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◆二年生◆

★7★ 胸騒ぎと過去の夢。

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「はい、カーサ。これが新しく授業でもらった新刊の写本ね」

 放課後の温室内にある四阿で最近見かけるようになったこの光景に、隣のラシードと無言で目配せをしあう。今回の元になっている本は、臙脂色に白い筋が一本だけ引かれた装丁。それをルシアが紙に写本し直して糸で簡単に繋げてあるのだ。

 当のルシア達はそんな俺達のことを気にせず薄い本を手にはしゃいでいるが、その内容にはラシードと俺に馴染みのない意訳をされた、星座にまつわる物語が記されている。何でもルシアの知り合いが教職員免許の取得のために一計を案じた結果らしいのだが、二人の意欲の向上ぶりを見ればなかなかに良い策のようだ。

 二年に上がってからは二日に一度と星詠みの授業も増えているので、これをテストの成績に繋げることが出来れば、ルシアの成績であれば三年にはBクラスになれるかもしれない。実際に俺はルシアと毎晩星詠みをするようになってから、各段に星詠み関連の成績が伸びた。

 戴く星の性質上、自ら進んで星詠みをしなかったせいで中等部からずっと万年Bクラスだった俺が初めてAクラスになれたのだ。それを考慮すれば“ルシアほどの根気があれば、Bクラスといわずあるいは”と思わせる。

「ありがとうルシア。前回の実は良家の御曹司だった拐かし男と少女の恋物語も面白かったぞ。今回はどんな話なんだ?」

「んー……今回はねぇ、結婚して凄く奥さんと仲の良い上司が、部下に自分の妻が可愛すぎて仕事中に悪い虫がつかないか心配だからっていうので、四六時中見張るように言いつける話だよ」

 俺からすれば“間違えてはいないが意訳が過ぎるのでは?”と思うものの、それを伝えて学ぶ意欲を殺ぐのも忍びない。隣でラシードが「そういう表現も当たりと言えば当たりかしらね?」と苦笑している。

「それはまた凄い理由で職権乱用をする上司だな。妻に対しての信頼もないようだ。その部下の苦労が忍ばれるな」

 眉根を顰めたベルジアン嬢の言葉にルシアが「まぁ、そうかも」と言葉を濁すが、俺とラシードの方からすれば、あの話は普通に神話で読んだ方がまだ我慢が出来る内容だったはずだ。

 あの薄い本を作製している教師見習いがどんな人物かは知らないが、なかなか生徒の興味を惹くのは上手そうだ。しかし昔から“星座は神話で学ぶ物”だと信じて疑わない古参教師陣からすれば、誰にでも分かりやすく娯楽向けに改編したあの内容は嫌われるだろう。

「しかし毎回ルシアに写本してもらってばかりですまないな。学年が同じであれば一緒に学ぶことも出来るのに」

「ふふふ、カーサの為ならお安いご用だよ。それに座学で学んだことを自分でもう一回写本することで、書いて憶えることにも繋がるし。これで次の星座のテストで良い点取れたら二人でお祝いしようね!」

「ああ勿論だ。何でもご馳走させてくれ」

 ベルジアン嬢はそう微笑むが、差し入れられた本日分の焼き菓子の山を目の前にしておきながら、まだ食べ物の話が出来るのかと少し感心してしまった。

 しかし三年に上がった二人は多忙なのか、こうして四人で集まるのは二日ぶりだ。そんな二人を前にルシアの顔からは八日前の憂いもすっかり消え、いつもの脳天気そうな表情が戻ってきていることにホッとする。

 甘ったるい香りの山から距離をおいてブラックコーヒーを飲んでいる俺にとって、ベルジアン嬢の身体のどこにあの大量の焼き菓子が消えているのかは未だに謎だ。ルシアの場合どこにつくのかは一目瞭然なのだが……と、横で同じことを考えていたのだろうラシードが「カーサはともかく、ルシア。アンタはお肉がすぐ顔のラインにつくんだから、考えて食べなさいよ?」と意地悪く笑う。

 その言葉にルシアが「私また丸くなってる?」とベルジアン嬢に訊ねれば、ルシアに甘い彼女は「ルシアはそれくらいが一番愛らしいぞ」とうっとりとした表情で褒め讃えた。しかし俺の隣ではラシードが「それ真に受けたら絶対にアンタ後悔するわよ?」と脅す。

 美容に詳しいラシードからの圧力に屈したのか、ルシアは新たに口にしようとしていたクッキーをそっと箱の中に戻した。ベルジアン嬢も思うところがあったのか、焼き菓子の入った箱を閉じて紅茶に手を伸ばす。

 その唇にひかれた鮮やかな赤い口紅に思わず苦い記憶が過ぎった。そういえばあれから毎日のようにあの口紅を使うようになったせいなのか、ベルジアン嬢に恋人が出来たのではという噂が一部で飛び交っているが、暇さえあればここに入り浸っているので所詮は噂の域を出ないようだな。

「あら、カーサは別に食べても構わないのよ? アンタは鍛錬場でしっかり動いてるから、少しくらいカロリーをとったって大丈夫。そっちのおブスは運動をあまりしないから言ったのよ」

 ラシードの言葉に頬を染めたベルジアン嬢が「わ、ワタシを、どこかで見ていたのか?」と言うのに対して、ラシードも「そりゃあね。アンタの周りはいつも賑やかだから、視界の端にいたって分かるわよ」と返す。

 そんな返事に「そうか。鍛錬の邪魔をしてすまない」と肩を落とすベルジアン嬢を見たラシードは「やだ、そうじゃないわよ。お馬鹿ね」と笑った。

「うぐ……ラシードの“おブス”は久々に聞くと刺さる……」

「刺さったならちょっとは運動して痩せなさいよ。今の季節なら運動するにはちょうど良いでしょう?」

「――ちょい待ち。さっきからラシードってば、私が運動全然しないおデブだと思ってるみたいだけどねぇ、こんなに太ったの初めてですから。ド田舎の貧乏貴族の食糧事情で太れるわけないでしょう! それがこっちに出てきてからは畑仕事もないし、そのくせお昼以外の二食は女子寮の美味しいご飯がタダなんだよ? そんなの私じゃなくても食べるよ、太るよ!」

 グッと握り締めた拳を震わせながらそう力説するルシアを見たラシードが「魂のこもった駄目発言ね……」と遠い目をする。

 しかし誰も言い出さないが、差し入れを頬張るルシアの姿が小動物じみて餌付けをするのを止められないのだから、何もルシアのせいばかりではないだろう。

 けれどそこにはルシアを除いた誰もが口を挟まないまま「私だけのせいじゃない!」と叫ぶルシアを無視して、今日も平和に温室内の時間は進む。


***


 翌日、五月四日の午後。

 ちょうど星詠みの授業を終えたAクラスと入れ替わりに、Cクラスの生徒達が訓練実習棟へと続く渡り廊下を歩いてきた。大抵の生徒がグループを形成して行動する中に、ルシアの姿は今日も見えない。

 俺の周囲にはクラスが同じになってから、何となく一緒に行動する顔ぶれも決まってきた。その中には何故かアリシアもいるのだが、以前は少し行動を共にするだけで感じていた焦燥感も、もう形を潜めている。

 しかし一緒に行動するとは言えど、ここでの顔ぶれはあの温室で感じるような安らぎを得られるわけでもなく、以前ルシアが言ったように将来的に繋ぎをつけておかなければならないだけの集まりだ。

 なので自然とそんなクラスメイト達との会話を続けながらも、視線はCクラスの生徒達の中にルシアの姿を探すことになる。

 結局あの夜の会話をもってしても、ここですれ違うルシアの反応は変わらず、むしろ以前より頑なに感じることさえあった。

 談笑しているふりをしながらCクラスの最後らしい一団の横を通り過ぎたものの、その中にもルシアの姿はない。フッと溜息をつきかけた俺の隣に、それまで他の生徒と言葉を交わしていたアリシアが並び、他の顔ぶれに分からないように「お探しの方はあちらですわ」とある一点を指さした。

 立ち止まった俺達に他のメンバーは「先に教室に戻るぞ」と声をかけてきたので、そのまま見送り、指し示された方向に向き直る。

 するとそこには確かにルシアの姿があり、心配していたような無表情な姿ではなく、温室で見る時のように暢気な顔で笑っていた。だが問題は隣にいる、体格ではラシードと並ぶような男だ。学園の生徒数を考えれば見たことがないのは当然だが、そもそも三年生にも見えない。

「あら……リンクスさんと一緒にいるのはホーンス先生ね。わたしもこの学園に編入してきたばかりの頃は、彼に図書館で何度か勉強を見てもらったことがあるわ」

 こういうふとした時、アリシアの相手が気になっていた情報を上手く補足するくせが出るのは助かる。彼女は昔から言葉の組立が若干拙い俺の先回りをして会話を助けてくれた。

「ホーンス……聞いたことがないな。星詠み学科にそんな教員はいないはずだが。それにあの体格では騎士団の方がしっくりくる気がするがな」

「ええと、ホーンス先生はこの学園の院生で、まだ厳密には先生というわけではないの」

 そう気まずそうに言葉を濁したアリシアの表情に、ルシアの言っていた知り合いの情報がピタリと当てはまる。

「では――彼が教職員免許に落ち続けているという人物か?」

「それもリンクスさんから聞いたのね。けれどそれはあまりご本人の前では言わないであげて」

 見覚えのあるその苦笑に、ふと幼い頃の夏が重なる。あの頃の距離をこうして再び取り戻せることがあるとは思いも寄らなかった分、少し不思議な気持ちがした。

 けれど――。

「近頃エルネスト先生の講義のお陰で、ミニテストの点数が右肩上がりなんだよ。これはもう今年の教員試験通ったも同然じゃないかなぁ? 星詠みクラスの先生からも“お前でもやれば出来るんだな!”って褒められましたよ」

「そんな……ルシアはもともと飲み込みは良いんだ。そこに興味が加われば当然この短期間でも伸びる。自分が教員試験に受かるよりも、ルシアが星詠み学科試験の上位に食い込む方が早いさ」

「あははっ、エルネスト先生は口が上手いですねぇ!」

 楽しげに、身長差にも臆することなく大男の背中を叩きながら笑うルシアの姿には、この廊下で俺を拒絶する時のような陰はない。

「――ティンバース嬢。彼はホーンス先生ではないのか?」

「そうですけれど、確かフルネームだとエルネスト・ホーンスだったと思いますわ。お互いにファーストネームで呼び合うだなんて、よほど仲が良いのね。羨ましいわ」

 そんなアリシアの何気ない言葉に何故か説明の付かない心持ちになるが、ルシアの点数を引き上げたのだというのならば好人物には違いない。

「あの……わたしからも訊きたいことがあるのだけれど、良いかしら?」

 そう言うアリシアの声の調子が僅かに緊張したものに変わったことに気付き、ルシア達に向けていた視線を隣に立つアリシアへと戻す。

「俺で答えられることであれば構わない。何だ?」

「その――……ね。聖星祭のダンスで貴男がわたしを呼んだ愛称を、あの後ずっと考えていたわ。そしてふと、とても懐かしくて幸せだった記憶の中に、わたしをそう呼んでくれる男の子がいたのを思い出したの」

 アリシアから意を決したように告げられた瞬間、ざわりと。押し込めておいた記憶の中に侵入してくるものの気配を感じて身体が強ばった。

「スティルマン、貴男はもしかして……?」

 ――ああ“また駄目だ”。

 頭の片隅で“カチリ”と何か金属製のものが噛み合わさるような異音を聞いた気がして……諦めのような安堵を感じた。
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