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◆二年生◆
◇幕間◇本当は、レイピアよりも花が欲しい。
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今回はヴァルキリー並に強い、
実は乙女なカーサ視点でお送りしますσ(・ω・*)
◆◆◆
三年に進級してからというもの、以前にも増して熱心に剣術の授業に取り組むようになったせいか、最近は取り巻きの令嬢達の黄色い声に辟易しそうになることが多い。
“令嬢らしく”育てられた彼女達と、どこから見ても完璧な“騎士見習い”の自分。そんな女とは思えないワタシの身長や、男のような振る舞いに目を輝かせる彼女達を見ていると、可愛らしいと思う反面、時折無性に腹立たしい気分に襲われる。
女として華々しく着飾り、傷や痣を生涯身体に負うことなどほとんどない娘達。無論親の決めた婚約者と結婚するための駒だとしても、そこには美しくあることへの意地と誇りをもてるのだろう。
――どれも、ワタシには持ち得ないものだ。
フリルもリボンもスカートも“女らしい物”なら捨てられるのに、この性別だけは捨てられなかった。
歴代優れた武人を輩出する家の父上は当然の如く素晴らしい武を、名家の出身の母上は病弱ながら美しさと聡明さを持ち、その間に生まれる子供は間違いなく素晴らしい逸材になるに違いないと、まだ婚約中の頃から周囲にはそう期待されていたらしい。
それが蓋を開けてみれば、どうだ? 産まれたばかりの赤子に罪はないと誰もが口々に母上を慰め、次があると父上を励ましたに違いない。そうして誰もがひっそりと物陰で溜息と共に吐き出すのだ。
《あの子が男の子でさえあれば》
身体の弱い母上を心から愛した父上は、祖父母の言葉に耳を貸さずに妾を持たなかった。だからだろう。ワタシは父上と母上の唯一の子としてその愛情を一身に受け取れる代わりに呪いを受けた。
“ベルジアン家の跡取りとして”必要とされるには“女”であることを諦めるしかない。物心ついた頃にはすっかり刷り込まれていた“ベルジアン”の呪い。男よりも男らしくあらねば。そんな強迫観念からか、十二歳で始まった月の物は十五歳の頃にはパタリと止まった。
家の誰もが知らないことだが、何の問題もない。もしワタシが子供を産めなくとも、そんなものはどこかから養子を取れば解消される。
ワタシという“器”がある限り、最も大切なことは“ベルジアンの跡継ぎ”であるということ。それこそが、ワタシが自分を唯一誇りに思えることだったからだ。
しかしその誇りすら奪われて、天と地がひっくり返ったように崩れ去ったのは十二歳の時。皮肉にも初潮が始まったばかりの頃と止まった頃の原因が、あのクズな婚約者殿のお陰かと思うと虫唾が走る。今ならあのトレイで頭を割ってやれるというのに……と。
ふと目の前にいる令嬢達から視線を窓の外に向ければ、訓練実習棟に向かう渡り廊下の辺りに“恩人”の姿が見えて思わず足を止めてしまう。
あの天体観測の翌日に刺繍のお返しと進級のお祝いにプレゼントした、赤い小花のモチーフをあしらったヘアピンが、最初にあった時より伸びた可愛らしい栗色の癖毛に映える。
けれどいま遠目から見るその表情は、どこかいつもの彼女らしくなく硬質で、無表情でありながらどこか寂しげに見えた。その視線の向けられている方角に視線をやれば、そこには数人の生徒達が談笑している姿がある。
目を凝らせばその中に見知ったダークブラウンの頭を見つけて、少しだけ胸の内側がもやりとした。
温室で天体観測をした一週間前の夜。
ワタシは王都を取り巻く貴族家のことについて疎そうなラシードと……ルシアに、彼の家のことを教えようかどうか迷い、結局言い出せなかった負い目がある。ラシードは隣国からの留学生で、ルシアは辺境から来ているのだから中央部のことに詳しくないのは何らおかしくはない。
星詠みについては疎いワタシだったが、スティルマン家について疎い二人とは違い、少なからず知っていた。あの家についての数々の悪評と、因襲と言っても良い哀れな噂を。
現・当主は彼の父親だが、度重なる領地内での横領に、数々の夫のある貴族の女性達と流した浮き名。隠し子も片手の数では足りないと言われている。最初の頃はそんな男の息子である彼も同じなのだろうと、内心警戒しながら様子を見ていた。
だが実際にスティルマンという家名と彼とを切り離して行動を共にするようになった今、悪評のほぼ全ては彼の父親にあるのだろうということは、余程の馬鹿でもない限り分かることだ。
そもそもスティルマン家は、その特殊な立ち位置のせいかあまり表立って批判をされることがない。
ただそんなことより一番の問題は、ワタシの恩人がそんな彼のことを好いているのではないかということだった。
違っていてくれればどれだけ良いかと思いながらも、一週間前の夜、ワタシはルシアに一番近いラシードに訊いたのだ。『ルシアはスティルマンのことが好きなのだろうか?』と。
その問いに対してラシードは『野暮な子ね』と苦笑混じりに星火石ランプの灯りを落とし、真っ暗になった四阿の中で『あの子に一番近しいアタシが訊いたとしても、きっと違うと笑うわよ』と、たったそれだけ。
それだけで百の“是”という言葉より、それを一夜しか持てなかったワタシの心に鮮明に“恋”という言葉をルシアは刻んだ。
あの初めて会った夜の翌日には勘違いで終わってしまった短い“恋”だったけれど、ルシアはワタシの初恋の人であることに変わりはない。初恋の人で、恩人で、初めて出来た同性の親友だ。
だからおかしな男にも、腑抜けた男にも彼女はやれない。
ワタシが見つめる先で渡り廊下のルシアの横を、スティルマン達がすり抜ける。そのほんの一瞬だけ表情を取り戻すことを、彼女は気付いているのだろうか?
***
今朝の廊下での件があったせいで、ワタシは放課後の鍛錬場での訓練を取り止めて温室へと急いだ。あんな風に朗らかに微笑まないルシアのことが心配だったから。
逸る気持ちを鎮めながら、ゆっくりと温室のドアを開けると「今日の二番手はカーサだったかぁ。今日は早く来てくれたんだね?」といつも通り朗らかなルシアの声が出迎えてくれたことにホッとする。
けれど四阿の中のベンチに腰かけていたのはルシアとラシードだけで、まだスティルマンの姿はそこにはなかった。そしてよくよく見てみれば、微笑みかけてくれるルシアの髪型が今朝と違っていることに気付く。
きっといつものように髪型や化粧をラシードに指導してもらっていたのだろう。そんな二人を見るのは、この同好会に入ったワタシの楽しみの一つでもある。
「ちょうど良いわ。アンタもこっちにいらっしゃいな。しっかりとした化粧は稽古の時に崩れるかもしれないけど、口紅くらい引いてあげるわ」
だからまさか自分がその輪に招かれるとは思ってもいなかった。
「え……いや、しかし……ワタシなんかがそんな女っぽいことをしても……」
咄嗟に後ずさりそうになりながらそう口をついて出た言葉にルシアが「あれどう思いますこと、ラシードさん? 私に対する当てつけかしら?」と大袈裟に眉をしかめ、ラシードも「そうねぇ、謙虚さを装ってるにしては鼻につくわぁ」と溜息をついた。
「ち、違うぞ!? そんなつもりで……というか、どんな受け取り方をしたらそうなるんだ!!」
突然の誤解にワタシが慌ててそう弁明すれば、二人は眇めていた目をパチリと瞬かせ、お互いの顔を見合わせながら肩を震わせ始める。
「クッ……ブフッ、やっぱアンタって馬鹿みたいに素直ねぇ~。からかいがいがあるわぁ」
「クフフ……駄目だよラシード。素直に教えてひねくれちゃったら遊べな……冗談、冗談だってば!」
最初は微かだった震えが、徐々に大きくなり、ついにはバンバンとミニテーブルを叩いて笑い始めた二人に対し、思わずじっとりとした視線を投げかけると、二人は両手を肩の高さに揚げて降参の格好を取った。
そして再びワタシを手招くと、近付いたワタシの目の前に白い陶器で出来た細長い筒を取り出して見せる。
「この口紅ね、この間町にミニテーブル見に行った帰りに見つけたんだけど、見た瞬間に“カーサの色だ!”って思っちゃって。そんなに高くなかったからチョチョット部費の数字弄って経費で購入しちゃったんだぁ」
そう言ったルシアが筒の蓋を取ってクルリと捻ると、中からイチゴジャムのような色をした棒状の物が顔を出す。そのイチゴジャムのように艶のある鮮やかな赤は、キツ過ぎるワタシの顔にも柔らかな印象を添えてくれそうな色合いで。すぐに断るには魅力的過ぎた。
ルシアはぼうっと見とれて立ち尽くすワタシの手を引いて「ほら、ここ譲るから。ラシードの方を向いて座りなよ」と微笑みかけてくれる。
言われるがままに座ったワタシの前で、口紅の色を手の甲に載せて確認しているラシードが「イイコね」と笑う。目の下にあるホクロが妙に色っぽくて、何となく目のやり場に困ってしまった。
けれど俯きかけたワタシの顎を、ラシードの男にしては滑らかな動きを見せる指先が持ち上げる。しかし滑らかな動きをする指先は、その実とても良く鍛錬をする人間ならではの硬さがあった。
「それじゃあ、ニッコリ口角を上げてみてくれる? そう、上手ね。ふふ、形の良い唇だわぁ。普通は口紅だけだなんて顔の印象が浮くからやらないんだけど……アンタは化粧に頼らないでも綺麗だから平気ね」
ラシードはそう言いながら、何故だか口紅をそのまま直に塗りつけず、手の甲に伸ばした赤を小指の先に載せてゆっくりとワタシの唇をなぞっていく。硬い指先が唇に触れる。その指先が壊れ物に触れるようにやわやわと唇の輪郭をなぞる間、ラシードは「やっぱり女の子の唇はアタシと違って柔らかいわねぇ」と目を細めた。
隣では「ラシードもカーサと同じで華やか系の美人だから、この色似合うと思うよ。塗ってあげようか」と楽しげにルシアが笑った。
「あら、そう? でもアンタは口紅塗るの下手そうだから自分で塗るわ」
「あん? やってみないうちから決めつけないで下さいません? 口紅くらい簡単でしょう」
「ふぅん? じゃあちょっとそこで口紅塗る真似してみて頂戴?」
言われて「よし、見てて」と言ったルシアが、何も持たない状態の手を口許に持って行って唇を尖らせる。
するとすぐに一旦手を止めてそれを眺めていたラシードが「ふん、やっぱり全然なってないわね、おブス」と鼻で嗤った。
顎を持ち上げられたまま「あれでは駄目なのか?」と訊ねれば「あの塗り方だと唇の皺が目立つのよ」とワタシの唇に残りの口紅を載せながら笑う。小指の先が唇の中心部に触れて「ここのね?」と言いながら優しくなぞる。
そうして「こんな物かしらね。本当は細い筆があれば良いんだけど……」とグッと顔を近付けてワタシの唇を確認すると、離れ様に「アンタは初めて見たときにも思ったけど……本当に綺麗な女の子ねぇ」と。
――生まれて初めて聞いたその言葉に、頭の芯がカッと熱を持った。
今まで女を見て“男にはない美々しさだ”と褒めてくれた人間は山ほどいたのに。
この言葉の含む甘さを、ワタシは知らない。
こめかみが痛むほど歯を食いしばるワタシの目の前で、ラシードとルシアがふざけあいながら互いの唇にイチゴジャム色の“女らしさ”を載せて「お揃いだね」と笑う。
その後、遅れてやってきたスティルマンが「三人とも似合っているが、俺は遠慮しておくぞ?」と口許を隠したのを見て、ラシードとルシアとワタシで総攻撃を加えたのは、言うまでもない。
実は乙女なカーサ視点でお送りしますσ(・ω・*)
◆◆◆
三年に進級してからというもの、以前にも増して熱心に剣術の授業に取り組むようになったせいか、最近は取り巻きの令嬢達の黄色い声に辟易しそうになることが多い。
“令嬢らしく”育てられた彼女達と、どこから見ても完璧な“騎士見習い”の自分。そんな女とは思えないワタシの身長や、男のような振る舞いに目を輝かせる彼女達を見ていると、可愛らしいと思う反面、時折無性に腹立たしい気分に襲われる。
女として華々しく着飾り、傷や痣を生涯身体に負うことなどほとんどない娘達。無論親の決めた婚約者と結婚するための駒だとしても、そこには美しくあることへの意地と誇りをもてるのだろう。
――どれも、ワタシには持ち得ないものだ。
フリルもリボンもスカートも“女らしい物”なら捨てられるのに、この性別だけは捨てられなかった。
歴代優れた武人を輩出する家の父上は当然の如く素晴らしい武を、名家の出身の母上は病弱ながら美しさと聡明さを持ち、その間に生まれる子供は間違いなく素晴らしい逸材になるに違いないと、まだ婚約中の頃から周囲にはそう期待されていたらしい。
それが蓋を開けてみれば、どうだ? 産まれたばかりの赤子に罪はないと誰もが口々に母上を慰め、次があると父上を励ましたに違いない。そうして誰もがひっそりと物陰で溜息と共に吐き出すのだ。
《あの子が男の子でさえあれば》
身体の弱い母上を心から愛した父上は、祖父母の言葉に耳を貸さずに妾を持たなかった。だからだろう。ワタシは父上と母上の唯一の子としてその愛情を一身に受け取れる代わりに呪いを受けた。
“ベルジアン家の跡取りとして”必要とされるには“女”であることを諦めるしかない。物心ついた頃にはすっかり刷り込まれていた“ベルジアン”の呪い。男よりも男らしくあらねば。そんな強迫観念からか、十二歳で始まった月の物は十五歳の頃にはパタリと止まった。
家の誰もが知らないことだが、何の問題もない。もしワタシが子供を産めなくとも、そんなものはどこかから養子を取れば解消される。
ワタシという“器”がある限り、最も大切なことは“ベルジアンの跡継ぎ”であるということ。それこそが、ワタシが自分を唯一誇りに思えることだったからだ。
しかしその誇りすら奪われて、天と地がひっくり返ったように崩れ去ったのは十二歳の時。皮肉にも初潮が始まったばかりの頃と止まった頃の原因が、あのクズな婚約者殿のお陰かと思うと虫唾が走る。今ならあのトレイで頭を割ってやれるというのに……と。
ふと目の前にいる令嬢達から視線を窓の外に向ければ、訓練実習棟に向かう渡り廊下の辺りに“恩人”の姿が見えて思わず足を止めてしまう。
あの天体観測の翌日に刺繍のお返しと進級のお祝いにプレゼントした、赤い小花のモチーフをあしらったヘアピンが、最初にあった時より伸びた可愛らしい栗色の癖毛に映える。
けれどいま遠目から見るその表情は、どこかいつもの彼女らしくなく硬質で、無表情でありながらどこか寂しげに見えた。その視線の向けられている方角に視線をやれば、そこには数人の生徒達が談笑している姿がある。
目を凝らせばその中に見知ったダークブラウンの頭を見つけて、少しだけ胸の内側がもやりとした。
温室で天体観測をした一週間前の夜。
ワタシは王都を取り巻く貴族家のことについて疎そうなラシードと……ルシアに、彼の家のことを教えようかどうか迷い、結局言い出せなかった負い目がある。ラシードは隣国からの留学生で、ルシアは辺境から来ているのだから中央部のことに詳しくないのは何らおかしくはない。
星詠みについては疎いワタシだったが、スティルマン家について疎い二人とは違い、少なからず知っていた。あの家についての数々の悪評と、因襲と言っても良い哀れな噂を。
現・当主は彼の父親だが、度重なる領地内での横領に、数々の夫のある貴族の女性達と流した浮き名。隠し子も片手の数では足りないと言われている。最初の頃はそんな男の息子である彼も同じなのだろうと、内心警戒しながら様子を見ていた。
だが実際にスティルマンという家名と彼とを切り離して行動を共にするようになった今、悪評のほぼ全ては彼の父親にあるのだろうということは、余程の馬鹿でもない限り分かることだ。
そもそもスティルマン家は、その特殊な立ち位置のせいかあまり表立って批判をされることがない。
ただそんなことより一番の問題は、ワタシの恩人がそんな彼のことを好いているのではないかということだった。
違っていてくれればどれだけ良いかと思いながらも、一週間前の夜、ワタシはルシアに一番近いラシードに訊いたのだ。『ルシアはスティルマンのことが好きなのだろうか?』と。
その問いに対してラシードは『野暮な子ね』と苦笑混じりに星火石ランプの灯りを落とし、真っ暗になった四阿の中で『あの子に一番近しいアタシが訊いたとしても、きっと違うと笑うわよ』と、たったそれだけ。
それだけで百の“是”という言葉より、それを一夜しか持てなかったワタシの心に鮮明に“恋”という言葉をルシアは刻んだ。
あの初めて会った夜の翌日には勘違いで終わってしまった短い“恋”だったけれど、ルシアはワタシの初恋の人であることに変わりはない。初恋の人で、恩人で、初めて出来た同性の親友だ。
だからおかしな男にも、腑抜けた男にも彼女はやれない。
ワタシが見つめる先で渡り廊下のルシアの横を、スティルマン達がすり抜ける。そのほんの一瞬だけ表情を取り戻すことを、彼女は気付いているのだろうか?
***
今朝の廊下での件があったせいで、ワタシは放課後の鍛錬場での訓練を取り止めて温室へと急いだ。あんな風に朗らかに微笑まないルシアのことが心配だったから。
逸る気持ちを鎮めながら、ゆっくりと温室のドアを開けると「今日の二番手はカーサだったかぁ。今日は早く来てくれたんだね?」といつも通り朗らかなルシアの声が出迎えてくれたことにホッとする。
けれど四阿の中のベンチに腰かけていたのはルシアとラシードだけで、まだスティルマンの姿はそこにはなかった。そしてよくよく見てみれば、微笑みかけてくれるルシアの髪型が今朝と違っていることに気付く。
きっといつものように髪型や化粧をラシードに指導してもらっていたのだろう。そんな二人を見るのは、この同好会に入ったワタシの楽しみの一つでもある。
「ちょうど良いわ。アンタもこっちにいらっしゃいな。しっかりとした化粧は稽古の時に崩れるかもしれないけど、口紅くらい引いてあげるわ」
だからまさか自分がその輪に招かれるとは思ってもいなかった。
「え……いや、しかし……ワタシなんかがそんな女っぽいことをしても……」
咄嗟に後ずさりそうになりながらそう口をついて出た言葉にルシアが「あれどう思いますこと、ラシードさん? 私に対する当てつけかしら?」と大袈裟に眉をしかめ、ラシードも「そうねぇ、謙虚さを装ってるにしては鼻につくわぁ」と溜息をついた。
「ち、違うぞ!? そんなつもりで……というか、どんな受け取り方をしたらそうなるんだ!!」
突然の誤解にワタシが慌ててそう弁明すれば、二人は眇めていた目をパチリと瞬かせ、お互いの顔を見合わせながら肩を震わせ始める。
「クッ……ブフッ、やっぱアンタって馬鹿みたいに素直ねぇ~。からかいがいがあるわぁ」
「クフフ……駄目だよラシード。素直に教えてひねくれちゃったら遊べな……冗談、冗談だってば!」
最初は微かだった震えが、徐々に大きくなり、ついにはバンバンとミニテーブルを叩いて笑い始めた二人に対し、思わずじっとりとした視線を投げかけると、二人は両手を肩の高さに揚げて降参の格好を取った。
そして再びワタシを手招くと、近付いたワタシの目の前に白い陶器で出来た細長い筒を取り出して見せる。
「この口紅ね、この間町にミニテーブル見に行った帰りに見つけたんだけど、見た瞬間に“カーサの色だ!”って思っちゃって。そんなに高くなかったからチョチョット部費の数字弄って経費で購入しちゃったんだぁ」
そう言ったルシアが筒の蓋を取ってクルリと捻ると、中からイチゴジャムのような色をした棒状の物が顔を出す。そのイチゴジャムのように艶のある鮮やかな赤は、キツ過ぎるワタシの顔にも柔らかな印象を添えてくれそうな色合いで。すぐに断るには魅力的過ぎた。
ルシアはぼうっと見とれて立ち尽くすワタシの手を引いて「ほら、ここ譲るから。ラシードの方を向いて座りなよ」と微笑みかけてくれる。
言われるがままに座ったワタシの前で、口紅の色を手の甲に載せて確認しているラシードが「イイコね」と笑う。目の下にあるホクロが妙に色っぽくて、何となく目のやり場に困ってしまった。
けれど俯きかけたワタシの顎を、ラシードの男にしては滑らかな動きを見せる指先が持ち上げる。しかし滑らかな動きをする指先は、その実とても良く鍛錬をする人間ならではの硬さがあった。
「それじゃあ、ニッコリ口角を上げてみてくれる? そう、上手ね。ふふ、形の良い唇だわぁ。普通は口紅だけだなんて顔の印象が浮くからやらないんだけど……アンタは化粧に頼らないでも綺麗だから平気ね」
ラシードはそう言いながら、何故だか口紅をそのまま直に塗りつけず、手の甲に伸ばした赤を小指の先に載せてゆっくりとワタシの唇をなぞっていく。硬い指先が唇に触れる。その指先が壊れ物に触れるようにやわやわと唇の輪郭をなぞる間、ラシードは「やっぱり女の子の唇はアタシと違って柔らかいわねぇ」と目を細めた。
隣では「ラシードもカーサと同じで華やか系の美人だから、この色似合うと思うよ。塗ってあげようか」と楽しげにルシアが笑った。
「あら、そう? でもアンタは口紅塗るの下手そうだから自分で塗るわ」
「あん? やってみないうちから決めつけないで下さいません? 口紅くらい簡単でしょう」
「ふぅん? じゃあちょっとそこで口紅塗る真似してみて頂戴?」
言われて「よし、見てて」と言ったルシアが、何も持たない状態の手を口許に持って行って唇を尖らせる。
するとすぐに一旦手を止めてそれを眺めていたラシードが「ふん、やっぱり全然なってないわね、おブス」と鼻で嗤った。
顎を持ち上げられたまま「あれでは駄目なのか?」と訊ねれば「あの塗り方だと唇の皺が目立つのよ」とワタシの唇に残りの口紅を載せながら笑う。小指の先が唇の中心部に触れて「ここのね?」と言いながら優しくなぞる。
そうして「こんな物かしらね。本当は細い筆があれば良いんだけど……」とグッと顔を近付けてワタシの唇を確認すると、離れ様に「アンタは初めて見たときにも思ったけど……本当に綺麗な女の子ねぇ」と。
――生まれて初めて聞いたその言葉に、頭の芯がカッと熱を持った。
今まで女を見て“男にはない美々しさだ”と褒めてくれた人間は山ほどいたのに。
この言葉の含む甘さを、ワタシは知らない。
こめかみが痛むほど歯を食いしばるワタシの目の前で、ラシードとルシアがふざけあいながら互いの唇にイチゴジャム色の“女らしさ”を載せて「お揃いだね」と笑う。
その後、遅れてやってきたスティルマンが「三人とも似合っているが、俺は遠慮しておくぞ?」と口許を隠したのを見て、ラシードとルシアとワタシで総攻撃を加えたのは、言うまでもない。
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