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◆一年生◆
*34* 年内最終イベント、聖星祭開幕!〈2〉
しおりを挟む推しメンにヒロインちゃんを預けて少しホッとした私は、会場に逃げ込んだときよりも少し余裕を持った足取りで現場へと向かった。私一人だけならば体裁を構わなければどんな逃げ方も出来るしね。とにかく今はトレイの回収が先決だ。
手応えからして歪んだ可能性も考えられるから、上手い言い訳の一つ二つ考えておかないとなぁ……などと考えながら、さっきクズ野郎を仕留めにかかった現場に到着したのだけれど――そこに肝心のクズ野郎の姿がなかった。
ここを離れていたのなんてせいぜい二十分やそこらだ。その短時間で後頭部にあれだけの衝撃を与えられた人間が立ち上がってどこかへ行けるものだろうか? クズ野郎は身長こそそれなりにあったけれど、がたいはそれほど逞しいとはいえない感じだったので、妙な話だが少し見直してしまった。
――何と打たれ強いことだろうか、と。しかし当然のことながら感心してばかりもいられない。クズ野郎が消えた現場からはトレイも一緒に消え失せているからだ。もしかしたら物的証拠として持ち去られたのかもしれない。
いや、もしかしたらどころか、たぶんそれが一番有力な線だろう。恥をかかされた相手の落としていったブツを持ち去る理由など、それ以外に考えられない。あれ、これって下手をすれば強制的な冬期休暇、後に退学ルート?
そこまで考えた直後、今にも足許に穴が開いて吸い込まれるのではないかという虚無感が私を襲った。一瞬頭の中が外の景色のように真っ白になる。
けれどその時背後から「やだ、ルシア。アンタこんなところにいたのね? ずっと会場内探してたから無駄な時間食っちゃったじゃないのよ」と賑やかで聞き馴染んだ声がかけられた。咄嗟に弾かれたように振り返ると、そこにはビシッと格好良くドレスアップしたお色気五割増のラシードが私の方に歩いてくるところだ。
片側だけオールバックにした前髪と、もう半分は緩く額に垂らしてあるのが小憎い。不安になっていたところに颯爽と現れたその姿、まさにイケメンを体現している! 私は思わずラシードの広い胸板に飛び込んだ。
「あら、どうしたの。随分と積極的なお出迎えねぇ?」
「うう……ちょっと心が弱ってたところなもんで、つい。ラシードこそどうしてこんなところに? ファンクラブの女の子達から逃げてきたの?」
「お馬鹿。アンタを探してたって言ったでしょうが。あぁ、だけどさっきここで変な頼まれごとしたから、それでちょっと一旦離れたけどね」
分厚い胸板に抱き留められたままの姿でそう告げられた私は、一気に血の気が引くのが分かった。
「そ、それってどんな人だった? 背の高い男子生徒?」
「いいえ? 随分綺麗な女の子だったわよ。自分に襲いかかってきた痴漢を退治したは良いけど、処分に困ってるって言ってきたから。それじゃあお仕置きがてら――ってことで、ひんむいてこの会場の入口付近にある大暖炉の前に捨てて来たところなの。今頃そろそろ誰かに見つかって、教員の前に連れて行かれてるところじゃない? っていうか何で男だって分かったの?」
「いや別に、勘? でも……何それ怖い」
「勘ねぇ? ま、良いわ。それに当然でしょう? 女の子相手にクズな真似働いてただで済むと思ってるようなカスには、それくらいしてちょうど良いわよ……っと」
「え、何ちょ、おぅわ!?」
いきなり何の前振りもなくラシードに抱え上げられた私は、一瞬可愛げの欠片もないような悲鳴を上げてしまう。ちなみにお姫様抱っこではなく、米俵の抱え方だ。肩の上にひっかける時代劇とかでお約束のあれ。
そんな私の色気のない声に、斜め下からラシードが「アンタねぇ、もう少し可愛い悲鳴上げなさいよ」と呆れたような声を上げるが、無茶を言うなと言いたい。こっちはまだその謎の美少女の情報だって聞きたいのに!
しかしこちらが文句を言うよりも先に、会場とは反対に歩き出したラシードが「アンタがうろちょろしてるせいで予定時間がだいぶ押しちゃってるんだから、詳しい話は後よ」と足早にどこかを目指す。視界の端をビュンビュンと流れていく。この会場の物がしまわれているらしい倉庫のドアが数枚見えたかと思えば遠ざかっていった。
と、その中の一枚のドアの前で立ち止まったラシードが、私を抱え上げたまま室内に入る。あわや後頭部を入口に打ち付けるという貴重な体験をしてしまうところだった。
室内に入るとラシードはさっさとドアに鍵をかけ、私を肩から床に下ろして立たせる。皺になったお仕着せをパタパタ叩いて伸ばしていたら、不意に私の目線の高さまでしゃがんだラシードと目が合う。そこまでは別に構わなかったのだが――。
「……オイオイオイオイ、待て待て待て待て、何してるのラシードさん」
その大きな手がお仕着せの上着のボタンと、その下に着ているシャツのボタンにかけられて外されていくのはいくら仲が良いと言っても、流石に待ったをかけるよ? あとあれだね、脱がせ慣れてるのか異様に人のボタン外すの早いね?
けれど私によって手を拘束されたラシードは、不服そうに眉根を寄せて「アンタ相手にどうこうしようとは思わないわよ。反応しないもの」とか生々しい上に失礼なことを曰ってくる。
思わずムッとして「何だよ見もしないうちから反応しないとか言うなよ。もしかしたらダイナマイトボディかもしれないじゃない?」と言えば「あらそう? だったらそのダイナマイトボディとやらを見せてご覧なさいよ」と鼻で嗤われてしまった。は、腹立つわぁ……! どうせそんな隠し玉持ってないですよ!
諦めて自分でボタンを外し始めていると、私のアンダーシャツの中に隠していた星火石の首飾りが零れ出た。それに目を留めたラシードが「良いもの持ってたわね?」と笑ってツイと首飾りを撫でる。その顔に向かって舌を出してやったら、額にデコピンを食らってしまった。
推しメンよりも加減を知っているそのデコピンに、若干の物足りなさを感じる私は危ないのだろうか? もしや何かに目覚めかけているの?
「ほらほら、手が止まってるわよ? やっぱりアタシが脱がせた方が早いんじゃないの?」
「い、今ちゃんとやってます! というか、流石にズボン脱ぐときは向こう向いといてよ?」
「――ハッ、アンタが目の前でストリップしたくらいで、このアタシがどうこうなるわけないでしょうが。ほら、良いから上の服をさっさと脱いで、このコルセットを前から当てたら背中をこっちに向けなさい。心配しないでも、アンタみたいにコルセットに慣れてない子でも大丈夫なボーンの少ないやつだから」
そう告げるラシードの声が、今までの付き合いの中で聞いたことがないくらい分かりやすく弾んでいる。やっぱりラシードは前世からこの仕事が好きだったんだなぁと、少しだけ羨ましく感じた。
私がもそもそと服を脱いで、それなり程度の胸をコルセットの胸部部分に収める間、ラシードは金髪のカツラを丁寧に梳いている。まさか……あれも私がかぶるのか。何だかかなり本格的に遊ばれそうな予感がするぞ……?
そもそも何だってこんなことになっているのかさっぱりだ。私はただ犯行に使用したトレイの回収に来ただけなのに。
トレイを回収したら、さっさと会場に戻って仕事をしながら、推しメンとヒロインちゃんのダンスを眺めてスチルを集めたいのに。
――でも、楽しそうにカツラの髪を編み込んでいくラシードを見ていたら言い出せなくて。何よりも、ちょっとだけ。ちょっとだけそんなラシードに着飾らせてもらった自分の姿を見てみたくて。
いやいや、別に元が元だからそんなに変われるとは思っていないけれど、それでも一度くらい乙女ゲームに転生した気分を自分で味わってみたい。しかもやってくれるのはその道のプロ。身体に添わせたコルセットは、ラシードが言うようにすんなりと肌に馴染むし、前世では補整下着すら使ったことがない私にとってはこれだけですでに未知の領域だ。
下から支えられて持ち上がった胸元に、思わず「おぉ……」と声を上げてしまったのが聞こえたのか、ラシードはカツラを帽子をかけるようなスタンドに被せて苦笑した。……ぐ、ちょっと谷間が出来たくらいではしゃいだのがバレたか。
そのことが恥ずかしくて無言でラシードに背中を向ければ、背後から丁寧にコルセットの紐が引き結ばれていく感覚が伝わってくる。ギュッ、ギュッ、とリズミカルに締め付けられていくコルセット。そんな私の胸元で、星火石の首飾りがトントンと跳ねる。
知らず知らずのうちに視線でその動きを追いかけていたのか、そんな私の耳許でラシードが笑う気配がした。もう笑いたければ笑うが良いと「何さ」と投げやりに訊ねれば、ラシードは思ったよりも優しい声でこう言った。
「今夜はアタシがアンタにとびきりの魔法をかけたげるわ。だからアンタはブーたれていないで、アタシが魔法にかけやすいように笑っていて頂戴?」
甘い声音にキザな台詞。これぞまさに乙女ゲームといった状況なのに、私はときめくどころか安らぎを覚えて微笑んだ。そんな私にラシードは「イイコね」と笑ってまだ化粧をしていない頬をつつく。
――――――それから体感で一時間くらいが経ったかな?
鏡のない部屋の中では、今の自分の姿も分からないけれど。
「うん、急ぎの作業にしてはまずまずの出来ね」
そう笑ったラシードがエスコートの為に腕を差し出してくれるからには、たぶん……大丈夫。大丈夫、だよ、ね?
「それなりに見られる姿になっているんだよね? 信じるぞ、私の魔法使い」
「あら、そんなのこのアタシが手掛けたんだから当然でしょう? 余計な心配しないでも綺麗よルシア。さあ、分かったらもう行くわよ。アタシ、今夜はアンタを探し回っててまだ一曲も踊ってないんだから」
「うえぇ、嘘、ごめん!?」
「お馬鹿ね、良いわよそれくらい。ただし、その代わりにアンタのファーストダンスはもらうわよ。本命の前にその履き慣れない靴、慣らしておかないとね?」
慌てて謝罪した私に向かってそう色っぽくウィンクをするラシードに、私は胸が一杯になる。だからこの際もうあの銀色のトレイの行方はきっぱりと忘れよう。
そう頭を切り替えた私はラシードの腕に手を伸ばして、今世で初めてのエスコート役にしては破格に上等な異性に連れられて会場に舞い戻るのだ。
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