお世話になってる大事な友人のためなら、一肌脱ぐことなんて当然でしょ? ただ心配なのはさ、あの姿絵の女の子達が私程度の顔をした相手に引き下がるかってことなんだよねぇ」

 敵の傾向と対策を練るために、ラシードのところに送られてきた姿絵を数冊見てみたのだけれど、どの子も流石に親御さんが自信を持って推してくるだけあって美人揃いなのだ。

 正直あのレベルの子達を振りたいというラシードは、モテない野郎達の敵である。本来ならモテない勢の女として参戦出来そうな私も、野郎達に味方してやりたいところだ。

 私が目に見えぬ野郎達と握手を交わしていたら、不意に背後でスティルマン君が「だったら、俺の時にも協力してくれるのか?」と言った。

 思わずもう一度聞きたくて一瞬返事を躊躇いかけたけど、きっといつものように深い意味なんてないのだろうと考えたら虚しくなったので「はは、勿論良いよ」と安請け合いをしてみる。

 そう言われてみれば、在学中にそういうこともあるだろう。それがラシード達の卒業後であれば、その時推しメンが頼れる相手が私しかいないのかと思ったら、胸の内に歪んだ喜びが湧き上がった。

「私なんかが相手役で良かったら、いつでも声をかけなよ。大切な友人に変なお嫁さん候補は付けられないからね」

 というよりも、私がここにいる時点で推しメンの候補はヒロインちゃん一択なのだから。それが成就するまでにおかしな女子ムシなど近付けさせるものか。

 星詠みを一時中断してその時を想定したイメージトレーニングしていたら、軽く肘を掴まれる感覚があったので、何かと思って推しメンの方を振り返る。すると思ったよりも間近に推しメンの顔があって、内心かなり焦った。

「もしも万が一だが、ルシアもその時は俺を頼れ。それから――」

 余計な言葉を付ける癖は相変わらずだが、そんな嬉しい申し出を一旦区切った推しメンは、少しだけ考え込む様子を見せてから急に私の頬をつねった。

「あまり自分を卑下する言葉を使うな。出逢った頃から見れば格段に成長しているんだ。成績はもとより、星詠みの精度も……容姿もな」

 そう歴代断トツのはにかみ方と甘い台詞を言ってくれた推しメンが尊すぎて、危うく今まで溜め込んだスチルやらイベント内容が全部吹き飛びそうになった。こんなところでリセットボタンを押されたりしたら死ぬ。

「ス、スティルマン君も言うようになったよねぇ? 語彙、そう、語彙が増えたよ、うん。わた、私達二人とも成長してるわぁ~!」

 緊張と動揺で、さっきの間の抜けた返事より酷い声でそう言った私がツボに入ったのか、推しメンはその後解散するまでの残り時間を、ずっと声を押し殺して笑っていた。


***


 その日の放課後。

 四日後にラシードの一番最初のお見合い相手との顔合わせが決まったので、私はラシードとカフェ・テリアにて当日していく化粧の打ち合わせをしていた。カーサと推しメンは、今頃図書館で六日後の顔合わせ準備をしているところだろう。

 さて二人で姿絵を研究してみたところ色気のある美人系が多かったので、これは真逆のロリータ系で攻めようということに落ち着いていたのだが……。

「うーん……予想はしてたことだけど、まさかここまでピンク系が似合わないとは流石のアタシも考えてなかったわぁ」

 基本のメイクの上からチークを乗せていたラシードが、そう手を止めて私に手鏡を持たせる。見てみろということなのだろうと手鏡を覗けば、そこには頬に乗せたチークの存在感を全く感じさせない、健康的に日焼けした肌の私が映っていた。

「あー、本当だ。日焼けしてるからピンクが目立たないのか。でもロリータ系って言ったらピンク系が定番だし……どうしようか」

 ピンクを乗せたはずなのに頬が少し白っぽく見える程度では、むしろ何も塗らない方がマシだろう。こんなことなら、もっと早いうちから美白に気をつけていれば良かった。

 けれどそう少し落ち込んだ私をよそに、ラシードはシレッとした顔で「まぁ、そうね。ピンク系って言ったら一番あざとくて可愛らしいものね」と相応しくない発言をする。

 あまりにあまりな言い分に思わず「コラ、元・本職。そこは普通分かりやすくて可愛いじゃないの?」と突っ込めば、鼻で嗤われた。

「フフン、これだからお花畑お馬鹿は困るのよ。良いこと? ピンクが可愛いのはその色味が一番“女の子らしい”っていう刷り込みから来てるの。アンタ実際に前世で全身ピンク系で固めた女子見て可愛いと思ったことある?」

「さてはラシードってば私がファッションに疎いからって、馬鹿にしてるでしょう。そんなの勿論……勿、論……?」

 前世でファッション関係の雑誌を一度も購入したことがない私は、それでも何とかラシードの質問に答えるべく、朧気な記憶の中から“ピンク、可愛い”という情報を検索したのだけれど――。

「ないんでしょう。当然よ。ピンク系なんて肌の色にモロに影響されるのよ。ピンクのチークなんて白人系しか目立たないわね。その白人系はあまりピンク系を選ばないのが面白いところではあるけど、要するにないものねだりなのよ。持ってないから、似合わないから可愛く見えるの」

「ほ、ほほぅ?」

「分からないのに無理に相槌打とうとしなくても良いわよ。だから要するに何が言いたいかっていうとね――?」

 元から化粧の練習で距離が近かったのに、何故かさらに鼻先がくっつきそうなほどそのお綺麗な顔を近付けてくるラシードに小首を傾げる。何だろう、お肌の手入れはちゃんと言われた通りにしているぞ?

 そもそもいくら人が少ない放課後のカフェ・テリアだからといって、端から見たらこの状況はどうなんだ。それともこれは化粧が駄目だから、当日にいちゃついて見せる練習に路線変更したのだろうか? 

 だったら動くわけにはいかないかなぁ、などと考えていたら、耳許に唇を寄せたラシードが「ねぇ、今この距離にいるのがアタシじゃなくて、スティルマンだったらどう?」と囁きかけてくる。

 一瞬そのベルベットボイスにぞわりと背筋が粟だったけれど、それよりも囁かれた内容の方に激しく動揺した私は、思わず違うと分かっているのにラシードの肩を掴んで押し退けていた。

「ふふ、真っ赤な顔して可愛らしいじゃない、上出来よ。当日に相手の娘こが引き下がらなかったら、この手を使ってみましょうか」

 満足気にお色気たっぷりに微笑んだラシードに「い、意味が分かんないよ。当日のお化粧の話だったのに何言ってんのさ?」と動揺したまま言葉をぶつければ、オネエさんは一等良い微笑みを浮かべて言った。

「アンタ、照れた時の顔は嗜虐心しぎゃくしん煽って良いわねぇ? 苛めるのが癖になっちゃいそうだわ」

 ペロリと形の良い唇を舐める姿だけで、かなりのフェロモンを感じさせるオネエさんにお褒め頂けるのは嬉しいけれど、そんなの癖になられてたまるか! 全力拒否だよ!? 

 バクバクいう心臓を押さえてブンブン頭を振りながら距離をとれば、流石にラシードもやり過ぎたと理解してくれたようだ。苦笑したラシードが「からかいすぎちゃったわね、ゴメンナサイ?」といつものように頭を撫でてくれた時は、心底ホッとした。

 私がまだ熱い顔を手で扇ぎながら「結局何が言いたかったのさ」と訊ねれば、オネエさんは今度こそ心底呆れたように苦笑して「恋をしている女の子は、それだけで可愛いのよ」と、そう言って笑う。

 ――可愛いと褒められるのは嬉しい。

 ――だけどそれだけは駄目なんだよ。

 無言のままラシードの夕焼け色の瞳を見つめれば、彼はその目を優しく細めて「お馬鹿ねぇ。せっかく可愛かったのに、またおブスになりたいの?」と私の頬を撫でた。そうして「仕方がないから、良いこと教えてあげるわ」と、再び顔を近付けてくるから。

 さっきのことがある手前、怖ず怖ずとその唇に耳を寄せれば、ラシードはまるで極上の秘め事を囁くように笑みを交えて。


「スティルマンがカーサの見合いに名乗りをあげたのはね、相手の男に逆恨みされたアンタが襲われるかもしれないからよ?」
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